第23話 カウントダウン
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――学園祭まで後一週間となった週末の午後。
氷瀬邸のテラスにはいつものメイド服でカップに紅茶を注いでいるファミリアの姿があった。
あの夜の戦闘で負った傷はその後の彼女自身による治療で完全に消えている。
それを浩は側で見て知っていたのだが、今一つ現実のこととして実感出来ないでいた。
あのとき、暗闇の中でも分かるほどの血を彼女は流していたはずだった。
浩に医学の知識なんてない。だが、それは素人目にも重症と分かる怪我……。
それを僅かな時間で癒してしまった霊という力は、彼の知らないものだった。
まあ、だからと言ってけちを付けるつもりも浩にはないのだが。
目の前に置かれたカップを手にしながら、ちらりとファミリアのほうを見る。
彼女がこうして今も自分の側に控えていてくれることが、浩には素直に嬉しい。
「どうだい?君も偶には一緒に」
「はい」
カップを傾けながらそう誘う浩に、ファミリアは嬉しそうに微笑みながら頷いた。
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――月曜日。
聖流学園ではいよいよ終末に迫った学園祭に向けて、各員が修羅場モードに突入していた。
今日もそのクラスからは金槌が釘を叩く音や、鋸が木材を切断する音が響いている。
「きりきり働け!本番まで後何日もないんだからな。死ぬ気で掛かれ。良いな!」
中央では優斗が本気で檄を飛ばしながら、テーブルの一つに釘を打ち込んでいた。
その様子には鬼気迫るものがあり、何としても間に合わせるという意気込みが感じられる。
クラスの他の男子たちはそんな彼の様子に戸惑ったように隣同士で顔を見合わせていた。
「あいつ、どうしちまったんだ?」
「何でも今度の学園祭、彼女が来るらしいよ」
「マジかよ!?」
「ああ。んで、あいつとしては何としてでも間に合わせないといけないわけだ」
「嘘だろ。だって、草薙だぞ」
「本当も本当、嘘だと思うんなら当日確かめてみれば」
そんなふうにひそひそと話していた男子たちに、優斗の鋭い視線が突き刺さる。
「そこのおまえら、サボってないで働け。仕事はまだまだあるんだからな!」
「あ、ああ」
向けられた怒気に男子たちは思わず気圧されつつそう答える。
「あいつ、前からあんなだったか?」
「まるで現場監督だよ」
「さぁ、俺はあいつとあんま話したことないから知らないよ」
「俺も。あいつ、バイトあるとかでいつも学校終わるとすぐ帰っちまうからな」
「親いないんだってさ。いろいろ大変なんだろ」
「苦労してんのな」
作業をしながらも小声で会話を続ける男子たち。
何気に優斗の学園での様子が分かる内容だったりする。
そして、当人は自分のことを言われているとも知らずに殺人的な量の作業をこなし続ける。
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――火曜日。
放課後の家庭科実習室に漂う甘ったるい匂い。
そして、テーブルの上には彼女たちの試行錯誤の過程で作られたケーキの数々が並んでいる。
かおりはその中の一つにフォークを入れると、欠片を口の中に放り込んだ。
「ダメだわ。これも失敗ね」
「何がいけないんでしょうか」
難しい顔で腕組みをしているかおりの隣で、同じようにケーキを試食したファミリアが肩を落とす。
「砂糖の量を減らしても甘さの本質は変えられない。それどころか、味気ないものになっちゃうのよね」
「でも、代わりにはちみつだと生地が硬くなるし、カラメルだと色が変わっちゃうんだよね」
「いっそ普通のシホンケーキにしない?時間もないことだし」
「うーん、残念だけどそうするしかないか」
一人の少女の提案に、かおりは仕方なさそうに頷く。
メニューに何か工夫をということで始めたことだった。
早々に成功したフルーツタルトはそのままで、チョコレートはビターなチョコレート生地の上にマロンクリームを載せて纏めた。
しかし、シホンだけはどうにも上手く纏まらない。クリームの色が生地と合わなかったり、甘さがこってりになってよほどの甘党でないと食べられなかったりと失敗続きだ。
結局、時間が足りなくなってしまい、シホンもそのままということになった。
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――水曜日。
深夜の境内に銀色の炎が燃え上がり、邪妖どもの断末魔があたりに響き渡る。
木々の間を走り抜けながら、蓉子は向かってくる数匹のミタマクライに向かって炎の弾丸を放つ。
日増しに増え続ける有象無象に、彼女はやや辟易としていた。
境内を一周して侵入してきた邪妖たちを一掃すると、破られた結界を修復して帰路に着く。
