第34話 愛と憎しみの狭間で
――八月の月が満ちた夜。共存者連盟はこの街を侵食しようとしている邪気の一団に対して総攻撃を開始した。月光の影響で闇の力が著しく制限されるこの日を期に、一気に敵を殲滅するつもりなのだ。
この作戦のために、連盟極東支部は各地に応援を要請してその戦力を強化している。
報告によれば、このとき作戦参加者は後方での支援も含めて軽く二百人を超えていたという。
この人数はそのまま作戦の難しさを表している。連盟は決して敵を軽視してはいない。
だからこそ、最初から圧倒的多数を投じての物量戦を仕掛けることにしたのだろう。
……しかし。
優斗はどうにも腑に落ちない。敵は本当に弱体化しているのだろうか。
保安局の連中がこれまでに交戦した相手はいずれも脆弱な泥人形ばかりだったという。
これは数こそ多いものの、戦闘能力自体は下手をすれば並の人間より低いのだ。
対する連盟側はほとんどが戦闘のプロである。
これで数もこちらの方が上とくれば、はっきり言って邪気の側に勝機はない。
相手に知性があったとして、果たしてそんな無謀な戦いを挑んだりするものだろうか。
「つまり、敵はこの圧倒的不利を覆すだけの策を持っていると?」
ファミリアの問いに、優斗は厳しい顔で頷いた。
「もしくは別の何かを狙っているかだな」
「目的が殺戮でないのなら、あえて勝利する必要はない」
「そういうこと」
やはり厳しい顔で呟くディアーナに、蓉子が軽い調子で肯定する。
「いずれにしても敵の根拠は分かってるんだ。そこを叩けばそれで終わりだよ」
そう言って優斗は席を立った。
戦うことの出来ない優奈と美里、未だ力の回復しきっていないディアーナは留守番だ。
蓉子にも護衛に残ってもらい、優斗はファミリアと二人で目的地を目指す。
彼らはあえて連盟の作戦には参加せず、自分たちだけの判断で動いていた。
――連盟と邪気が正面対決をしている間に戦場を迂回してコアを叩く。
当然敵は護衛をつけているだろうが、少々の相手なら強行突破すればいい。
「……何だか、無茶苦茶な作戦ですね」
正規軍を囮に使うというこの作戦にファミリアは呆れとも諦めともつかない感想を漏らす。
これに対して、作戦立案者である蓉子はなぜか無言で不敵な笑みを浮かべていたという。
「あいつのああいうところは昔からだからな。まあ、運河悪かったと思って諦めてくれ」
「はぁ」
歩きながら済まな面白そうにそう言う優斗に、ファミリアは小さく溜息を吐いた。
「でも、本当に上手くいくでしょうか」
「不安か?」
「もし、敵の数がこちらの予想を超えていたら。わたしたちだけでは対処しきれませんよ」
「そのときは少しばかり本気で暴れてやるさ」
優斗の右目が一瞬青く光る。
そこに絶大な力の気配を見たファミリアは、言い知れぬ恐怖に小さく身を震わせた。
……これが狂気を克服したものの力。裁きの青眼者の異名は伊達ではないということですか。
内心の恐れを必死に押さえ込もうとするファミリア。
そんな彼女の様子を知ってか知らずか優斗はすぐにいつもの彼に戻っていた。
それからどれだけの距離を歩いただろうか。不意に優斗が足を止めた。
「……人間が二人。こちらを警戒しているようですが、害意はなさそうですね」
隣に並ぶファミリアが少し緊張した声で優斗に状況を報告する。
先方でもこちらに気づいたのか、一組の男女が街灯の下に足を止めていた。
「かおりちゃん!?」
「ファミリアさん!?」
お互いの姿を確認して二人の少女が同時に声を上げた。
「どうしてこんなところに?」
「かおりちゃんこそ。その格好。小太刀まで持ち出したりして」
ファミリアの問いに忘れられていた男の一人、綾崎刀夜が答えた。
「どうやらお互いに考えていたことは同じだったようだ」
「そうらしいな」
どこか憮然としたようにも見える戦友の表情に優斗は小さく苦笑した。
「どうだろう。ここは一つ、共同戦線ってことで」
「異論はない。というか、その方が早く片付くのでこちらとしても助かる」
優斗の提案に刀夜が軽く謝意を示す。
そのとき、彼方で閃光が上がった。
「……始まったようだな」
「では、我々も行くとしよう」
