第10話 ふたりの夜は更けて……

 蓉子が酔った勢いに任せて優斗に本心を曝け出している頃、美里と李沙はまだ起きていた。

 部屋の明りを小さくして、保護者に内緒でこっそりと夜更かしする。

 それは子供の頃に誰もが経験したであろうそんなちょっとどきどきするイベント……。

 お菓子やジュースを持ち寄って、他愛のない話題でときには一夜を語り明かすのだ。

 楽しくて、それがばれたときのことを想像して冷やりとしながら、それでも止められない。

「さて、それじゃあ何から話そうか」

 差し出された缶ジュースを受け取りつつ、李沙が小声でそう囁く。

「えっと、まずは李沙と優斗の出会いについて」

 そうリクエストする美里の声もやはり密やかだ。

 それでも十分聞こえる程、同じベッドにうつ伏せになっている二人の距離は近い。

「分かった。じゃあ、話すね。あれは確か……」

  * * * *

 同じ頃、雪那は優奈の部屋で念願の月下美人を飲んでいた。

「さすがは幻の銘酒。実に味わい深いですわ」

 杯を手にうっとりとした表情を浮かべる雪那。

「わたしも初めて飲みましたけど、いいですね。この上品な口当たり」

「ほう、その年で味の違いがお分かりになりますか。さては相当飲みましたね?」

 すっと目を細めて優奈を見る。

「それほどでも。わたし、お酒はあまり好きじゃないんですよ」

「目の前でそんなに美味しそうに飲まれていては説得力がありませんわ」

「女性の嗜みというものです。これくらいは飲めないと」

 涼しい顔でそう答える優奈に、雪那はおかしそうに笑みを零す。

「なるほど。では、あちらに居並ぶ古今東西のお酒の数々も女性の嗜みだと?」

「あ、あれはいただきものが溜まっているだけです。うちは滅多に飲まないから」

「それにしてはどの瓶もとてもよく手入れされているようにお見受けしますけれど」

 冷や汗を浮かべてそう言う優奈に、雪那が瓶の一つを手に取りながら指摘する。

「それはほら、性分といいますか。汚れているとつい気になって掃除しちゃうんですよ」

「確かに、綺麗なほうが気分が良いですものね」

「でしょう。おかげで、お掃除に時間が掛かってしまって」

「でも、住まいを清潔にしておくのは大事なことですよ。霊的にも安定しますし」

 そう言って雪那は改めて優奈の部屋を見渡した。

 6畳のフローリングは蛍光灯の光を反射し、像が映るほどにピカピカに磨き上げられている。

 テーブルには清潔感あふれる白いレースが掛けられていて、これにも雪那は好感が持てた。

 本棚へと目をやれば、料理の教本を中心に様々なジャンルの書物が整然と収められている。

 そのすぐ奥の机の上にはまだ新しいパソコンと一緒に小さなフォトスタンドが置かれていた。

 雪那はそのフォトスタンドに収められた一枚の写真に目を止める。

 そこに写っていたのはこの家の主人に寄り添って幸せそうな笑顔を浮かべている優奈の姿だった。

「……彼もこんな表情を浮かべられるようになったのですね」

 どこかほっとしたように言葉を漏らす雪那。その目は限りなく優しい。

 彼女の視線は寧ろ、照れたようにそっぽを向いている優斗の表情へと向けられていて……。

 それが優奈には気になった。

「あの……」

 思わず口をついて出る言葉。そこから先に続くものを察して、雪那は彼女へと向き直った。

「彼の過去について何か知っているんですね」

 疑問ではなく、確認の意味を込めて優奈はそう口にする。

「それを聞いてどうなさるおつもりです?」

 雪那の顔から表情が消える。

「好きな人のことを知りたいと思うのはごく自然なことだと思いますけど」

 優奈はあくまで真剣だった。

「でしたら本人に直接お尋ねになればよいではありませんか。浅い仲ではないのでしょう?」

「ええ。でも、彼は自分の過去について、あまり話してくれませんから」

 そう言って少し寂しそうに微笑む優奈。

「必要ない。もしくはまだその時ではないのでしょう。時がくれば自ずと話してくれるかと」

「そうだと良いんですけど……」

「ご自分が選んだ方を信じてあげられないのですか?」

「不安なんです。彼、心配掛けないようにってすぐ自分一人で抱え込んでしまうから」

 そう言って優奈はそっと溜息を漏らす。

「それも優しさ故の配慮でしょう。愛されているのですね。女性としてとても羨ましいですわ」

「そんな……」

 赤くなった頬を両手で押さえつつ、それでも否定しない優奈に、雪那は小さく笑みを漏らす。

「それに、本当に辛くなったら彼は迷わず泣きついてきますもの」

「え?」

 どこか含みのある笑みを浮かべてそう言う雪那に、優奈の顔から朱の色が消えた。

「少なくともわたくしの存じ上げている彼はそうでした。優佳様も大変だったでしょうね」

