……それは突然のことだった。

 視界を閃光が白く染め上げ、体が宙に投げ出される。受身など取る暇もなかった。

 ……光が去った後には赤い炎と黒い煙。

 霞んだ視界に映る景色は酷く非現実的で、そこに昨日までの平和は欠片もない。

 舞い上がった粉塵を吸い込んで咳き込む人。黒い防護服を着た大柄な男の人が必死の形相で何か叫んでいた。

 わたしは背中から地面に叩きつけられた格好のまま、ただ呆然と目の前の光景を眺めていた。

 腹部から血を流して倒れる女性。その女性を腕に抱きかかえて蒼い顔で何度も呼びかけている白衣の男性。どちらもよく知っている、過ぎる程に見慣れた親しい人だった。

 ―――――――

 ……思考が止まった。

 人々の悲鳴が、怒号が、吹き荒れる風が、燃えさかる業火が、……消えた。

 ―――――――

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 ――絶叫。

 反射的に上体を起こしたせいか、ぼやけた視界に映ったのは天井ではなく壁だった。それも見慣れた自室のものだ。

 ……呼吸が荒い。心臓が早鐘を打っている。

 苦しさから逃れようと人より少し大きな二つの膨らみを激しく上下させる。

 深い息を二、三度繰り返して、ようやく少し落ち着いた。

 汗で額に張り付いた金色の髪を退け、右手の甲で拭う。

 そのとき額に触れた冷たい感触がわたしをひどく安心させてくれた。

 ……目を閉じて、心静かに見る。見えたのは夢ではない幻の、けれど確かにそこにある世界。

 わたしの姿をした女の子が心配そうにこっちを覗き込んでいた。

 ――大丈夫?ひどく魘されていたようだけど。

 そうわたしにだけ聞こえる声で聞いてくる。優しい声音が耳に心地よい。

 わたしはその子にだけ分かるように小さく頷いた。一人じゃないから。わたしにはあなたがいるから平気だって。

 ――疲れが溜まっているんじゃないですか?このところ朝晩の鍛錬も大分ハードですし。

 本当に心配そうに聞いてくる。その気遣いが嬉しくて、だからわたしは少し頑張って笑ってみせた。

 ……本当に大丈夫だから。でも、そうね。今朝の鍛錬は止めにしておこうかな。

 わたしがそう言うと、彼女は少しホッとしたように微笑んだ。

 わたしはその微笑にどきっとしながら、心の中では別のことを考えていた。

 ……何だろう。この感じ。もやもやしてすっきりしない。

 わたしの心の動きを感じ取った彼女はそれを不安だと思ったのか、優しくわたしの体を抱きしめてくれた。

 驚き。そして、心からの安堵。

 わたしは彼女の腕の中でそっと目を閉じ、そして……。

 ―――――――

  第1話 共感関係

 ―――――――

 ――月の半ばを過ぎたある週末のことだった。

 人工の空が夜から朝へと切り替わるよりもほんの少しだけ早い時間に彼女は目を覚ました。

 目覚めの時間としてはやや早い。それでも寝直す気になれないのはたった今まで見ていた悪夢のせいに他ならない。

 気づくと衣服が肌に張り付くほど全身がびっしょりと汗に濡れていた。

 そのままでいれば確実に風邪を引く状況に顔を顰めつつ、彼女はバスルームへと向かった。

 服を脱いでバスルームに入る。気分はあまり良いとは言えなかったけれど、それでも全身に熱い湯を浴びると少しはすっきりした。

 腰のあたりまで伸ばした金色のストレートヘアにドライヤーを当てながらリビングへ行ってテレビで今日の天気を確かめる。

 人々の生活に色を持たせようという国の意向により、地上の四季を再現されたコロニーでは各種メディアを通して必ず今日の天気が報じられることになっている。これには賛否両論あり、あえて最適な住環境を追求しない国家のやり方に不満を持つ者も少なくない。

