第37話 共同戦線前夜

   *

「バカっ!」

 室内に渇いた音が響いた。

「あれほど無茶をしないでって言ったじゃありませんか……」

 叩いた手を力なく下ろしながら、彼女はその表情を隠すように彼の胸へと顔を埋める。

 聞こえるのは小さな嗚咽。

 少女は泣いていた。

 いつかの雨のような冷たい雫に頬を濡らし、声にならない思いを彼へとぶつける。

 優斗は呆然とした頭で、それでもそんな彼女を見て、自分がどうするべきかは分かった。

 戦闘で負った傷の痛みに顔を顰めつつ、片手で彼女を抱きしめ、もう片方の手でそっとその頭を撫でてやる。

「……悪かった」

 そんな言葉では全然足りないと分かっていても、それでも言わずにはいられない。

 自分は約束を破り、彼女を泣かせた。

 共に戦った蓉子などはそこまでしなければ勝てなかったのだから仕方がないと言うだろう。

 それでも、だ。

 もっと上手く立ち回っていれば、などと考えるのは傲慢だと優斗は知っている。

 自分は精一杯やって、それでも無茶をしないという彼女との約束を守ることが出来なかった。

 これはその罰なのだ。

 ただ一言謝る彼の腕の中で、優奈は小さくバカと繰り返す。

「優斗さんはずるいです……」

「かもな。けど、他にどうすれば良いのか分からないんだ」

 不器用だからな。そう言って苦笑する優斗に、優奈はやはり小さく知ってますと返す。

「でも、知ってますか。わたしはそんなあなたのことがこの世界のだれよりも好きだってこと」

「ああ」

 顔を上げて潤んだ瞳で見つめてくる優奈に、優斗は小さく頷いた。

「だから、無茶をしてでも帰ってきたかったんだ。俺も君のことが好きだから」

「そんな言い訳するなんて、やっぱり優斗さんはずるいです」

「ずるくなんかないさ。本心だからな」

「信じられません」

 ぷいとそっぽを向く優奈に苦笑しつつ、優斗はその顎に手を掛けて上を向かせる。

「あ」

 一瞬、触れ合うだけの口付けに、優奈の唇から吐息が漏れた。

「まだ信じられない?」

「そんな、こと……あ……」

 抗議しようと開いた唇を再び塞がれ、優奈はそのまま優斗に凭れかかった。

   *

「何か言ってやるんじゃなかったの?」

 顔を顰めるベルに、シルフが意地悪くそう尋ねた。

「おまえ、俺にあの中に入って行けって言うのかよ」

 カーテンの向こうで完全に自分たちだけの世界を形成している二人を指差して問い返すベル。

「羨ましいの?だったら、わたしが相手してあげようか」

「冗談。青臭いガキには興味ねえよ」

 そう言って背を向けると立ち去ろうとするベルに、シルフはすっと目を細めた。

「責任、取ってくれないんだ」

「ん、何のことだ?」

「散々わたしの体を汚しておいて、使い物にならなくなった途端にさよならだなんて」

「わわっ、バカ、誤解を招くような言い方をするな!」

 ベルは慌てて振り返るとシルフの口を塞ごうとしたが、時既に遅しである。

 ちなみにシルフは本名をフェルミナシルフィードと言い、封印剣フェルミナに宿る魂である。

 体を汚したというのは魔剣として使ったことを差していて、強ち間違いではなかったりする。

 そして、魔剣である刃が砕けた今、彼女は16歳の少女の姿になっていた。

 結論、事情を知らないものが先の台詞を聞くとどういう誤解をするかは考えるまでもない。

「ご、誤解なんだ!べ、別に俺とこいつはそんな関係じゃ」

 必死に言い訳を並べ立てるベルは哀れだった。

 あまりの情けなさに蓉子などは目の前の男がとても先刻優斗と死闘を繰り広げた相手と同一人物とは思えず、頻りに首を傾げている。

 この後、活動を再開したベルフォードが直上の旧校舎を全壊させて出現したことでこの件は有耶無耶になったのだが、シルフはどうやら本気で責任を取らせるつもりだったらしく、今回の件が終わった後で再びベルを追及するつもりでいた。

