第31話 ディアーナレインハルト

 

 その日の朝、ディアーナはキッチンから漂ってくる味噌の匂いで目を覚ました。

 ……何というか、懐かしい匂いである。

 軽く頭を振って、彼女は自分が寝かされていたらしいソファから身を起こした。

 どこかの家のリビングらしく、絨毯敷きのフロアの上にテーブルやソファが置かれている。

 窓にはカーテンが引かれていて、その向こうの様子はよく分からない。

 通路を挟んで反対側がキッチンらしく、ダイニングテーブルやその他装備一式が見て取れた。

 ――そして、こちらに背を向けてキッチンに立つ女性が一人。

 女性というにはまだ若い、自分と同年代のその少女は鼻歌交じりに包丁で何かを刻んでいる。

 朝食の支度でもしているのだろう。壁掛けの時計もちょうどそんな時間を指している。

 もう一つの気配の所在が気になったが、とりあえず危険はなさそうだった。

 ……さて、どうしたものか。

 すぐに動く気にもなれず、しばらくぼーっと眺めていると、不意に背後でドアが開いた。

 入ってきたのは優斗だった。風呂上がりらしく、濡れた髪をタオルで拭いている。

 そのあまりに自然な態度に、ディアーナは思わず面食らった。

「ああ、起きたのか」

 ソファの上に身を起こした姿勢のままで固まっている彼女に優斗が話し掛けてくる。

「ずいぶん弱っていたみたいだから、もうしばらくは起きられないと思ってたんだけどな」

「……どうして助けた」

「おかしなことを聞くんだな。道端で倒れている人を助けるのに何か理由がいるのか」

「わたしはおまえを殺そうとしていたんだぞ。まさか、それを忘れたわけではないだろう」

 信じられないという目で優斗を睨むディアーナ。その視線を受けて優斗は小さく苦笑した。

「さすがに一昨日のことだからな。そこまで物覚えは悪くないよ」

「なら、なぜだ。捕獲しておいて慰み物にでもするつもりだったか」

「そんな趣味はないよ。それとも、君はそういう扱いをして欲しかったのかな?」

「だ、誰が……」

 ほとんど悲鳴に近い声を上げるディアーナに、優斗は少し意外そうな顔をする。

「なんだ、結構かわいいじゃないか」

「な、何をバカなことを……」

 真っ赤になった顔を隠すように慌てて俯くディアーナ。なかなか純情な娘である。

「そういうリアクションをするあたり、なかなか女の子らしいと思うんだけどな」

「黙れ」

 キッと顔を上げたディアーナは優斗の顔面目掛けて不可視の力を叩きつけた。

「おっと」

 とっさに顔の前で腕を交差させて防ぐ優斗。だが、思ったような衝撃はこなかった。

「あれ?」

 不審に思って腕を下ろした優斗の目の前で、ディアーナが苦しげに息を吐いていた。

「はぁ、はぁ、はぁ、……どうして、こんなに、……はぁ、はぁ、……わたしの力……」

「お、おい!」

 慌てて助けようとした優斗の手を彼女は視線で拒んだ。

「……だい、じょう、ぶ……だ……」

「死にそうな顔でそんなこと言われても全然説得力ないと思うぞ」

「……それでも、……これ、以上、……おまえの手は、借りられ、ない……」

 苦しげに喘ぐディアーナを見て、優斗はやれやれといったふうに溜息を漏らした。

「安定剤だ。これ飲んで寝ろ」

「…………」

 差し出された錠剤を、蒼白い顔でじっと見るディアーナ。

「ほら、見てないでさっさと飲めよ。苦しいんだろ?」

「……水を、もらえないか。さすがにこれだけじゃ飲めない」

 言われて優斗は少しバツが悪そうに頬を掻いた。この男にしては珍しく抜けている。

 キッチンでは料理の手を止めた優奈がコップに水を注いでくれていた。

 戻ってきた優斗の手からそれを受け取ったディアーナは錠剤ごと一気に飲み干した。

「じきに効いてくるから、それまでは少し我慢な」

「…………」

「ん、どうした?」

「……わたしはおまえに優しくされる資格なんて持ってはいない」

「気にするな。俺がしたいようにしてるだけだ」

「物好きなやつ……」

 呟くようにそう言ったディアーナの口元には、小さな笑みが浮かんでいた。

 ―――――――

「眠ったみたいだな」

