第32話 極寒

 

 ――危機が迫っている。

 それが人の手には余るものだと聞かされても、優奈は逃げようとはしなかった。

「例え人外の脅威が迫ろうともわたしはこの家を離れるつもりはありません」

 はっきりと声に出してその意思を表明する優奈に、ディアーナは驚いた。

「あたしも出来ればここを離れたくないな」

「そんな、逃げなければ確実に殺されるのだぞ!?

 何をバカなと言いたげに声を荒げるディアーナ。だが、それくらいで怯む二人ではなかった。

「ここはあたしたちの家なんだよ。そんな訳の分からないのに明け渡すなんて嫌だよ」

「…………」

「心配しなくても大丈夫だよ。そんな奴、優斗がやっつけちゃうから。ね、お姉ちゃん」

「そうね。優斗さんは強いもの。必ずこの家を、わたしたちを守ってくれるわ」

 美里の言葉に軽く頷き、優奈はディアーナへと向き直る。

「ディアーナさん」

「は、はい」

 急に表情を消した優奈に、ディアーナは思わず反射的に姿勢を正した。

「相手は雑念の集合体なのでしょ。そんなものにうちの人が負けたりはしません」

「は、はぁ」

「それに、あの人が戦いに出るというのなら、その留守を守るのはわたしの役目です」

 惚気とも取れる優奈の言葉に、ディアーナはがっくりと肩を落とした。

「やれやれ、婚約が成立した途端にすっかりその気になっちゃってるんだから」

「しょうがないよ。お姉ちゃん、これまでずっと我慢してたんだもん」

「これはその反動ってわけ?」

「まだまだこれからだよ。きっと、すごい楽しいことになる」

 美里はにこにこと嬉しそうに何やら確信めいたことを言う。

 ……何なんだ、こいつらは。なぜこんな状況で笑っていられる?

 邪気の恐ろしさが分かっていないのか。それにしたって、もう少し怯えてもいいだろうに。

「不機嫌そうですね」

 憮然とした表情で黙り込んでいる姉に、ファミリアが楽しそうに声を掛ける。

「戦いに私情を持ち込んだところで圧倒的な力の差を埋められるとは思えない」

「さて、どうでしょうか。この人たちならあるいはそういうこともあるかも知れませんよ」

「やけに楽しそうだな。わたしがこんな顔をしているのがそんなにおかしいか?」

「姉さんが他人に肩入れするのは珍しいですからね」

「同じ悪足掻きをするなら、せめて前向きでいようと思っただけだ」

 そう言うと、ディアーナは全員に背を向けるようにしてソファに横になった。

「姉さん?」

「少し眠る。このままじゃ戦えないからな」

 そう言って彼女は目を閉じた。どうやら今度こそ本当に寝てしまったらしい。

 その様子に気づいた蓉子と美里が騒ぐのを止める。

 優奈は押入れから毛布を出してくると、そっとディアーナに掛けてやった。

「すみません」

「今日は何だか冷えます。あなたも風邪をひかないように気をつけて」

 優奈の言葉を裏付けるかのように、美里が小さくくしゃみをする。

「おかしいよ。まだ八月なのに、これじゃまるで北国にいるみたいだ」

 厳しい口調でそう言って温度計を見た蓉子は、それが示す数字の低さに思わず眉を顰めた。

「エアコンの故障、というわけでもなさそうですね」

 動いていないエアコンを見上げてファミリアが首を捻る。

「とにかくこのままじゃ皆風邪をひいてしまうわ」

 エアコンをヒーターで起動させ、優奈が急いで押入れに上着を取りに行く。

 そうこうしているうちに、寒さに耐えかねた優斗が何事かとリビングに顔を出す。

「おい、何やってるんだ」

「あたしたちのせいじゃないわよ」

 いきなり犯人扱いされた蓉子はむっとした顔で優斗を睨んだ。

「何だか分かんないけど、急に寒くなったの」

「それでヒーターを入れてるってわけか。しかし、この寒さは尋常じゃないぞ」

 ようやく温まり始めた室内を見渡して優斗は思わず眉を顰めた。

 何しろ窓に集まった水滴のせいで向こうがどうなっているのかまったく見えないのだ。

 冬じゃあるまいし、こんな光景は優斗には冗談としか思えない。

 ……いよいよ本格的に動き出したというわけか。

 優斗の顔に緊張が走る。

 間の悪いことに上着を持って戻ってきた優奈はその表情を見てしまった。

 ―――――――

 優奈たちが防寒対策に追われている頃、街では既に新たな異変が起きていた。

 一体どこから湧き出してきたのか、大量の泥人形が街のあちこちに出現して暴れだしたのだ。

 ――その数およそ百。

 これに対して共存者連盟は保安局から八個小隊二十四人を出して迎撃に当たらせている。これはこの街の連盟保安局が有する歩兵戦力の三分の一であり、平時にこれだけの規模の部隊が投入されるのは初めてのことだった。