「――絶対に責任、取ってもらうんだから」

   *

 ――私立・聖流学園 神聖樹直下

 扉を潜った一同が見たのは、一面を覆いつくさんばかりに張り巡らされた神聖樹の根だった。

 目指す封印機構の中枢はこの奥、神聖樹の直下に出来た空洞の中にあるらしい。

 消耗の激しい二人を先に地上へと転送することになり、これに蓉子とシルフが同伴した。

 ファミリアの転移で地上へと移る5人を見送ると、残った二人は急ぎ中枢へと向かう。

 途中、霊気を帯びて動けるようになったらしい根の一部が何度か襲ってきたが、二人は難なくこれを撃退した。

「これか」

 やがてぽっかりと開いた空洞の床に弱い輝きを放つ陣を見つけ、ディアーナが声を上げた。

「陣の再構築はあたしがやるから、ディアーナはその間の護衛をお願い」

「分かった。なるべく急いでくれ」

 エオリアの言葉に一つ頷き、周囲を警戒するディアーナ。

 その間にエオリアは陣へと手を触れ、読み取った情報を元に新たな陣を形成する。

 二人を警戒するように周囲を囲んでいた根もその作業が進むにつれて大人しくなっていった。

「統御プログラム機動……っと、こっちは終わったよ」

「こちらも問題はなさそうだな。よし、急いで上に戻るぞ」

 浄化されつつある周囲の気を感じつつ、頷いてディアーナが転移しようとしたときだった。

 不意に瘴気が動いた。

 何かを突き破ったような轟音が聞こえ、二人は顔を見合わせると急いで地上へと転移した。

 再び展開され始めた気界の隙間を縫って、ベルフォードが天を駆ける。

 向かう先はおそらく今も戦闘が行なわれている場所、綾香市郊外の防衛線だ。

 優李が雪那たちに和合を申し入れ、それが受諾された今、最早戦い続けることに意味はない。

 エオリアはそちらに残してきた分身にそれを伝え、急いで戦いを止めさせようとしたのだが。

 転移しようとした途端、先にあちらから転移してきて、エオリアのそれがキャンセルされる。

 何事かと上を見上げる間もなく、現れた二人の少女が落ちてきた。

「あいたた……」

「こ、ここ、どこ?」

 打ち付けた腰を摩りながらきょろきょろとあたりを見回す二人。

「ちょっと、二人ともどいてよ!」

「あ、エオリアだ」

「良かった。無事だったんだね」

「いいからさっさとどきなさい」

 主の無事に安堵する二人に、エオリアが悲鳴に近い懇願の声を上げる。

「おい、元に戻れば良いんじゃないのか?」

 絡み合う3人に呆れたようにそう言うと、ディアーナは視線を旧校舎のあった方へと向ける。

「完膚なきまでに破壊されているな。まあ、保険金を出すのは連盟の連中だし、構わないか」

 全く他人事のようにそう言うディアーナ。

 最早彼女には自分がその連盟の一員であるという自覚は無くなっているようだった。

   *

 綾香市郊外における戦闘はベルフォードの来襲で、双方が壊滅的な被害を受けて集結した。

 ぶっちゃけ、それ以上戦えなくなってしまったのである。

 刀夜の迅速な判断による撤退のおかげで、保安局側の被害は比較的少ないものだった。

 優李たちの側も食われたのは邪気を凝縮した擬似生命ばかりだったのは幸いと言えよう。

 それらの情報を纏め、今後の方針を決定すべく、会議室にそれぞれの代表が集まっていた。

「一部のものの独断とはいえ、連盟のしたことは許されざる行為だ」

 連盟側の代表として、今回の防衛戦を指揮した刀夜が厳しい口調でそう言った。

「でも、彼らが民間に対して及ぼした被害もまた無視出来るものじゃないわ」

 日本退魔師連合会巫女部門代表の佐藤かおりがそれに反論する。

「そのことなのですが」

 聖流学園生徒会裏執行部の坂上友子が発言許可を求めて挙手した。

 それを司会進行の朝倉こよみ教諭が認めると、彼女は席を立って説明を始める。

「一連の騒動において、彼らが出した被害の中に死者はありません」

「そんなバカな!?