 優佳というのは彼の母親の名前だ。

 しかし、そのことを知らない優奈は、雪那の口から出た女性の名前に一瞬身を強張らせた。

 その口ぶりからして、優佳なる女性が彼と浅からぬ仲であったことは疑いようがない。

 彼にとっては自分が初めてではないのだ。

 そのことに優奈は少なからずショックを受けていた。

「どうかなさいました?」

 あえてその内心に気づかぬふりを装いつつ、雪那は彼女にそう尋ねる。

「いえ、あの、その人、優佳さんという方はどんな人なんですか?」

「知りたいですか?」

「……はい。その、すごく」

 思わず身を乗り出した優奈の目には恐れも躊躇いも見られない。

 純粋に好奇心から聞きたがっている。

 あるいは既に受け入れるだけの覚悟が出来ているということなのか。

「分かりました。多分にわたくしの主観が入っているとは思いますが、それでもよければ」

「お願いします」

「そんなに畏まらなくても良いですよ。与太話程度に聞いていてくださいな」

 そう言って雪那は語り出す。

 親友と呼べた一人の女性と、その家族たちと過ごした思い出の時を……。

  * * * * *

 蓉子は泣いていた。

 彼の手前、涙こそ流してはいなかったが、その心は確かな痛みに震えている。

 仲の良い幼馴染。

 学園ではだらしない彼を叱咤して、ときどき冗談を言い合ったりもして。

 そんな関係が心地よくて、あたしにはこれで十分だって思ってた。

 今日だって、一緒にお昼を食べていたときは楽しかった。

 こんな日常をこの手で壊してしまうくらいなら、あたしはこのままでいい。

 そう思っていた、はずだった。それなのに……。

「蓉子……」

 気がつくと、蓉子は優斗をソファに押し倒していた。

 あまりに唐突なその行為に、優斗はとっさに対応出来ない。

 ……何かが、おかしい。

 驚愕に見開かれた青が、潤んだ瞳に光って見える。

 絡みついてくる視線に込められたものは理性を溶かしてしまうほどに、熱い。

 ……あたし、どうしちゃったんだろ。

 体が、心が熱い。

 胸の奥で脈打つ何かに、狂いそうになる自分を理性が必死に抑えようとしているのが分かる。

 その一方で、溺れてしまいたいという願望も彼女にはあった。

 すべてが壊れるのを承知で熱に狂い、彼に狂わされてしまいたい。

 それはどうしようもなく甘美で危険な誘惑……。

 そして、今宵の彼女はその誘惑に負けてしまった。

 ……優奈、ごめん。

 心の中で親友に詫びつつ、蓉子は目を閉じた。

   * * * * *




 あとがき

龍一「濡れ場を想像していた人、ごめんなさい」

李沙「修羅場を期待してた人、次回を待て」

龍一「いや、修羅場にはならないから。っていうか、そんな目をきらきらさせて言わないで」

李沙「えーっ、だってこの展開だよ。蓉子は絶対したでしょ?」

龍一「いや、俺に聞かれても」

李沙「あんた作者でしょ。ここは読者の期待に応えるべく、こうどろどろ〜っと、ね」

龍一「いや、誰もそんなん期待してないって」

李沙「あたしは見たい。だから書いて」

龍一「ほ、ほら、幸せな結末を夢見て物語は生まれるんだって誰かも言ってたし」

李沙「悲劇なくして人は感動出来ないって言う意見もあるわよ」

龍一「俺は嫌だな。それに、救いのない悲劇は本当に悲しいだけだぞ」

李沙「ああ、もう。何でもいいから書きなさい。あたしに修羅場を見せるのよ」

龍一「言っておくが、そうなった場合、おまえも無関係じゃいられなくなるんだぞ」

李沙「どうして?」

龍一「詳しくは外伝のエピソード4をどうぞ」

李沙「…………」

龍一「思い出したか」

李沙「あ、あはははっ。さ、さて、あたしはそろそろ戻らないと」

龍一「ったく。それではまた次回で」

 




両方とも、俺たちの事だな。
美姫 「濡れ場を期待した浩」
修羅場を期待した美姫。
ふん、愚か者め。
美姫 「馬鹿ね」
くっ! こうなったら、ここで無理矢理、濡れ場を作ってやる!
美姫 「その後、当然、ここは修羅場ね」
……ああ、目に浮ぶよ。
一方的にやられている俺の姿が。
…………まさに、地獄(涙)
美姫 「想像してびびるんなら、初めからしょうもない事は言わないの」
う〜、反省……。
美姫 「さて、蓉子は一体、どうでるのか」
そして、それぞれ姉妹に昔話を始める二人。
美姫 「うち、一人は最近だけどね」
まあな。次回も、大変楽しみだーー!
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



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