 尤もそうした人々の多くは外国のコロニーに移転しているので今のところ目だって問題にはなっていないのだが。

 髪を乾かす間に他にも幾つか必要な情報をチェックして、それが終わるとすぐに私服に着替えて朝食の支度をするためにキッチンへと向かう。

 お気に入りのエプロンを装着しつつちらりとテーブルの上に目をやれば、昨日寝る前に残した書置きがそのままになっていた。

 ……お父さん、結局昨夜も帰らなかったんだ。

 少しの心配と寂しさを感じ、彼女は今も研究所で働いているであろう学者の父を思う。

 テロで愛する人を亡くし、悲しみを振り切るかのように研究に没頭するようになった彼女の父親は最近では学会が近いせいか、何日も研究所に泊り込んで家にもろくに帰ってこなくなっている。

 ……ちゃんとご飯を食べているだろうか。適度に睡眠を摂っているだろうか。

 そんなふうに心配していたのがいけなかったのだろう。うっかりバターを焦がしてしまった。

 慌ててそれを処理しつつ、彼女の食卓では定番となりつつある朝のメニューを仕上げていく。その間に昨夜の残り物を使って今日の昼食の弁当も作ってしまえるあたり、実に手際が良い。

 コーヒーを入れ、焼き上がったトーストにバターを塗りながら、当たるかどうか微妙な占いコーナーを見るともなしに眺めてみる。自分に該当するところがやけに良いこと尽くめだったのには却って気味の悪さを感じたものの、特に気に留めることはしなかった。

 のんびり構えていたせいか、朝食を終え、食器を片付け終わる頃には結局いつも出掛ける時間になっていた。

 最後にもう一度鏡の前に立ち、髪型や衣服に乱れがないか確かめる。

 ……うん、悪くない。

 満足げに一つ頷くと、彼女は勢いよく家を飛び出した。

 それはまるで、背筋に感じる悪寒を振り払うかのように……。

 ―――――――

 ――新星暦1768年12月。

 アルシーヴ共和国第7コロニー・イゼリア市街――。

 どこか頼りない冬の陽射しを再現した空の下にあって、それでも街は活気に満ちていた。

 クリスマスシーズンだけあって、通りに軒を連ねる商店はどこもそれ一色に染まっている。行き交う人々も何となく浮き足立っていて、そこかしこで楽しげに談笑する声が聞こえる。