そんなことを蓉子はもう何日もずっと続けていた。
かおりの計らいで担当地区を彼女と同じにしてもらったものの、これでは身が持たない。
その彼女も今日は別の仕事で他地区に出張していていなかった。
……本気で転職考えようかな。
げんなりした表情で蓉子が重い身体を引きずって草薙家に戻ると、リビングで優斗が電話をしていた。
ちょうど終わったらしく、受話器を置くと優斗は蓉子に向き直って一言。
「保安局が要請に応じてくれた。早速明日から動くそうだ」
「えっ、じゃ、じゃあ……」
「ああ。俺たちはしばらくお休みだ」
優斗のその言葉に、蓉子の全身から力が脱けた。
そのままへなへなとソファに沈み込む。
よほど疲れていたのだろう。彼女は大きく溜息を吐くと、そのまま眠ってしまいそうになる。
「おい、ちゃんと汗を拭いておかないと風邪を引くぞ」
「あ、……うん。分かってるんだけど……」
「ったく、しょうがないな」
そう言って緩慢な動きで起き上がろうとする蓉子に近づくと、優斗は彼女の腰と膝裏に腕を通して抱き上げた。
「えっ、ちょ、ちょっと、何するのよ!?」
「風呂まで運んでやる。さすがにそのまま寝て風邪でも引かれたら困る」
「だ、だからって、そんな、だ、抱きかかえることないじゃない!」
さっきまでの疲れはどこへやら、顔を真っ赤にして抗議する蓉子。
しかし、優斗は構わず彼女を脱衣所まで運ぶとちょうど風呂に入ろうとしていた優奈に後を任せた。
さすがに彼が一緒に入って洗うということは考えなかったようである。
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――木曜日。
「いよいよ明後日だな」
書斎でデスクに向かいながら浩はカレンダーの日付を見てそう言った。
ファミリアから教えてもらった彼女の学校の学園祭。浩は何が何でも行くつもりでいた。
彼女からクラスの出し物を聞かされた瞬間にそれはもう彼の中での最優先事項となっていたのだ。
「その前に、あんたはこの原稿を仕上げなさいよね」
「おうよ!」
後ろから釘を刺す美姫の言葉にも、浩は元気良くそう答える。
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――そして、金曜日。
手の甲で汗を拭いながら、優斗はオレンジ色に染まる放課後の教室を見渡した。
「……何とか間に合ったか」
「お疲れ様」
播但の思いでそう呟く優斗の隣に、エプロン姿のかおりが立って彼の労を労う。
「そっちこそ、結構な量作らなきゃならなかったんだろ?」
「そうね。でも、みんなで作るのは楽しかったわ」
「そうか」
そう言って笑顔を向けてくるかおりに、優斗は恥ずかしいのかそれだけ言うと改めて室内を見渡す。
準備を始めた当初はとても間に合いそうになかった内装がそこにはきちんと完成され、明日の開店を待っていた。
「いよいよ明日だな」
「優奈さんたち来るんでしょ。ちゃんとエスコートしてあげなさいよ」
「かおりこそ、あんまり蓉子にちょっかい出すんじゃないぞ」
「良いじゃない。彼女はわたしのものよ」
「……まあ、いいけどな」
真顔できっぱりと言い切られてしまい、優斗は少し引き攣った笑みを浮かべた。
「まあ、それはさておき、ついにここまで来たわね」
「ああ」
「せっかく頑張ってきたんだから、明日成功させないと」
「そうだな」
頷き合い、最後の確認を済ませると、二人は模擬店と化した教室を後にする。
――明日、聖流学園学園祭。開園である。
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あとがき
龍一「多少というか、かなり端折りながらも次回はいよいよ学園祭です」
美里「当然、みんなに出番があるんだよね」
龍一「おう。3話くらいに分けるか、イベント拡張版で1話にするかはまだ決め手ないけどな」
美里「そして、これが終われば物語は一気にクライマックスに向けて加速していくの」
龍一「ここまで張りに張った伏線が一つに集約されていくのです。が」
美里「その前にまずは学園祭だね」
龍一「ここまで読んでくださった方、ありがとうございました」
美里「次回も頑張って書かせますので、よろしくお願いします」
二人「ではでは」
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いよいよ始まる学園祭。
美姫 「どんなイベントが待っているのか、楽しみね」
おう! しかし、メインは…ふふふふ。
美姫 「いや、まあ言わなくても分かるけれどね」
ふふふふ。
美姫 「って、いい加減に戻ってきなさい!」
ぐえっ! あ、あれ? 俺のメイドさんは?
美姫 「誰がアンタのよ! 誰が! って、何を妄想してるのよ!」
だ、だってぇぇ〜。
美姫 「はぁ〜。とりあえず、次回も楽しみにしてますね〜」
楽しみに待ってます。