 友子の発言に部屋の一角から声が上がり、室内にどよめきが広がる。

「事実です」

 場を静めるために、彼女はあえて端的にそう述べる。

「我々執行部が独自に調査した結果、彼らの行為による物的破損の被害は甚大なれど死者及び重傷者は一人もありませんでした」

 どよめきが納まるのを待って、改めてそう説明する友子に数人が疑問を発する。

 内容は主に情報の裏を確認するものだったが、それに答えたのは彼女ではなかった。

「その人が言ってることは本当だよ。あたしたちは殺してない。殺しちゃったら意味ないもの」

「どういうことだ」

「最初に言ったけど、あたしたちの目的は人間社会における自分達の諸権利の獲得にあるの」

「ああ、そのために最初は連盟に掛け合ったんだったよな」

「あっさり断られたけどね」

 その言葉に一瞬険悪になりかける空気を、エオリア自身が話を続けることで抑え込む。

「連盟上層部は組織の汚点である優李を消し去ろうと強行手段に訴えてきた」

「だから徹底抗戦ってわけ?」

「黙って殺されるのは嫌だからね。でも、こっちから積極的に攻めたのは今回だけだよ」

 エオリアの言葉に、かおりは微かに眉を顰めた。

「相手はプロだし、組織力って観点から言ってもまともにぶつかって勝てるとは思えなかった」

「四天宝刀なんて規格外の実力者もそっちにはいるわけだしね」

 優李が補足説明を入れ、シルフが楽しそうに優斗のことを見ている。

「そっちの事情は分かった。しかし、それと殺さないこととどう関係があるんだ」

「連盟の仕事はその名の通り、共存を望むものに対して支援を行なうこと。そして、共存者の関係を脅かす危険の排除。連盟はあたしたちを後者として見なすことで合法的に抹殺しようとしたわけだけど、逆にいつまでもそれが果たされないでいると組織の信用は低下するでしょ。連盟って言っても、緒戦は社会の中の一組織でしかないからね。上の人たちだって信用が無くなれば困るだろうし、だからって特に深刻な被害が出ているわけでもないのに強行手段を取ろうとすれば今度は内側から疑われることになる。結果、連中は表の部隊を使っての大掛かりな行動が出来なくなるってわけ」

「なるほど。上手い手だな」

 エオリアの説明に、刀夜の口元に笑みが浮かぶ。

「でも、だったらどうしてここにきてこれだけ大掛かりな攻撃を仕掛けたの?」

 かおりが当然の疑問を口にすると、優李たちは悔しそうに唇を咬んだ。

「奴らの猿芝居のせいさ。連中、自分たちの裏を使ってわたしたちの仕業に見せかけて殺しをやろうとしたんだ」

 吐き捨てるようにそう言ったシルフの言葉に、一同は思わず絶句した。

「その一件で、あたしたちはどういう連中を相手にしてるのか再認識させられたよ」

「そして、決断した。禁じ手にしていた忘却システムの破壊を」

「わたしたちはすべてを明らかにして、連盟という組織そのものを破壊するつもりでした」

 3人の語った覚悟に、その場にいたほとんどのものが息を呑む。

「なんだ、やっぱりやるつもりだったんじゃないの。クーデター」

 そんな中、一人壁に背を預けて立っていた美姫が口元にニヤリと笑みを浮かべてそう言った。

「しかし、作戦は失敗しました。わたしは自分の身柄をカードに彼らとの交渉に臨みます」

「だから、そんな必要ないっての。あんたたちの希望ってそんな大それたものなわけ?」

 腰に手を当てて呆れたようにそう尋ねる彼女に、優李たちは思わず顔を見合わせた。

「なぁ、刀夜。連盟ってのは望むものすべてが共に歩いていくための組織じゃなかったのか」

「無論、その通りだ。だが、一部に自分たちの利益、都合しか考えないものがいるのも確かだ」

「滅ぶべきはどちらか、考えるまでもないな」

 腕組みを解いて立ち上がると、優斗は入り口のほうへと歩いていった。

「ちょっと、草薙君。話はまだ終わってないわよ」

「やることが出来た。後は適当に皆で決めてくれ」

「そんな勝手な……」

 引き止めようとするかおりを刀夜が手で制した。

「兄さん、どうして!?