 ……そんな、ある週末の昼下がり。

 街のメインストリートを北に向かって歩く4人組の男女の中に一際目を引く美少女がいた。

 彼女の名はティナクリスフィード。

 年齢は16歳。

 父一人娘一人の父子家庭で、つい半年ほど前にここ、イゼリアに移り住んできた。

 父親は宇宙考古学の第一人者として知られる人物だが、当人はごく普通の女学生である。

 いや、少なくとも、本人はそう見られるようにしているつもりだった。

 学園での成績は中の上程度。運動神経は良いが、こちらも人並み以上の結果は出していない。

 本当はもっとずっと優秀なのだが、それを曝して注目されるのは彼女の本意ではない。

 もしもすべてを曝け出したなら、途端に彼女は嵐を巻き起こす特異点となってしまうだろう。

 それほどまでに彼女の内にあるものは強大なのだ。

 すべては自ら望んで得た力。守ると誓ったその日から磨き、積み重ねてきたものだ。

 その意味は1年前に一度失われている。

 テロという圧倒的な暴力の前に、個の力は遠く及ばず、彼女は母を、妹を失った。

 自身の無力さに打ちひしがれ、それでも尚、挫けずにいられたのは母の遺言があったからだ。

 そして、今はただ、繰り返さないために彼女は道を探している。

 力があれば守れたのかと問われればそんなことは分からない。

 人が一人で出来ることには限度があり、度を越えた結果を出せると思うのは傲慢でしかない。

 だからこそ、信頼出来るパートナーに出会えたティナは幸運だったと言える。

 一人では出来ないことも、彼女と二人でならきっと乗り越えていける。

 そう心から思える相手だから、彼女は共に踏み出す一歩を決めることが出来たのだ。

「じゃあ、わたしはこっちだから」

 そう言ってティナは同じクラスで偶々この方面に向かう用事のあった三人に別れを告げる。

「本当に行かないのかい?」

 同行していた少年の一人が本当に残念そうに聞いてくるのを申し訳なく思いつつ、ティナは用事があるからと言ってやんわりとそれを断る。

「ちぇ、またかよ。おまえ、最近付き合い悪いぞ」

「しょうがないわよ。だって、今日は……」

「クリス」

 悪態をつくもう一人の少年に対し、彼女を庇おうと最後の一人が口を開くが、それはティナ自身によって遮られた。

「……ごめん。軽率だったね」

 クリスと呼ばれた銀髪の少女は済まなさそうにそう言った。

「……じゃあ、また来週ね」

 そう言ってティナは3人に背を向けた。

 向かう先は街外れの共同霊園。

 母親の命日に一人、墓を参る彼女の胸には白百合の花束がそっと抱くように抱えられていた。

 ―――――――

 ――新星暦1768年12月。

 アルシーヴ共和国第7コロニー・イゼリア市街某ホテルの一室――。

 軽いノックの音に続いて扉が開き、両手に買い物袋を抱えた少女が入ってくる。

「買い出し、行ってきました〜」

 やや疲れた様子でそう言いつつ、よろよろとベッドに向かう。その状態で一体どうやって扉を叩いたのか、正直かなり謎である。

 だが、室内にいた人物はそんなことを気にしたふうもなく、手元の作業を進めながら尋ねる。

「おかえりフィリス。街はどうだった?」

「はぁ、さすがにクリスマスシーズンって感じ。どこもかしこも電飾だらけだったわ」

 問われた少女は荷物と一緒に自分もベッドの上に腰を下ろすと、一息吐きながらそう答える。

「クリスマスって世界的宗教の教祖様の誕生日なんでしょ?それがいつからこういうことになったのかしら」

「さあ。あたしはそーゆーのあんまり詳しくないから。後でクレアにでも聞いてみたら?」

「そのクレアはどうしたの。姿が見えないみたいだけど」

 フィリスはさほど広くもないツインの室内を軽く見回しながらそう尋ねる。

「クレアなら、待ちきれないとか言って先に行っちゃったよ。散歩がてら偵察してくるってさ」

「あの子ったらまた勝手に……。シェリー、あなたもどうして止めなかったの?」

「そんな暇あったと思う?」

「はぁ……」

 問い返されてとっさに彼女の素行を思い出したフィリスはがっくりと項垂れた。

「そっちこそ、ディアーナさんと一緒じゃなかったの?」

「大尉は何か用事があるからって途中で別れたの。とりあえず、提示連絡までには戻るって」

「ふーん」

 作業を終えたシェリーはチェアーを回してフィリスの方へ向き直る。

「何?」

「別に。ただ、あの人が作戦行動中にそれも私用で単独行動するなんて、よっぽど大事なことだったんだろうなって」

「それはわたしもそう思う。あのときの大尉、どこか思い詰めたような顔をしていたもの」

