第31話 忘却の彼方へ

   *

濛々と立ち込める塵埃の中に佇むは2メートルを超える巨体だった。

 全身を体毛に覆われ、前足にはびっしりと鋭い爪が生えている。

 低く唸りを上げる口に並ぶ牙は建物を支える鉄筋を簡単に噛み砕けそうだった。

 圧倒的な異形の姿を前に、逃げ出すことが出来たのは僅か数人。

 多くは恐怖にその身を凍りつかせ、まともに動くことさえ出来ない。

 そんな中で、唯一戦意を失わなかった少女は目の前の敵を倒すべく動き出す。

 彼女は眼前の敵目掛けて素早く駆け寄ると、手近な仲間の肩を踏み台にして飛び上がった。

 魔物の顔面に痛烈な蹴りを見舞い、反動で距離を取って着地する。

 その際、ふわりと舞い上がったスカートの中を見てしまった男子は次の踏み台にされて轟沈。

 最初の蹴りをもろに食らった魔物は堪らず後ろに倒れ、更に校舎の一部を損壊させた。

 そこへ再び少女の靴裏が迫り、それを見た魔物は低い姿勢から咆哮を上げた。

「きゃぁぁっ!?

 ケモノの唸りが大気を振動させ、煽られた少女が悲鳴を上げる。

 何とか空中で体勢を立て直すが、そこへ瓦礫の中から抜け出た魔物の巨体が迫ってきた。

 ぎりぎりでそれを避ける少女。

 ――さすがに、あのクラスの魔物は一筋縄じゃいかないわね。

 振るわれた爪をかわして足から地面へと着地すると、少女は自身の力を顕現させた。

 刹那、あたりの空気が微かに変質する。

 その変化を感じ取ったのか、巨体故に彼女より先に着地した魔物が動きを止めた。

 そこへ横手からナイフが飛来し、動きを止めた魔物の鼻先を掠めた。

「ちっ、外したか」

「ちょっと、もっとしっかり狙いなさいよ。あんな大きな的を外してどうするの」

 ナイフを投げた少年が舌打ちし、隣の少女に肘で脇を小突かれる。

 見ると、恐怖から立ち直ったらしい仲間たちがそれぞれの武器を手に立ち上がっていた。

「坂上にばっか良いカッコさせるかよ」

「わたしたちも戦うわ」

「本郷君、一文字さん……」

 口々に参戦を告げる仲間たちに、坂上と呼ばれた少女は一瞬相貌を崩した。。

「皆、行くよ!」

「「おう」」

 再び向かってくる魔物を見据えて、坂上友子は地を蹴った。

 本郷の投擲を援護に、一気に敵の懐へと飛び込む。

 だが、一度突進すると止まれないのか、魔物は飛んでくるナイフを見ても止まらない。

 すれ違い様に拳を叩き込むが、勢いが足りないせいか堪えた様子はない。

 仕方なく一度後退し、体勢を整える友子。

 入れ替わりに、魔物へと肉迫した一文字が右手に填めた鉄の鍵爪を振り下ろす。

 鉄の爪は魔物の胴に食い込むが、痛みに暴れる巨体にすぐに振り払われてしまった。

「くそっ、これじゃ手がつけられないぞ。おい、坂上。何か手はないのかよ」

「無いことはないんだけど……」

 毒づく本郷に、友子は歯切れ悪くそう答える。

 彼女は迷っていた。

 正直、全力を出せば倒せない相手ではないとは思う。

 だが、そのためには彼女が今まで秘密にしてきたあることを明かさなければならなかった。

 ……二人に知られるのは嫌。でも、このままじゃ皆あいつにやられちゃう。

 苦悩する友子。だが、一文字が魔物の腕の一振りを受けて弾き飛ばされたのを見て決心した。

「本郷君。一瞬で良いから、あいつの注意を引いて。その間にわたしが決める」

「お、おう」

 覚悟の篭もった友子の言葉に、本郷はたじろぎながらも頷いてナイフを投擲した。

 その間に友子は抑えていた妖気を解放、彼女の首から下が一瞬で白い獣毛に覆われる。

 同時にポケットから銀色の筒を取り出すと、先程撒布したミスリル銀の粒子を集束させた。

 流れる粒子を後ろに引きながら、友子は魔物に向かって駆ける。

 獣の瞬発力から生み出される爆発的な加速を持って駆け抜けた彼女は正に一陣の風だった。

 魔物の胴体に走る一本の線。そこから全身へと広がる破滅。

 やがて、巨体故の重低音を響かせて地に伏せると、魔物はそれきり動かなくなった。

