第3話 少女と桜と赤の幻

   * * * * *

 ――桜の木の下。

 風に乗って流れる花弁の向こうに、赤い髪の少女が月光を浴びながら立っている。

 それは酷く幻想的で、現実感に欠ける光景だった。

 少なくともこの場では決してあり得ない。学園の屋上の床は全面コンクリートだし、何より今は昼なのだ。

 屋上の扉を半分開けた格好で立ち尽くしている優斗へと、蓉子が追いついて声を掛けようとする。だが、彼女もそれに気づいたらしく、彼の肩へと伸ばしかけた手が途中で止まる。

「指向性の幻覚。それも捉えた相手の精神を攻撃するタイプのものみたいね。ちょっと、大丈夫?」

 冷静に分析しつつ、蓉子は中途半端な姿勢で固まっている優斗へとそう声を掛ける。何しろ妖術だの何だのというものに対して、彼自身はまったく耐性がない。

 いや、精神的なものに対する抵抗力は強いので、それと分かれば打ち破るのは難しくないのだが。

 現に蓉子の解説を聞いた優斗はすぐにこちらの世界へと戻ってきた。

「らしくないわね。戦った後だっていうのに、気でも緩んでたの?」

 軽く頭を振って幻の余韻を振り払う優斗に、蓉子が少し呆れたようにそう尋ねる。本当は心配なのだが、それを素直に出すのはどうにも照れ臭い。

「そうだな。少し油断してた」

「何よ、本当に気づいてなかったの?それじゃ何で真っ直ぐに屋上なんかに来たのよ」

「それはほら、ここからならある程度学園内を見渡せるだろ。さっきみたいに露骨な奴がいればすぐに見つけられるしな」

「ふーん、まあ良いわ。それで、これからどうするの?」

 尤もらしいことを言う優斗に疑わしげな視線を向けつつ、蓉子は屋上へと続く扉を開けて外に出る。

「とりあえず、蒼牙の妖気に反応する性質を利用して学園内に不穏な気配がないか探させる。少し時間が掛かると思うから、おまえは授業に出てて良いぞ」

「そんなこと言って、あんたまた一人でサボるつもりでしょ」

「おまえだって、どうせ教室戻っても寝てるだろうが」

「はぁ、サボることは否定しないのね」

 腰に手を当てて呆れたとばかりに溜息を漏らす蓉子。優斗からの反撃はきれいにスルーだ。

「前期試験近いんだからさ、あんたもそろそろ真面目に勉強しなさいよね」

「いや、まあ、分かってはいるんだけどな。こう、いろいろと忙しいんだ」

「言い訳無用。まったく、どうしてこうだらしないのかしらね」

「おまえだって、人目がないところでは結構雑把な生活してるだろうが」

「プライベートの時間くらいはのんびりしてたって良いじゃない。それが目当てでこっちに残ったんだからさ」

 ベンチに腰掛けて足をぶらぶらさせながら、蓉子はそう言って空を見上げた。先の戦闘等なかったかのように、空は何処までも青く澄み渡っている。

「気ままな一人暮らしも良いが、偶には実家のほうにも連絡しろよ。おじさん、この間心配して俺のとこに電話してきたぞ」

「げっ」

「げっ、じゃない。どうせ、二月の母さんの葬式以来ろくに顔も合わせてないんだろ。親孝行したいときには親は無くなんてのは洒落にもならんから、今のうちに適当に孝行しとけ」

 真面目な顔でそう言う優斗に、蓉子は思わず目を瞬いた。

「何だ?」

「いやさ、割と普通に言ってるなって思って。その、優佳おばさんのこと」

 遠慮がちにそう言った蓉子の言葉に優斗はああ、と頷いた。

 彼の母親、草薙優佳は今年の二月に病気でこの世を去っていた。元々身体が丈夫ではなかったのに加えて心身の疲労が重なったことで、病魔に抗しきることが出来なかったのだ。

 母が死んだとき、優斗は泣かなかった。

 外聞がどうとか、男のプライドとか、そんな下らない理由ではなく、ただどうしたら良いのか分からなかったのだ。

 必死で病魔と闘う姿を見て、少しでも助けになればと蓉子と二人でずっと看病してきた。それでも日に日に弱っていく母に、何度絶望しかけたか分からない。

 覚悟はしていた。医者にも匙を投げられ、本物の祓い師にも退けることが出来なかったのだ。

 だが、実際に目の前であの世に旅立たれるとどうだろう。

 それから暫くは何もかもが空虚で、酷く稀薄だった。ともすれば、心にぽっかりと空いてしまった空白に自分自身呑まれてしまいそうで、……恐ろしかったのだ。

 そんな恐怖を振り払うかのように、優斗は働いた。求人雑誌を開いて目に付いた端から面接を受け、昼夜を問わず、ただがむしゃらに働き続けた。

 中には彼のそんな様子を訝るものもいたが、母親が死んで、一人で生きていかなければならなくなったと言えば、大抵の大人は納得してくれた。

 ただ一人、蓉子だけは例外だった。彼女は優斗の本心を正しく見抜いており、その危うさに危機感を覚えていたのだ。

「気にしてないわけじゃないさ。ただ、さっきも言ったように忙しいんだ。それ所じゃないって言ったら母さんに悪いけど、優奈たちのこともあるしな。おまえにも何かと手伝ってもらってるわけだし、いらん心配も掛けられないだろ」

