第33話 求めていたものは……
……それから三日後。
草薙家ではすっかり回復したディアーナが、美里を相手にボードゲームをやっていた。
優斗と美里がよくやっている盤上で駒を取り合うあれである。
ディアーナはその年の娘にしては娯楽に疎く、初めて見るそのゲームに興味を覚えていた。
そんな彼女に優斗が基本ルールと戦術を教え、美里を最初の対戦相手に指名した。
延々と負け続ける優斗との戦いに疲れていた彼女は、いい息抜きとばかりにこれを承諾した。
こうして始まった二人の戦いは美里が若干の優勢を見せながらも中々の好勝負となっている。
キッチンでは、ファミリアが優奈の隣に立って夕食の支度を手伝っている。
二人とも毎日やっているというだけに、その手際は中々のものである。
「でも、本当にこれでいいんでしょうか」
こんがり狐色に揚がったコロッケをキッチンペーパーに取りながらファミリアが言った。
「おいしそうじゃない。これのどこに不安があるの?」
「いえ、料理のことではなく」
「あ、ほら、早く上げちゃわないと」
言われてファミリアは慌てて残りのコロッケをキッチンペーパーの上に引き上げた。
「ふぅ、危うく真っ黒にしてしまうところでした……」
「油を使っているときはあまり他のことを考えない方がいいわよ」
「すみません。って、そうじゃなくて」
流されまいと食い下がるファミリアには取り合わず、お玉で軽く鍋をかき混ぜる優奈。
「うん。いい感じ」
リビングでは美里がいよいよディアーナを追い込みに入っていた。
「これをこうして、……これでどうだ!」
「ぬぅ、中々やるじゃないか」
自分の策を崩されたディアーナは感心したように声を上げる。
「二人ともそれくらいにして。ご飯にしますから、手を洗ってらっしゃい」
「えーっ、今いいとこなのに」
「美里。食事は皆でするものだ」
「うん。分かった」
ディアーナに軽く窘められて、美里は素直に席を立った。
「ディアーナ。悪いんだけど、優斗さんを呼んできてもらえないかしら」
「優奈が行けばいい。その方があいつも喜ぶ」
「うふふ。そうしたいんだけど、わたしは今ちょっと手が放せないの。お願い出来るかしら?」
「……分かった」
少々怪訝な顔をしつつ、頷いて彼女は席を立った。
……まったく、どうしてこの家の人たちはこうなのだろう。
邪気に対する方針を決めたときもそうだ。まるで恐れることなく笑っていられる。
虚勢ではない本物の強さをこのものたちは持っているとでもいうのだろうか。
命を救われたあの日からずっと、彼女はそのことばかりを考えていた。
サンダルを引っ掛けて庭に出る。そこから裏に回ったところでディアーナはふと足を止めた。
……空気を切り裂く鋭い音。伝わってくる静かな気迫が彼女に踏み出すことを躊躇させる。
目の前で一心に剣を振る少年は、まるでディアーナのことなど気づいてもいないようだった。
……すごい、なんてものじゃない。本当にこれがあの草薙優斗なのかと目を疑ってしまう。
以前に対峙したときとはまるで違う。一撃一撃に確かな鋭さがある。
あのとき手を抜いていたとは思えない。
だが、果たして人間とはこの短期間にこうも急激に成長するものなのだろうか。
彼女が声をかけるべきか迷っていると、不意に彼が口を開いた。
「そこにいるのはディアーナか。もう外に出ても大丈夫なのか?」
剣を振る手はそのままに、優斗が尋ねる。
「え、あ、ああ、おかげさまで」
少し戸惑いがちに答えるディアーナ。なんだ、気づかれていたのか。
「そうか。まあ、作戦開始までにはまだ日がある。ゆっくりしてるといいよ」
そう言って優斗はまた剣を振った。鋭い斬撃。そこには一点の曇りもない。
「おまえはなぜ戦う。民間人なのだから、連盟とやらに任せて隠れていればいいじゃないか」
尤もな疑問だった。連盟という機関がある以上、あえて民間人の彼が危険を犯す必要はない。
「本能とでもいうのかな。どうも人任せにはしていられないんだ」
「……自分の縄張りは自分で守る」
「そういうこと。それに、ちゃんとした理由も他にある」
「ほう」
ディアーナは興味ありげに眉を動かした。
「それはぜひとも聞かせてもらいたいものだな」
「いいよ。その代わり、君の方の理由も聞かせてもらえるかな」
「わたしの理由?」