「やったの……」

 本郷に肩を借りながら立ち上がった一文字が友子に尋ねる。

「うん……」

 沈痛な面持ちでそう答える友子に彼女はそう、とだけ言って口を噤んだ。

 力を失ったミスリル銀の粒子が夕刻の空に静かに昇っていった。

「ところでさ」

 重い空気を打ち破るように、本郷が殊更明るい声で友子に言う。

「坂上のそれって、やっぱ地毛なんだよな」

「え」

 ニヤニヤと笑いながら彼女の白いところを指差す本郷に、一文字が小さく声を上げた。

 今更気づいたというふうにまじまじと彼女を見る。

「あ、あんまり見ないでくれないかな。その、恥ずかしいよぉ〜」

 顔を赤くしてもじもじする姿は何とも可愛らしい。

「ね、ねえ、ネコだよね。ネコ」

「あ、うん。一応、半分だけど」

「ネコ耳とか、尻尾とかもあるの?」

「う、うん。もしかして、見たいとか」

 目をきらきらさせながら詰め寄ってくる一文字に、友子は引き攣った笑顔を浮かべた。

「し、尻尾は恥ずかしいから耳だけね」

「わぁ〜。ねえねえ、触っても良い?」

 言いながら既にそーっと手を伸ばしている一文字。友子は黙って少し頭を下げた。

 ……こうなるって分かってたから、見せたくなかったんだよね。

 心の中で溜息を漏らしつつ、しばしされるがままになる友子。

 一文字は念願叶ってご満悦のようだった。

 そんな二人の様子を苦笑しつつ少し離れたところで見ている本郷。

 そこへ、ようやく敵を突破した優斗がやってきて声を掛けた。

「どうやら無事だったようだな」

「草薙先輩」

「迎えに来たんだ。もうすぐ結界が張られるから、その前に撤退しよう」

「分かりました」

 優斗の言葉に頷き、二人を呼びに行く本郷。

 ちょうどディアーナの放った不可視の爪の一撃が最後の邪気を引き裂いたところだった。

 その後、校舎前へと集合した一同はその足で地下の秘密区画へと向かう。

 そこで彼らを待っていたのは銀縁メガネの生徒会長、小早川博信だった。

   *

「やあ、諸君。ご苦労だったね。一先ず掛けてくれ給え」

 そう言って全員に席を勧める小早川。

 何気にメイド服姿のかおりが備え付けのティーポットでお茶を淹れていたりする。

 彼女の淹れた紅茶が全員に行き渡ったのを見て、小早川は徐に口を開いた。

「さて、まずは改めて礼を言わせてもらおう。学園を、生徒たちを守ってくれたこと、会長として感謝する。ありがとう」

 一同を見渡してそう言った小早川に、皆は思わず隣同士で顔を見合わせた。

「守りたい人がいたからな」

 臆面も無くそう言った優斗に、周囲から冷やかしの声が飛ぶ。

「わたしはこれが仕事だから」

 照れ臭そうに頬を掻くディアーナ。

「でも、これからどうします?」

 緩みかけた空気を締めるように言ったかおりのその言葉に、一同はハッとした。

「状況、あんまり変わってないよね」

「寧ろ悪化していると言って良い。これを見てくれ給え

 誰かの漏らした呟きに、小早川がそう言って壁のスクリーンに地図を表示させた。

「これは、綾香市とその周辺の地図か」

「ここだ」

 優斗の呟きに頷きつつ、一部を拡大表示させる小早川。

「青い点が保安局を中心とした味方の部隊。赤い点が邪妖の軍勢だ」

「うわっ、右半分が真っ赤じゃない!」

 未だ増え続ける敵の光点に、蓉子が思わず声を上げる。

 他にも何人かが息を呑んだ。

 各地から援軍を呼び集めていた8月のときとは違う。果たしてこれだけの数を凌げるのか。

 表示されている敵の数は70を超え、80を超え、ついに100を超えた。

「猶予はあまりないということですね」

 緊張した面持ちでそう言うファミリアに、小早川は頷いて自分の考えを述べた。

「先の異変から清浄な気の源流に衰えが見られる。連中の動きが活発になっているのもそのせいだろう。そこで、我々生徒会は調査団を派遣して原因を解明したいと思う」

「ええっ!?