「べ、別にあたしは心配なんて……」

 優斗の言葉に、蓉子は顔を赤くしてそっぽを向いた。

 こいつは何を言うのだろう。それは、無茶をしなくなったことは素直に嬉しいが、だからと言ってそれを認めるのは何となく癪だった。

「まあ、そういうわけだから、建設的でない無茶はもうしない。おまえや優奈たちに説教されるのも嫌だからな」

「そ、そう」

「安心したか?」

「だから、別にあたしはあんたのことなんて何とも思ってないんだって言ってるでしょ!」

 そう言って勢いよく振り向いたかと思うと、蓉子は優斗目掛けて拳を突き出した。完全に照れ隠しだったのだが、その握った拳には彼女の心情を表すかのように、赤く揺らめく炎が纏わり着いていた。

「え、えーっと、バーニングフィスト、ダブルシュート?」

 まともに炎拳を受けて煤けている優斗を見て、蓉子は引き攣った笑みを浮かべてそう言った。

「…………」

 優斗は無言でゆらりと立ち上がると、ぽんっと蓉子の肩に手を置いた。その顔には彼らしからぬ凄絶な笑みが浮かんでいる。

「あ、あははは……」

 蓉子は笑うしかなかった。その心は激しく逃げたいと叫んでいるが、彼の怒気に当てられた身体のほうは少しも動かすことが出来ない。

「……今日はこれで二度目だよな」

「だ、だって、優斗がバカなこと言うから……」

「ほう、俺が悪いと」

「うっ、そ、そうよ。大体、何であたしがあんたの心配なんかしなきゃなんないのよ!」

 目を細めて冷ややかな視線を送ってくる優斗に、蓉子は開き直ったようにそう叫ぶ。さすがに現役ハンターの、それも間違いなくトップクラスの実力者に本気のプレッシャーを掛けられては堪らなかったのだろう。

 だが、蓉子はここで致命的なミスを犯した。少なくとも素直に謝っていれば、寛容な彼はきっと、いや、多分、もしかしたら少しのお説教と燃やしたシャツの弁償くらいで許してくれたかもしれなかった。

 いや、わざとプレッシャーを掛けて彼女を追い込んでいる時点で、優斗は制裁を加える気満々のような気がしないでもないのだが。

「おまえが俺を心配してくれるのは嬉しいが、とりあえず照れ隠しに狐火を放つのは止めような」

「だ〜か〜ら〜、人の話を聞きなさいよ!」

「おまえこそ、大声出す前に謝れ。何ならさっき話してた今度の夜の分、今ここでやっても良いんだぞ」

「なっ!?

「そうだな。野外プレイってのも一度やってみたかったんだ。ちょうど良いからおまえの調教……もとい、おしおきも兼ねて試してみるか」

 絶句する蓉子を他所に、優斗は邪悪な笑みを浮かべてそう言うと蒼牙の特殊能力の一つを使って人払いの結界を展開させた。

「ちょ、やだ、冗談でしょ!?

 我に返った蓉子は慌てて優斗の手を振り解こうとするが、がっちりと掴まれているようでびくともしない。

「俺が冗談で魔剣の力まで使うと思うか?」

「いや、優斗ならやりかねな……じゃなくて、ごめんなさい。今の無しっていうか、寧ろ冗談にしてよお願いだから」

「心配しなくてもちゃんと人払いはした。それに、今更遠慮するような関係でもないだろ」

「遠慮とか、そういうのじゃなくて。ああ、もう、あたしが悪かったから。ね、謝るからこの通り勘弁してよ」

 滝のように冷や汗を流しながら、必死で謝り倒す蓉子。しかし、その願いも虚しく、優斗は彼女の身体へと空いているほうの手を伸ばす。

「いやーーーーーっ!」

 昼休み終了間近の屋上に蓉子の悲鳴が響き渡った。

   *

 ――そして、放課後……。

 二人は並んで草薙家への道を歩いていた。

 疲れきった表情で足取りも覚束ない蓉子の肩をボロボロになった優斗が支えながらの下校である。本来なら好奇の視線を集めまくるところだが、通りを行き交う人々は誰も彼等のことを気にも留めない。