「分霊体である君がどうして俺に対して怒っているのか、その理由を聞かせてほしい」
優斗の剣が虚空で止まる。
その刃を胸に突き立てられたような衝撃に、ディアーナは思わず息を呑んだ。
―――――――
……最初は償いのためだった。
悲しいことが少しでも減るように。人々が冷たい涙を流さずに済むように。
自分が死なせてしまった命への罪滅ぼしとして、草薙優斗は剣を取った。
―――――――
……冷たい雨の降る夕方だった。
ずっと一緒にいた人にもう一緒にいられないと言われて、ひどく悲しかったのを覚えている。
遮るもののない空から降り注ぐ雫は容赦なくその仔から何もかも奪ってしまった。
愛しい人も、安心して眠れる場所も、そして、命さえも……。
死という名の終わりを肌で感じながら、ただじっとその瞬間を待っている。
恐れはない。
何もかも失くしたその仔はもうそれを受け入れてしまっていたから。
未練といえるものがあるとすれば、それは本当にささやかなもので。
……せめて青い空の日にそうなりたかった。そんな、ささいなこと。
けれど、死してなおその仔はそこにいる。未練なんて何もなかったはずなのに。
……死ぬ間際に差し伸べられた手。あの悲しくも優しいぬくもりにもう一度触れたい。
その想いがその仔を長く縛り続けることになり……。
―――――――
そして、わたしが生まれた。
ディアーナという名前はそれをした男が便宜上付けたものだが、そんなことはどうでもいい。
わたしはただ与えられた情報を元に目的の人物を探すだけだった。
その子の記憶はもう何年も前のものだったけれど、それでも探せないということはなかった。
見つけて、その仔の元へと導く。それがわたしがこの世ですべき唯一のこと。
少しの時間を掛けて見つけたそいつは栗色の娘と一緒だった。
――笑っていた。
どこか困っているようにも見えるが、それでもそいつは嬉しそうな顔をしていた。
その笑顔を見たとき、わたしは何故か無性に腹が立った。
「許せなかったんだ。何も知らずにへらへら笑っていたおまえのことがたまらなく憎かった」
淡々と語るディアーナの話を、優斗は黙って聞いていた。
「またやっちまったんだな俺は」
否定も弁解もしない。ただ、そうとだけ呟いて彼は静かに剣を収めた。
「さて、互いに過去形なわけだが。さすがにこれじゃあ答えたことにはならないか」
「同感だな。やはり、情報は最新のものでなければ意味がない」
「それじゃ、改めて聞くが、今の君は一体俺のことをどう思ってるんだ?」
「そ、それは……」
なぜか顔を赤くして俯くディアーナ。いきなりかわいくなられて優斗は僅かに眉を寄せた。
「……わたしはどうやら誤解していたようだ。おまえは人の痛みが分からない奴じゃなかった」
「こんな仕事をしていれば嫌でも分かるようになるさ」
「おまえの答えを聞かせてもらおうか。そんな辛い思いをしてまで戦い続ける理由が知りたい」
「そうだな」
優斗は少し考えた。
「細かな事情はいろいろあるが、とりあえずは大切なものを守るためかな」
「…………」
「な、何だよ。悪いか」
「いや、大事なことだと思う。そうか、大切なものを守るためか」
ただその言葉を噛み締めるように、もう一度胸中で繰り返してみる。
ようやく、自分にも分かったような気がする。
いつか妹が言っていた事の意味もあの仔が未だに拘り続けている理由もきっと、そこにある。
「……わたしにもあるのかな」
「ん?」
「何でもない。さあ、もう戻るぞ。皆が待ってる」
照れ隠しでもするかのように軽く頭を振って、ディアーナはくるりと踵を返した。
「遅いよ二人とも!」
「いや、悪い悪い」
「お先にいただいてます」
戻ってきた二人に美里が文句を言い、優奈が軽く頭を下げる。
……これが家族。そこにいる者たちにとって、何物にも代え難い、暖かくて優しい場所。
ファミリアが視線で姉を促す。それに従う形でディアーナも席に着いた。
――妹よ。わたしたちは良いところに招かれたようだな。
心の中でそう呟きつつ、改めて幾つかのことを決意する。
外ではまだ連盟と邪気の戦いが続いていた。
―――あとがき。
今回のあとがき座談会はお休みです。
いよいよ間近に迫った邪気との闘い。
美姫 「その前の束の間の一時」
果たして、どんな結末が待っているのか!?
美姫 「次回も楽しみ〜」
それでは、また次回で。