 小さく寝息を立てはじめたディアーナを見て、優斗が少しホッとしたように息を吐いた。

「とりあえず、これでしばらくは大丈夫だろう。後はこの子の回復力次第だな」

「それじゃあ……」

ずっと無言で見守っていた優奈が恐る恐る聞いてくる。

「既に邪気は晴れた。もう二、三日もすれば動けるようになるんじゃないか」

「…………」

 優奈の顔に安堵の色が広がる。

 優斗は額に浮かんだ汗を拭うと、心底疲れたという顔でソファに座り込んだ。

 昨夜、衰弱した彼女を自宅へと連れ帰った彼はその足で知り合いの薬剤師の元を尋ねている。

 邪気に侵された彼女を救うには特別な抗生物質を投与する必要があったのだ。

 ……妖現境、か。

 知り合いから聞かされた話を思い出して、優斗は重く深い溜息を漏らした。

 ――この街で起きている一連の事件……。

 その元凶である邪気が彼女の体を蝕むそれと同一のものであることは優斗も気づいていた。

 よもや、その正体が千年前から積み重なり続けている邪念の山だとは夢にも思わなかったが。

 知り合いは貴重な抗生物質を譲る代わりに、優斗にこれの掃討に手を貸すよう言ってきた。

 それは自分たちの生活圏内でのことだ。協力はする。

 ……しかし、今回の相手は少々分が悪過ぎるのではないだろうか。

 共存者連盟も総力を挙げてこれに対処すると言っているあたり、事態の重大さが伺える。

 そんな相手を前にして、自分は果たして守りきれるのだろうか。この家を、大切な人たちを。

 優斗は考える。

 だが、その思考は知らせを聞いて駆けつけてきたファミリアによって中断されてしまった。

「……姉さん!」

 リビングに飛び込んできた彼女はいきなり優奈に唇の前で指を立てられて固まってしまった。

「お姉さんはお休み中ですよ。大丈夫ですから、静かにしてくださいね」

 笑顔でそう言う優奈に、ファミリアは小さく頭を下げた。

 遅れて戻ってきた美里と蓉子もそれを聞いて安堵の表情を浮かべる。

「そういうわけだから、少しの間静かにしててくれ。あと、美里はしばらく外出禁止な」

「ええっ、どうして」

「どうしてもだ。出掛けたいときは俺か蓉子に同伴を願い出ること。いいな」

 少し強い口調で言われて、美里はしぶしぶそれに頷いた。

 真剣な時の優斗は決して理不尽なことは言わない。

 付き合いの長い蓉子は勿論、姉妹もそれを分かっていたから、異論を唱えたりはしなかった。

「さて、俺は少し眠らせてもらうよ」

「朝ご飯食べないんですか?」

「今は食欲よりも睡魔の方が強い。悪いんだけど、起きたときに暖め直してもらえないかな」

「わかりました」

 優奈は少し残念そうに頷くと、代わりにお休みなさいのキスをした。

「お、おい……」

 優斗は見られていることに少し慌てたが、唇を離した彼女の笑顔を見て何も言えなくなった。

「それでは、良い夢を」

「ああ。君もあまり無理をしないようにな」

 自分と同程度に寝不足であろう彼女を気遣いつつ、優斗はリビングを後にした。

 ―――――――

「なかなか見せつけてくれるじゃないの」

 蓉子がにやにやしながら肘で優奈の脇腹をつつく。

「べ、別にそんなつもりじゃ」

「幸せなのはわかるけど、相手がいない人の前ではあんまりそういうことしない方がいいよ」

「美里まで……」

 二人にからかわれて、優奈は顔を赤くして俯いてしまった。

「でも、まあ、うまくいってるみたいで安心したよ」

「優斗はまだ少し戸惑ってるみたいだけどね」

 優奈にキスされたときの優斗の顔を思い出して、美里と蓉子は声を上げて笑った。

「二人ともそれくらいにしておかないと後で優斗さんに言いつけますよ」

「はぁい」

 優奈に軽く脅されて、まるで叱られた子供のように小さく反省する二人。

 そんな彼女たちを見て、ファミリアは思わず苦笑を漏らしてしまった。

「あの、申し訳ありませんでした。どうも姉がいろいろとご迷惑をお掛けしたようで」

「そんな、迷惑だなんて。わたしも優斗さんも自分たちのしたいようにしただけですから」

 改めて深々と頭を下げるファミリアに、優奈は顔の前でぱたぱたと手を振ってみせた。

