第25話 光と影と

   * * * * *

 シャドーミラー艦隊所属の砲撃支援型フォースフィギュアの援護を受けてクロイシア連邦軍のアルヴァトロスが蒼穹の騎士へと突撃していく。スラスターを全開にしての直線的な突撃に、敵機の銃口がその動きを捉えて光弾を叩き出す。だが、直前で急制動を掛けたアルヴァトロスが直撃を受けることはなかった。そして、制動を掛けたアルヴァトロスの後ろから敵とは異なる青を基調としたカラーリングの機体、シェリー=アンダーソンの操るサファイアクラウドNWSが巨大な実体剣を携えて飛び出す。

「もらった!」

 両手で握った巨大なバスタードソードを最上段から振り下ろす。

「あまい……」

 だが、高周波によって分子を切断するはずのその一撃を、相手の機体は在ろうことか素手で受け止めてみせた。

「嘘っ!?

「いえ、これが現実。あなたのそれが何を目的に造られたかは知らないけれど、兵器である以上はわたしを砕くことは叶わない」

「なっ!?

 思わず驚愕に目を見開くシェリーへと、接触回線でそれを否定する声が届く。声は少女のものだった。声の質からして、おそらく年齢はシェリーとそう変らないくらいだろう。

「ちょうど良いです。もし、公用回線を開くことが出来るのなら、これからわたしが言うことをこの宙域にいるすべての兵器保有者に聞かせて」

「な、何を言ってるの」

「こちらからの警告を伝えます。そちらに従う意思があるのなら、わたしがそのものを攻撃する理由も無くなりますから」

 自機へと銃口を向ける他の機体へと牽制の射撃を放ちながらそう言う相手に、シェリーは思わずかっとなって怒鳴った。

「そういうことは、攻撃する前にするものでしょ!?

「この時代の周波数が分からなかったのです。それに、先に攻撃を仕掛けてきたのはそちらかと」

「それこそ、警告に応じなかったそっちが悪いんじゃないか!」

「言ったでしょう。周波数が分からなかったと。その状態でそちらからの通信を受け取れというのは無理があるのでは?」

「だったら全周波数を使って呼び掛ければ良かったじゃない。ていうか、今すぐ武装を解除して投降しなよ。今ならまだ事情を説明すれば何とかなるだろうからさ」

 あくまで淡々と言葉を返してくる少女に、シェリーの中で苛立ちが募る。相手の声が友人に似ていたこともその一因なのだろう。彼女の声でこうも無機質に話されると、無性に苛々するのだ。

「…………」

 少女は答えない。というか、気まずすぎて言葉を返せなかったのだ。シェリーの言う通り、全チャンネルを開いて呼び掛ければ例え軍の回線を知らなくても言葉を届けることは出来た。それを目覚めて間もないとはいえ、うっかり忘れていたというのは拙すぎる。

 とはいえ、このまま一方的に攻撃を続ければ、無用な犠牲を出すことにもなりかねない。それは彼女の信じる理念に背くことでもあったので、ここは恥を忍んで通信を開くことにする。

 だが、既に攻撃を仕掛けてしまっている以上、少女の勧告が聞き入れられる可能性は限りなく低かった。現に彼女の周囲を取り囲んでいる機体のうち何機かは通信を無視して攻撃を続けてきている。

 それでも諦めずに呼び掛けた結果、少女は各勢力のこの場における最上位権力者と話すことが出来たのだが、その言葉がこの場における戦闘行為を止めることは叶わなかった。

 通信においてディバインクルセイダーズを名乗った彼女の目的は現存するすべての兵器の破壊であり、妨害するものは軍、民間を問わず攻撃対象とすると言ったのだ。

 この宣言を聞いたイリアは、国際法第0083条、ロストテクノロジー関連第3項に基づき、IPKO技術監査局の特務権限を発動させた。これにより、クロイシア連邦軍第13独立戦隊指令・ライド=シュナイト少佐並びにシャドーミラー第17特務艦隊指令代行・アルベド=ハイマン中佐の両名よりイリアに指揮権が委譲され、以降、この戦闘とそれに付随する問題が解決するまでこの場の各部隊はすべて彼女とその所属組織であるIPKOに従うことになる。

 IPKOは設立より先史文明時代の遺産の発見・管理・解析を一挙に担っており、これに関連する事象に関してはあらゆる国家・団体・個人よりも優先される権利を世界から認められている。中でも実働戦力を有する技術監査局、通称・ITOはロストテクノロジー関連の事件・事故の処理を担当する重要な部門であり、有事の際にはこのように他国の軍の指揮権を掌握することも合法とされるのだ。それは敵対勢力との共闘さえも引き起こす。

 イリアは前述の権限を利用して、戦闘終了後の人命救助の幅をシャドーミラー艦隊にも広げるとともに、救助した人員の扱いを捕虜待遇とすることを条件に、本来であれば法適応外である彼等にもこれに従うことを提案した。それはシャドーミラー側にとっても有益な話であり、旗艦の撃沈とともに司令官が死亡したことで暫定的に指令代行を務めることとなったアルベドは、一も二も無くこれを承諾している。

 正規の手続きを踏んで会戦したわけではない上、異なる世界の存在である彼らは本来であれば、テロリストとして一方的に殲滅されても文句の言えない立場だったのだ。

 こうして共闘することとなった三勢力はイリアの指揮の下、聖十字軍を名乗る少女と戦うことになったのだが、

「なっ!?直撃したはずだぞ」

「バカな、ビームが跳ね返されただと!?