 小早川の提案に、主に生徒会に所属しているものたちの中から批難の声が上がる。

「保安局が動けない以上、仕方あるまい。かおり君、すぐに志願者を募ってくれ」

「そのことなんだが」

 かおりに指示を出す小早川に、優斗がそう言って自分たちのしようとしていたことを話した。

「ふむ、なるほど。では、うちから本郷と一文字の二名を同行させよう」

「ちょっと、会長。勝手に決めないでくださいよ」

「そうですよ。わたしたちは……」

 勝手に話を決められて騒ぐ本郷と一文字。

 だが、ニヤリと笑みを浮かべて言った会長の言葉に二人はあっさりと掌を返すことになる。

「この地はかつて退魔の要として機能していたそうだ。さぞかし貴重な品が眠っているのだろうな」

「「行きます!」」

 この二人、そういうものに目がないようである。

 ともあれ、優斗たちは二人の仲間を加えて地下へと潜ることになった。

 ここでメンバーの確認をしておこう。

 まず、潜行する者だが、

 作戦立案者の優斗を筆頭に蓉子、ディアーナとファミリアのレインハルト姉妹。

 そして、本郷と一文字の生徒会組である。

 この6人で地下へと潜り、気の源流を回復させる。

 次に敵襲に備えて地上で警護に当たるメンバーだが、

 こちらは美姫と李沙。それに、かおり率いる生徒会部隊だ。

「出発は30分後。それまでに各自準備をしておくように」

 潜行隊のリーダーに任命された優斗がそう告げると、6人はぞろぞろと部屋を出ていった。

「あ、草薙君。必要なものがあればそこの備品庫から持っていってくれて構わないから」

 優斗が廊下へ出たところで、背後から顔を出したかおりにそう言われた。

「分かった。適当に使わせてもらうよ」

 優斗が頷いたのを確認して、かおりは部屋の中へと戻る。

 この下はちょっとしたダンジョンだ。それなりの準備がなければ攻略するのは難しい。

 優斗もそのあたりは心得ているのか、早速隣の部屋に入ると備品を物色し出した。

 救急セットに携帯食料。瘴気用の解毒剤に……これは、催涙弾か。

 他にも一般家庭にありそうなものからよく分からないものまでいろいろあった。

 とりあえず、使えそうなものを幾つかのリュックに分けて詰めていく。

 背負っても動きを妨げない程度に纏めるのがポイントだ。

 蓉子の無茶な依頼で遠征していたのが役に立ったな。

 苦笑しつつ、優斗は出来上がった6人分の荷物を持って部屋を出る。

 少年の性か、どうにもわくわくするのを抑えることが出来ない。

 そんな自分に苦笑を深める優斗だった。



   *

  あとがき

龍一「坂上友子は猫又だった」

蓉子「いや、猫又は人間には化けられないから」

龍一「そのあたりはほら、君の一族が管理してる人化の術を使ってるってことで」

蓉子「まあ良いわ。この局面で戦える人が一人でも増えるのは助かるし」

龍一「正にネコの手を借りるんだな」

蓉子「それで、次回はあたしたち、地下に潜るのよね」

龍一「気をつけて行ってこい。古代の対魔要塞の跡だけに、何が起きるか分からないから」

蓉子「って、あんたが穏便に済ませれば良いだけの話じゃ」

龍一「何を言う。こんな面白い展開、普通にスルーしてどうする」

蓉子「当事者にとっては迷惑以外の何物でもないのよ」

龍一「では、次回。第32話 地下迷宮を制覇せよ!(前編)でお会いしましょう」

蓉子「こら、待ちなさい!」

   *

 




地下ダンジョン。
優斗でなくともワクワクする響き。
美姫 「一体、何が待っているのかしらね」
それはそうと、友子は猫又だった!
美姫 「本当に猫の手ね。座布団一枚!」
いや、そうじゃなくて…。
美姫 「なに?」
友子は尻尾と耳を出せるわけだ。
美姫 「そうみたいね」
つまり、その状態でメイド服を着せれば、正真正銘のネコ耳メイドのたんじょ……ぶべらっ!
美姫 「ったく、アンタはまたそれなの!」
うぅぅ、すいません。
美姫 「これからダンジョン探索だというのに…」
勿論、そっちも楽しみだよ。でも、それはそれ。メイドはメイド。
美姫 「って、そんな言葉があるか!」
ぶばりゃっ!
美姫 「ったく、馬鹿なんだから」
うぅぅ、ごめんなさい。
美姫 「次回も楽しみにしてますね〜」
ではでは。



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