 そんな視線に曝されるのは堪えられないということで蓉子が幻術を使って目立たないようにカムフラージュしているのだが、まったく便利なものである。

「……その、何だ、悪かった」

 さすがに調子に乗り過ぎたと思ったのか、バツが悪そうにそう言って謝る優斗。

「べ、別に良いわよ。元々はあたしのほうが悪かったんだし」

「そうはいうが」

「それに、本当言うとそろそろやばかったのよ。昼間の戦闘で少し発散出来たけど、それも一時凌ぎにしかならなかった。あんたがしなくても、近日中にあたしのほうから頼んでたわ」

 尚も謝ろうとする優斗に、蓉子は赤くなった顔を隠すようにそっぽを向きながらそう言った。

「だから、気にしないで。まあ、さすがに恥ずかしかったから次からはうちかあんたの部屋でしてくれると助かるんだけど」

「…………」

「優斗?」

 妙な空気を振り払うようにあえて明るい調子で蓉子は言った。だが、優斗からの返事はない。不審に思って彼の顔を見ると、いつの間にか真剣なものになっている。

 それを見た蓉子は慌ててあたりを見回した。優斗がこういう表情をするときは、大抵何か日常と懸け離れたことが起きるのだ。

 野生の勘とでもいうのか、そういうものは平常であれば蓉子のほうが鋭いのだが、優斗に骨抜きにされてから幾らも経っていない今の状態ではそれも上手く働いていない。

「ちょっと、何なのよ」

 堪りかねた蓉子がそう声を上げたときだった。

 不意に前方の空間に陽炎のような揺らめきが立ち昇ったかと思うと、そこからにじみ出るように一つの影が姿を現した。

「なっ!?あんた、さっきの……」

 揺らめきが納まったとき、そこには一人の少女が立っていた。

 その姿を見て、蓉子が驚きの声を上げる。

 長く腰のあたりまで伸ばされた真紅の髪。こちらに視線を向けてくるその瞳は紅玉のようで、深遠の闇を思わせるほどに深い。

 その瞳と目が合った瞬間、蓉子は本能的な恐怖を感じて動けなくなってしまった。

   * * * * *




  あとがき

龍一「どうも、安藤龍一です」

優奈「こんにちは。アシスタントの草薙優奈です」

龍一「えー、今回は蓉子がちょっと人には言えないような目に遇ってしまっていてこちらに来られないので、代わりに優奈に来てもらいました」

優奈「あれって、やっぱりそういうことなんですか?」

龍一「どうだろう。実際に何があったかは読んでいただいた方々のご想像にお任せするということで」

優奈「本人は恥ずかしいって言ってますので、ほどほどにしてあげてくださいね」

龍一「さて、今回は優斗の過去に少し触れてみました」

優奈「本編というか、わたしがヒロインだった話ではあまり語られていなかった部分ですね」

龍一「蓉子は幼馴染だし、家族ぐるみで付き合いもあっただろうからそのあたりも書かないと不自然になるんだよ」

優奈「納得は出来ますけど、何だか不公平じゃありません?わたしのときはフラグが成立するイベントって海での一回だけだったのに」

龍一「それはまあ、あの頃は量に制限があったし、今よりも未熟だったからな」

優奈「言い訳なんて聞きたくありません。そんなこと言うんなら、今はもっと上手く書けるんでしょうね」

龍一「それは書いてみないと何とも……って、はっ。ま、まさか……」

優奈「うふふ、気づきました?」

龍一「いや、さすがにこれ以上は今は無理だって(滝汗)」

優奈「何を言うんです。浩さんを見てください。あんなにたくさんの長編を抱えながらもちゃんと更新してるじゃありませんか」

龍一「いやいや。あれは浩さんだから出来るのであって、俺には無理だ。……って、どうしておまえは俺を椅子に縛り付けてるんだ」

優奈「もちろん、書いてもらうためです(にっこり)」

龍一「そ、その笑顔が恐ろしい」

優奈「さて、拙作をここまで読んでいただいた皆様。ありがとうございました。物語は序盤から思いっきり雲行きが怪しくなっておりますが、浩さんに最後まで掲載していただけますよう随時軌道修正させますので、よろしければ次回もお付き合いくださいますようよろしくお願いいたします。では」

   *





うーん、俺も頑張って更新しなければ。
美姫 「決意を新たにしている所を悪いんだけれど」
何だ?
美姫 「言葉よりも実績が欲しいのよ!」
……蓉子も大変だな。いや、でも本人は実は喜んでいたり?
美姫 「無視するとは良い度胸じゃない」
あ、あはあはあは。
美姫 「まあ、お仕置きは後にするとして」
なしにはならないんだね……。
美姫 「蓉子の前に現れた少女は」
次回を、次回を〜。
美姫 「次回を待ってますね」
ではでは。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る