 深刻な顔でそう言うフィリスに、少し考えるような素振りを見せながらシェリーは徐に椅子から立ち上がった。

「……フィリス。帰ってきたばかりで悪いんだけど、ここ代わってもらえないかな」

「構わないけど。どうするの?」

「先に行ったクレアのことも気になるし、あたしもそろそろポジションにつくわ」

「分かった。……気をつけて」

 装備を確認して上着を羽織るシェリーに、フィリスは短くそう答えた。

 ―――――――

 ――アルシーヴ共和国第7コロニー・イゼリア北部。

 国立大学考古学研究室――。

「それじゃあ、わたしはもう帰るけど、ちゃんとご飯食べてよね」

 扉に手を掛けたまま振り返ってそう言うティナに、彼女の父親はちゃんと聞いているのか、いつものように半生の返事を返してくる。

「ああ、分かっているよ」

 本当に分かっているのだろうか。

 そんな父親にそっと溜息を漏らしつつ、彼女は考古学研究室を後にした。

 尤も、わたしがしようとしていることも父と同じかそれ以上に無茶なことなのかもしれないけれど……。

 一度門を出てから大学の敷地沿いに迂回して、建物の裏へと回る。ここから先は父親にも秘密の領域だ。

 感覚を総動員して周囲に誰もいないことを確認すると、彼女は慎重に壁の一部へと手を触れた。すぐに巧妙にカムフラージュされた扉のこれまた本当にどこにあるのか分からないような開閉パネルを探り当てると、予め用意しておいたIDカードを通して暗証番号を入力する。

 扉が開くや否や、ティナは素早くその身を中へと滑り込ませる。

 そこは先史文明の遺跡へと続く階段のある部屋だった。

 ―――――――

 ――アルシーヴ共和国第7コロニー・イゼリア北部。

 国立大学考古学研究室地価の遺跡――。

 潜入した施設の中で、あろうことかディアーナレインハルトは道に迷っていた。

 平たく言えば迷子である。

 仮にも潜入部隊を指揮する立場にあるものとしては有るまじき失態。内部構造が事前調査で手に入れた見取り図と微妙に違っていたことは言い訳にはならない。

 更に言うならば、ここは図面にすら載っていない場所である。

 そんなところに入り込んでしまったのは完全に彼女のミスであり、言い訳など出来ようはずもなかった。

 ……まいったな。外に出ようにも道が分からないし、そもそもこの足じゃ動けないか。

 右の足首を押さえつつ、痛みに顔を顰めるディアーナ。どうやら最初の段差を踏み外したときに挫いてしまったらしい。

 嘆息して頭上を仰ぎ見るが、相当高いらしく夜目の利く彼女にも天井は見えなかった。

 ……日頃の行いはまあ、あまり良いとばかりも言えないか。

 苦笑しつつ、とりあえず失くしたものがないか確認しようとしたとき、不意に彼女の耳が音を捉えた。

 ……軽い靴音。そして、ほんの小さな息遣い。女だろうか。真っ直ぐこちらに向かってくる。

 とっさに腰のホルスターに手を伸ばすが、運悪く落としてしまったのかそこに目当ての物はなかった。

 こんなところに来るくらいだから、相手は当然、銃を持っているだろう。加えて、捻挫とはいえこちらは既にダメージを負っている。状況は限りなく彼女に不利だった。

 ……一歩、また一歩と近づいてくる。

 緊張がきりきりと胃を締め上げてくる。

 そこにあるのは何度体感しても決して慣れることのない死の恐怖。

 ……ああ、わたしはまだこれを感じられるんだな。

 自分が死に染まっていないことを思うと妙に嬉しく思える。このまま人としての心を失うことなく死ねたなら、それは或いは幸福なことなのかもしれない。

 諦めにも似た気分で取り留めのないことを考えていると、不意に足音が止まった。

 向けられる光。そして、そいつはついに彼女の前に姿を現した。




 ―――あとがき。

 友人の指摘を受けて自分なりに修正してみました。

 これで少しはマシになっていると思いたいです。

 

 

 




新シリーズ〜。
美姫 「さて、まだ始まったばかりで、何がどう動いていくのかも分からないけれど」
一体、どんな事が巻き起こるのか。
美姫 「期待一杯ね」
うんうん。にしても、やっぱり、作者は酷い目に合うのは変わらないんだ……。
美姫 「最早、宿命ね」
嫌な宿命だな。
美姫 「アンタも一緒じゃない」
あ、そうか。あははは。……って、嫌じゃ!
美姫 「無理、無理」
うぅー。言い返せないのが寂しい……。
美姫 「まあ、それは兎も角、次回が楽しみね」
うんうん。果たして、ディアーナーの前に現われるのは…。
美姫 「それでは、また次回で」
ではでは〜。



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