優斗と刀夜が剣を抜き、ファミリアが自分の周囲に不可視を形成する。
その動きに呼応するかのように、複数の場所で同時に邪気が動いた。
―――――――
優斗の危惧していた通り、現れた敵はこれまでとは比較にならないほど強力なものだった。
見慣れた人型に混じってゴーレムやドラゴンといった魔物が出てくる。
それらは相変わらず天然素材製なのだが、個々の能力は本物と比べても見劣りしない。
「何か、RPGの主人公にでもなった気分ね」
ドラゴンの首を小太刀で切り飛ばしながら、楽しそうにかおりが言う。
「つまらんこと言ってないで働け。敵はまだまだいるんだぞ」
やはりゴーレムの胴体を寸断しつつ、刀夜が不謹慎な妹の発言を窘める。
こちらは顔色一つ変えてはいない。
その少し向こうでは人外組が鬼神のような強さで次々と敵を蹴散らして回っていたりする。
そう、彼らは強かった。
灼熱の火炎を吐くドラゴンや巨腕を振るうゴーレムを前にしてこれらを余裕で圧倒している。
「……話にならないわね。この程度の手勢で本気でわたしたちを止められると思ったのかしら」
手近な敵を粗方片付けたかおりは軽く息を整えつつ辺りを見回した。
見れば他の三人も似たような状況で、それぞれに武器を構え直している。
敵はまだそれなりに残っていたが、最初のような勢いが見られるものはいなかった。
「所詮はただの動く埴輪だな。まるで手ごたえがない」
「爆雷で一気に片付けますか?」
つまらなそうに剣を振る刀夜に、ファミリアが物騒な提案を持ち掛ける。
「それもいいが、少し妙だとは思わないか?」
「確かに、こいつらボスキャラの周りを固めてるにしてはイマイチ手ごたえがないわよね」
「まさか、これも罠だと言うんですか?」
「あるいは囮だな」
刀夜の漏らした囮という言葉に一瞬三人が硬直する。
――敵の目的は未だ判然としない。
相手を潰すことばかりに気を取られていて、彼らはすっかりそのことを失念していたのだ。
「嫌な予感がするわね。草薙君、一度戻った方がいいんじゃない?」
かおりの言葉に刀夜も頷く。
「残敵掃討は我々でやっておこう」
「済まない」
「お気になさらないで下さい。それより早く。残してきた姉のことも気になります」
皆に軽く頭を下げて優斗は駆け出した。
行かせまいと立ち塞がったゴーレムを両断し、一気に戦線を突破する。
「相変わらず見事な手際だな」
瞬く間に見えなくなった友人の背中に、刀夜は感心したように息を漏らす。
「こっちもさっさとやっちゃいましょうよ。これ以上、数が増えても面倒だし」
二本の小太刀を腰だめに構えて、かおりが一歩前に出る。
「待て。……出てこい」
静かに威圧するような刀夜の声に、大気が僅かに振動する。
刹那、それまで何もなかった空間にそいつは唐突に姿を現した。
「くくく、我の存在を見抜いたか。人間にしては中々に良い目をしているようだな」
黒く爛れた肌。鋭く伸びた爪と牙。三メートルはある巨体の背には一対の翼が生えている。
「……何ていうか、お約束な展開よね」
「ナンセンスだな」
「わたし知ってます。こういうのってやられ役って言うんですよね」
口々にひどいことを並べ立てる三人。
「やかましい!」
「あ、切れた」
「貴様ら、言わせておけばいい気になりおって。八つ裂きにしてくれるぞ」
「黙れ、やられ役」
「うっ、ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
刀夜の冷徹な一言に、逆上した悪魔が咆哮する。
「やれやれ、余計な手間を取らせおって」
「まあ、お約束に忠実な奴で助かったけどね」
泣きながら走り去った悪魔を、兄妹は何ともいえない表情で見送った。
「追わなくていいんですか?」
「放っておけ。害があるようなら連盟の方で対処するだろう」
「はぁ」
あっさりとそう言われてファミリアは少し困った顔になった。
「では、これはどうすればいいでしょうか」
そう言って軽く持ち上げた彼女の両手には限界まで高められた爆雷の光がある。
「…………」
「現実逃避しないで下さい!」
微妙に視線を逸らした刀夜に、ファミリアは心の底から突っ込んだ。
―――――――