「でも、急に外出禁止だなんて。あたし、何かいけないことしたのかな」

「美里のせいじゃないわ。ただ、ちょっとお外が危なくなっているだけ」

 少し厳しい口調でそう言った優奈に美里と蓉子は思わず顔を見合わせた。

「……確かにこの頃は何かと物騒だからね」

「そうそう。気をつけないと後ろからばっさりってやられちゃうかも」

 硬い表情で唸る蓉子に、美里が引き攣った笑顔で頷く。

 二人とも既に危険と遭遇しているだけに、他人事のように笑ってなどいられない。

 ファミリアに至っては恐怖のあまり、色白の顔をより一層白くしてしまっている。

「大丈夫よ。うちには優斗さんがいるもの」

 力強い優奈の言葉に、その意味を知る美里と蓉子は僅かに表情を和らげる。

「……大丈夫なものか」

「ディアーナ姉さん!?

 驚くファミリアにその名を呼ばれた少女は、しかめっ面でソファの上に身を起こしていた。

「あら、起こしちゃったかしら」

「別に眠っていたわけじゃない。それよりも、一刻も早くここから離れるんだ」

「ちょっと姉さん。そういう言い方は失礼ですよ」

「苦情を聞いている暇はない。急がないと全員が奴に食い殺されるぞ」

「急にそんなこと言われてもねぇ……」

 切羽詰まったディアーナの様子に、どうしたものかと蓉子が腕を組む。

「ディアーナさん、だったかしら」

「ディアーナでいい。年はあなたの方が上だ」

「……そんなに変わらないと思うんですけど」

 自分と同年代の少女にきっぱりと言い切られて、優奈は少し凹んだ。

「と、とにかく、少し落ち着いて。あたしたちにも分かるように説明してもらえないかな」

「…………分かった」

 蓉子の求めに幾らかの躊躇いを見せた後、ディアーナは小さく頷いて語り出した。

 自分がある目的のために草薙優斗に接触しようとしていたこと。

 そして、その過程で彼に対して許し難い感情を抱いてしまったこと。

「その結果がこれだ。わたしは邪気に憑かれて暴走してしまった」

 悔しげに唇を噛んで俯くディアーナ。その瞳には深い悔恨の色がある。

「彼には申し訳ないことをしたと思っている」

「そんな、あなたのせいじゃないわ」

「いや、邪気の侵入を許したのはわたしの未熟さ故の失態だ。何と詫びていいか」

 深々と頭を下げるディアーナに、あたふたと慌てる優奈。

「何ていうか、十代半ばの女の子の会話とは思えないんだけど」

 呆れたように呟く蓉子。その隣では何やら妹二人が姉談義に花を咲かせていたりする。

 そんな傍目にも平和な光景を他所に、危機は確実に彼女らへと迫っているのだった。




 ―――あとがき。

龍一「うーん……」

ティナ「気がつきましたか?」

龍一「君がいるということはここは天国か。俺もついにこっちに来てしまったんだな」

ティナ「バカなこと言ってないでさっさと戻って続きを書いて下さい。こっちはまだ第2話までしか出来てないんですから」

龍一「……ああ、天使の翼が黒く染まっていく。おまえは本当は悪魔だったんだな」

ティナ「いい加減にしないと本当に地獄に落としますよ」

龍一「わ、悪かった。だ、だから、それだけは」

ティナ「仕方ありませんね。現界に戻ったら、ちゃんと善を行い徳を積むんですよ。でないと、次は本当に地に落ちますからね」

――柔らかな微笑を残して天使は空へと消えていった。

 




安藤さん、復活の兆し!
次回は、いよいよ復活か!?
それとも、大どんでん返しが待っているのか!?
次回、安藤さん、カムバック!
君は、今束の間の奇跡の中にいる……。
美姫 「二回も続けて、同じネタをするなぁぁぁ!」
ぐがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
美姫 「飛んでけ〜〜!」
のぴょぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!
俺は鳥だ〜〜! (キラン)
美姫 「さて、いよいよ事件の核心へと話は向ってますね。次回も楽しみにしてます」



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