「お、おい、レールガン食らって無傷ってどんな装甲だよ」

 あらゆる方向からビームや弾丸が放たれ、蒼穹の機体へと降り注ぐ。だが、通信回線を通して飛び交うのは、悲鳴にも近いパイロットたちの怒号ばかりだった。

 ウォーカーシリーズの標準装備である90oアサルトマシンガンでは、それを余裕を持って防ぐことの可能な対弾性能を目指して開発されたアルマニウム合金製装甲を貫くことは容易ではない。そのアルマニウム合金装甲を備えたアルヴァトロスを一刀両断することが出来る高周波ブレードをあっさりと受け止めて見せた事からも、この敵がアルマニウム合金以上のとんでも装甲を備えているのは明らかだった。

 だが、無敵の装甲など存在しない。物体には耐久性というものがあり、その限界を超えて衝撃を受け続けることなど不可能なのだ。そのことを誰よりも熟知しているディアーナは、配下の仲間たちを鼓舞すべく通信機に向かって声を張り上げた。

「怯むなっ!この世に貫けない装甲など存在しない。一発でダメなら十発、それでもダメなら百発。惜しむことはない。わたしたちに喧嘩を売ったおろかものを盛大に歓迎してやろうじゃないか!」

「ああ、バリアがあったとしても関係ない。ジェネレーターに悲鳴を上げさせて、生意気な小娘が泣いて謝ってくるまでビームも弾丸も浴びせ続けてやれ!」

 ディアーナの激に便乗して、自らも最前線に立っていたアルベドも部下たちを怒鳴りつけ、それにそれぞれの部下たちが叫び返す。

「これだけの数を相手に逃げない度胸は賞賛に値するけれど、その前に無茶と無謀を履き違えていると気づきなさい!」

 敵機に押される形で退いたシェリーのサファイアクラウドNWCに代わって、ティナのアルフィニーが両手の手のひらから交互に光弾を放ちながら蒼穹の機体へと肉迫する。その連射速度は凄まじく、多銃身ガトリング砲を髣髴とさせた。だが、少女が驚いたのはそんな攻撃よりもアルフィニーの姿そのものにだった。

「ES計画の試作一号機。まさか、完成していたなんて」

「知っているなら大人しく投降なさい。その機体ではわたしたちには絶対に勝てないわ」

「っ。でも、戦闘能力だけならわたしのクルセイドのほうが上のはず」

 そう言って少女は機体右肩部のブラスターユニットから圧縮重力波を解放する。だが、至近から放たれたそれは、戦艦の主砲をも跳ね返すアルフィニーのリフレクターウォールの前に、あっさりと散らされてしまった。

「なっ!?

「世界は既にあなたの戦いを必要とはしていない。そんなことにも気づかず、ただ振り回すだけの力にわたしたちは倒せない」

 愕然として思わず動きを止めてしまった少女へと、ティナはただ淡々と事実のみを告げる。その姿はまるで冷淡な審判者のようでもあり、少女はその言葉を振り払うかのように声を上げた。

「ふざけないで!」

 叫びとともに、叩きつけるように両肩のブラスターを交互に連射する。運悪く余波を受けた何機かが戦闘不能になって後退していくが、最も退けたい相手であるアルフィニーには最早掠りもしない。

「アルベルトの、……ソフィアの意思は不変のもの。その意志に従うわたしがおまえたちのような世界の僕に負けるものかっ!」

「バカな子ね。そこまで言うのなら、その意志を通して見せなさい。尤もわたしを倒せればの話だけど」

 そう言うと、ティナはアルフィニーの腰からエーテリオンダガーのエネルギー発信器を引き抜いた。無音の闇に虚無の閃光の刃が生まれる。だが、その刀身は短剣と呼ぶには長く、放たれる輝きには一切の熱が感じられなかった。

「……何という虚無。あれが世界と契約せし守護者の剣、シェイデンナイツを統べる天使の力か」

 味方であるはずの少女から放たれる異様なまでの存在感に、周囲で支援していたはずのフォースフィギュアが何機も攻撃を止めて退いていく中、ライドは畏怖を込めた視線でその姿を見据えていた。

「ちょ、あれ、大丈夫なの!?