かおりたちが残敵掃討に力を注いでいる頃、草薙の家では笑えないことになっていた。
夜食を作っていたディアーナが突然倒れたかと思うと、包丁で蓉子に斬りかかったのだ。
とっさに反応したものの、それでも避けきれずに蓉子は手痛いダメージを追ってしまう。
「な、何を……」
「……そこでしばらく大人しくしていて。そうすればあなたにはこれ以上危害は加えないから」
完全に別人の口調でディアーナは言う。その目は暗く沈んだ赤色をしている。
蓉子の脳裏を優斗の言葉が過ぎる。彼女はついこの間まで強力な邪気に憑かれていたのだ。
……止めさせないと。
痛む脇腹を押さえて立ち上がろうとする蓉子。その耳に美里の悲鳴が飛び込んできたとき、彼女は反射的に床を蹴っていた。
――死なせてはいけない。
ただその一身でディアーナに飛びつき、そのまま床へと押し倒す。
「この、放せ!」
もがくディアーナを必死に押さえつける蓉子。その目には涙すら浮かんでいた。
……優奈、美里。
拾ったその日からずっと優斗と二人で世話してきた。蓉子にとっては自分の娘も同然なのだ。
「放さないよ。放したらあんたはきっと取り返しのつかないことするから」
血塗れの包丁が乾いた音を立てて床に落ちる。それで二人の攻防も終わりだった。
痛みと出血のせいで蒼白になっていた蓉子の顔に、微かだが安堵の色が浮かぶ。
「どうして……」
そんな彼女の表情をディアーナは呆然と見上げていた。
その目は相変わらず別人のものだが、そこに先程までのような狂気はもうない。
蓉子は今度こそ安心すると、そのまま眠るように意識を失った。
「蓉子さん!」
優奈が慌てて蓉子に駆け寄り、その惨状に言葉を失った。
なんと彼女は肋骨の一部を砕かれ、その破片で内臓にまでダメージが及んでいたのだ。
「救急車、急げ!」
戻ってきた優斗が状況を見るなりそう叫び、美里がリビングの固定電話に飛びついた。
「蓉子さん、……蓉子さん!」
必死に呼び掛ける優奈の声も虚しく、蓉子の体はどんどん冷たくなっていく。
「救急車はまだかよ。このままじゃ、こいつ本当に……」
「縁起でもないこと言わないで。蓉子はこんなことくらいじゃ死なないよ!」
「けど、……いや、そうだな」
美里に怒鳴られて優斗は軽く頭を振った。
「こいつはきっと、どんな逆境でも撥ね退ける。強いやつだからな」
そう言って優斗は背を向けた。何となくその足で庭へと出てみる。
血塗れの少女がそこにいた。
「ディアーナ、なのか?」
思わず問い掛けてしまう。
なぜならその娘の輪郭はひどくぼやけていて、今にも消えてしまいそうだったから。
「……とっくに克服したと思っていたんだがな」
「二重人格」
「少し違うな。あれは、わたしたちの核となった娘の人格だ。名はない」
呟く優斗に、ディアーナは何ともいえない渋い顔でそう説明してくれた。
「あの娘はわたしと同じだ。おまえの幸福に嫉妬し、その笑顔を憎んだ」
「だから、壊そうとしたのか」
「弁解の余地もない」
そう言って頭を下げるディアーナに、優斗は小さく苦笑した。
「おまえは俺と同じだよ。どうしようもないくらい不器用でバカだ」
「……そうなんだろうな。だから、償いにもこうして消えることくらいしか思いつかない」
「俺のことはもういい。あいつだってまだ死んだと決まったわけじゃないんだ」
「所詮、わたしは使い魔、ファミリアだ。役目を終えれば消えるのが定め。もしも、わたしという存在が世界に認められているのなら、いずれ彼方の時空で再び出会うこともあるだろう」
そう言って微笑む彼女の横顔が、優斗にはひどく美しいものに見えてしまったから。
「さらばだ草薙優斗」
「待て。そんなの俺は認めないぞ!」
「少しの間だったけれど、わたしはおまえたちと一緒にいられて楽しかったぞ」
その言葉を最期に、少女の姿は夜へと溶ける。
残されたものの呟きはあまりに寂しく、悲しいほどに空虚だった。
―――あとがき。
今回もあとがき座談会はお休みです。
うーん、決着が付いた事はついたけれど……。
美姫 「ディアーナが……」
そして、傷付いた蓉子は大丈夫なのだろうか。
美姫 「次回がとっても気になるわね」
おう! という訳で、早速、次回へ。
美姫 「行きましょう〜」