 各地域には連盟から派遣された監視員がおり、通常はこちらが対処することになっている。彼らは専門の狩人であり、その一人一人が単独で邪妖と渡り合えるだけの実力を有しているため事件が起きても比較的早い段階で解決することが出来るのだ。

 だが、今回は少し勝手が違った。

 事前に起きていた異常気象のせいで誰もそれが目に見える形になるまで気づかなかったのだ。

 大変なのはこんな異常事態に曝された住民たちである。

 現代を生きる多くの人間はそれと関わった経験を持たない。

 この街の住人たちとてそれは同じである。

 今目の前で暴れている人型は彼らにとって全く未知の存在なのだ。

 それ故に、襲い来る泥人形を前にした住民たちの反応は様々だった。

 さっさと逃げ出すもの。好奇心から適当な得物を手にちょっかいを出すもの。

 中には冷静に状況を把握し、警察や保健所にこれを通報したものもいただろう。

 だが、それらが現場に到着するよりも早く行動を起こしたものがいた。

 傍若無人の情報収集魔こと、佐藤かおりである。

 何故か彼女は両手に小太刀を持ち、目につく泥人形を片っ端から潰して回っていた。

 ――事の起こりは今から二時間ほど前にまで遡る。

 うっかり寝坊してしまったかおりは大急ぎでバイト先である近所の神社へとやってきた。

 完全な遅刻である。

 朝の対策は万全の彼女だが、さすがに眠ったのが今日の午前三時では起きられるはずもない。

 疲れた体を引きずって境内まで上がり、同僚たちの脇を抜けて社に入る。

 そこで巫女服に着替えて外に出た彼女は、呆然と立ち尽くしている同僚たちを見回して一言。

「……誰が、やったの?」

 小さな、本当に小さな声で問い掛ける。その声が、握った拳が、小刻みに震えていた。

 オーラすら立ち昇らせるかおりの静かな迫力にその場にいた全員が大急ぎで首を横に振った。

 そのときどこからともなく現れた一体の泥人形が崩れかけていた石碑の一つを砕いた。

 それは彼らにとって、自分から処刑台の上に立つに等しい行為だった。

「……お、ま、え、かぁぁぁっ!」

 かくして、激怒したかおりの手によって世にも凄惨な泥人形狩りが始まった。

 ―――――――

 疾風の如く通りを駆け抜け、すれ違いざまに胴を寸断する。

 まるで容赦のない一撃に、狙われた泥人形は瞬時に崩壊してしまった。

 そうやって彼女が倒した敵の数は既に三十を超えており、いい加減うんざりしてきていた。

 この頃にはようやく連盟から派遣された部隊も各所で敵と遭遇し、これを撃滅し始めている。

 この戦いは連盟側の圧倒的有利となり、これで事態は一気に終息へと向かうかに思われた。




 ―――あとがき。

龍一「はっ、俺は一体……」

蓉子「うわっ、本当に復活した!」

龍一「いきなり失礼な奴だな。この俺が今更焼かれたくらいでくたばるとでも思ったのか?」

蓉子「いや、いばって言われても」

龍一「まあいい。ところで、かおりはどうしたんだ?」

蓉子「疲れたって言ってそこで寝てるよ」

龍一「…………」

――かおりの無防備な寝顔を見て理性が。

蓉子「あー、はいはい。男は見ちゃダメ」

龍一「ぬぬっ、少しくらい良いではないか」

蓉子「あんたの場合、捕って食べちゃうでしょ」

龍一「ふっ、甘いな。その娘は既に試食済みだ」

蓉子「なっ!?

龍一「な〜んて、そんなわけないだろ」

蓉子「…………」

龍一「こ、この女の敵!」

――ごごごごごごご……。

龍一「俺が一体何をしたぁぁぁぁぁぁぁ!」

――作者の断末魔があとがきにこだまする。

蓉子「……かおり。敵は取ったよ」

――達成感に満ちた表情で歩み去る。

その後、作者の躯だけがいつまでも燃え続けていたとか。

 




遂に復活を遂げた安藤さ……。
美姫 「しつこい!」
がぁっ!
美姫 「全く、いつまでやるつもりだったのよ」
あ、あははは。
しかし、遂に事件の核と思われるモノが」
美姫 「街は街で大変な事に」
果たして、事態は無事に収束するのか。
美姫 「切羽詰まった状況下でも、しっかりと惚気る優奈をまた見れるのかしら」
全ては次回以降。
美姫 「それでは、次回も楽しみにお待ちしてます」
ではでは。



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