「行かせてやれ。こいつはこういう男だ」

 刀夜はそう言うとドアに手を掛けている優斗へと向き直った。

「問題を起こすのは勝手だが、おまえの彼女たちを泣かせるような真似だけはするなよ」

「問題なんて起こさないさ。雇い主に契約違反を問い詰めに行くだけだからな」

「そ、それって……」

「直談判って奴よね」

 彼の事情を知るものたちは思わず顔を見合わせた。

「なぁ、坂上」

「何ですかこよみ先生?」

「いやな、わたしは何でこんなところで司会進行なんてやらされてるのかと思ってな」

「中立の人が必要だったからじゃないですか?ほら、先生って問題児纏めるの上手そうですし」

「いや、良いんだけどね」

 何でもないことのように言ってくれる友子に、こよみは疲れきった表情で溜息を漏らす。

「優李さんだったかな。あなたは李沙と話をしておいてください」

「え、ええ、それはもちろんするつもりですけど」

「李沙があなたを姉と認めない限り、俺はあなたを庇いきれません」

「どういうことですか?」

「そういう契約なんです。では、お願いします」

 最後にそう言うと、優斗は部屋を出ていった。

「彼、何をするつもりなんでしょうか」

 優斗が出ていった扉を見つめて不安そうにそう呟く優李。

「心配はいらない。あいつも言っていたように、正統な抗議を行なうだけだ」

「草薙君は自分の周りの人の安全を絶対条件として連盟に協力しているのよね」

「つまり、知り合いの姉である君はその周りの人間に含まれるわけだ」

「そのあなたを不当な理由で殺害しようとしたなんて、もうこれは立派な契約違反よね」

 優李の呟きが聞こえたのか、刀夜とかおりがよく似た表情を浮かべて代わる代わる説明した。

 即ち、晴れやかな笑顔である。

 二人は立場上、今回の事件の発端と言える組織の幹部連中と面識があったのだ。

 あの嫌味ったらしい古狸の顔が屈辱に紅潮し、恐怖に蒼褪める様を思うと愉快で堪らない。

 私情を抜きにしても、今回の一件で組織の腐敗を一掃出来れば随分とやりやすくなるだろう。

 問題は復活したあのデカブツだな。

 この場の全戦力を持ってすれば倒せないこともないだろうが……。

「おい、綺崎。そろそろ話を纏めてもらいたいんだが」

 気だるげなこよみの声に、刀夜の思考が中断された。

「我々、生徒会は優李君たちを全面的に支援しよう」

「わたしも日退連の幹部として出来る限り協力させてもらうわ」

 会長小早川の鶴の一声で生徒会の意向が決定され、かおりもそれに続いて表明する。

「わたしには前科もあるからな。協力するのは吝かじゃないさ」

「姉さんを一人で行かせるわけにはいきませんし、わたしもエオリアとはもうお友達ですから」

 ディアーナとファミリアのレインハルト姉妹もそう言って賛同する。

「わたしはクーデター、一度やってみたかったし」

 やはり一人だけ物騒なことを言う美姫に、全員が思わず彼女から視線を逸らした。

「満場一致ということで良いんだな。それじゃ、具体的にどうするかだけど……」

   *

 ――翌朝、早い時間に優斗はこっそりと宿泊していた部屋を抜け出した。

 いろいろあって疲れが溜まっていたのか、寝ているものたちが起き出してくる気配はない。

 中には戦いに身を置く者も少なくないだろうに。

 否、単に見逃してくれているだけだ。少なくとも同室の作家だという男性は狸だった。

 優斗は内心でそれに感謝しつつ、人気のない廊下を進む。

「こんな時間にどちらへ行かれるんですか?」

 しかし、地上への階段へと続く廊下へ出たところで、優斗は背後から声を掛けられた。

「いや、ちょっとトイレに」

「お手洗いはそっちじゃありませんよ」

「外の空気を吸いにな」

「…………」

 すぐ後ろに人の気配。振り返らなくても優斗には誰のものだかはっきりと分かる。

 ほっそりとした腕が首へと回され、抱きしめられる。

 決して苦しくはないが、逃れることもまた優斗には出来なかった。

「もう無茶しないでとは言いませんから、せめて一言くらい言ってから行ってください」

 諦めにも似た溜息を漏らしつつ、優奈はそう言って腕を解いた。

「放っとけないんでしょ。分かってます。優斗さんはそういう人ですから」

「済まない……」

「謝らないで。そういうところも含めてわたしはあなたを好きになったんですから」

「優奈……」

「今度はキスだけじゃ許してあげませんからね」

 笑顔でそう言って抱きついてくる優奈を抱きしめ返して、軽く触れ合うだけの口付けを交す。

「行ってくるよ」

「行ってらっしゃい」

 まるで出勤する夫を見送る妻のような図で二人は別れると、優斗は地上への階段を登る。

 向かうは共存者連盟綾香支部。

 この日、そこは戦場になる。

 過ちを正し、一人の少女を救うために、優斗は一歩を踏み出した。



   *

  あとがき

龍一「組織の悪を倒し、少女を救うために立ち上がる戦士たち」

蓉子「しがらみを乗り越えるために思いをぶつけ合う姉と妹」

龍一「激しく衝突する思いに引き寄せられるように、現れる黒き獣の王」

蓉子「漁夫の利を狙う組織の闇も加わって、最終決戦は三つ巴の様相を呈する」

龍一「次回、愛憎のファミリア2。第38話『存亡を懸けて』」

蓉子「泣いても笑ってもあと2話。果たして優李は李沙と和解出来るのか!?

龍一「そして、彼女たちの運命は……」

   *

 




さあさあさあ。
美姫 「本当に終盤も終盤」
ここに来て、益々盛り上がる〜。
美姫 「組織の悪に獣王。どう動くのかしらね」
いや〜、楽しみだな〜。
美姫 「次回も楽しみに待ってますね〜」
待っております。
美姫 「それじゃ〜ね〜」
ではでは。



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