 アルフィニーの純白の翼が宇宙の暗黒よりも深い闇に染まるのを見て、シェリーがミレーニアに問う。その声は悲鳴のようで、だが、問われたミレーニアにも最早、それに答えるだけの余裕など無くなっていた。

「……止めなきゃ」

 アリスのその呟きを聞いたとして、彼女とその姉のために果たしてこの場の誰が動けただろうか。

「エンジェリックサーキット、フルコンタクト。エーテリオンリアクター、オーバードライブ!」

 翼を覆う闇が戦乙女の剣へと集束していく。だが、今正に剣が振り下ろされようとしたその刻、駆け抜けた白い閃光がアルフィニーを横から突き飛ばした。

「あいたた……。ディアーナさん、いきなり何をするんですか!?

 フィードバックによって負った脇腹の痛みに顔を顰めながら、ティナは自分を突き飛ばした相手へとそう文句を言う。だが、機体を翻したディアーナから返されたのは、思いがけない厳しい言葉だった。

「この場であえて戦闘者の闇を具現することもあるまい。見ろ、おまえの大切な妹が悲しみに涙を流しているぞ」

 そう言ってRCの指でゼフィーリアを指すディアーナに、ティナはハンマーで頭を殴られたような衝撃を受ける。

 アリスは泣いていた。心を隠す仮面であるはずのゼフィーリアの目からさえ涙を流し、声も無くその悲しい雫に頬を濡らしていた。

 それはティナが最も恐れた、誰よりも大切な人の笑顔が崩れた瞬間だった。

   *

 IPKO第3staytion。

 同機関の有する宇宙要塞ヘリオスナインに併設されたその宇宙港に、もう何度目になるかも分からない改修を受けるアルフィスの姿があった。来るべきディバインクルセイダーズとの決戦に備え、先の戦いで解放されたG兵器はそのままに、当艦は本格的なOTWS、オーバーテクノロジー運用艦として改修されることになったのだ。

 動力機関はクルセイドが撤退間際に放った広域殲滅型重力波を受けてオーバーロードを起こした従来の縮退炉に代わって、ヘリオスナインで開発されていた新型のグラビトンリアクターを二機搭載され、武装を主砲も従来の荷電重粒子ビーム砲から高出力の集束重力波を放射するギガブラスターユニットへと換装されたのを筆頭に、圧縮重力子を満載したGインパクトミサイル、マイクロブラックホールを電磁加速で撃ち出すMBHレールガン等、本来であれば厳重な封印指定を受けているはずのオーバーテクノロジーをこれでもかと詰め込まれている。

 更に今回の作戦にはこれと同様の改装を施された同系一番艦のアルテミスも参加することになっており、その作業もほぼ完了していた。艦隊はこのアルテミスを旗艦として戦艦三隻、機動巡洋艦十二隻、突撃駆逐艦八隻、高速輸送母艦三隻で編成され、IPKOの創始者にして現代表、そして、クロフォード財団総裁でもあるエミリア=クロフォードの指揮の下、敵に占拠されたクロイシア連邦軍最大の宇宙要塞を攻略することになる。

「少数精鋭による一点突破だなんて、正に2000年前の再現だわ」

 立案された作戦に関する書類に目を通し終えたエミリアは、そう言って疲れたように溜息を吐いた。クルセイドの出現から僅か二ヶ月で世界の軍事拠点の実に3割が機能停止に追い込まれ、各国の軍は壊滅した艦隊の再建と破壊された基地施設の修理で身動きが取れない。敵の性質上、民間への被害が比較的軽微で済んでいるのは不幸中の幸いではあるが、それとてこのまま戦いが長引けばいずれは無視出来なくなるだろう。

「まあ、向こうはあの時の続きのつもりでやってるみたいだから、そうなるのも必然ってものでしょうね」

 書類を持ってきたイリアはそう言って来客用のソファに腰を下ろすと、エミリアが自分で飲むのに淹れておいたコーヒーへと手を伸ばす。

「だからって、何もマルコシアスに立て篭もらなくても良いじゃない。あそこを落とすのにどれだけの戦力が必要だと思っているのよ」

「まあ、一個戦隊程度じゃ焼け石に水なのは確かね」

「暢気に構えているところを悪いけれど、その焼け石を冷やすための水の役目をするのがわたしたちだって分かっている?」

 緊張感の欠片も無くカップを傾けるイリアに、エミリアは頭痛を堪えるような表情で尋ねる。いや、言ったところでこの親友が態度を改めないことくらいは分かっている。何せ有史以前からの付き合いだ。

「そのためのG兵器でしょ。それに、いざとなれば、あなたがX3で出れば良いわけだし」

「無茶を言わないでちょうだい。こっちは公務ばかりで身体が鈍っているんだから、とてもじゃないけど機動兵器での戦闘には耐えられないわ」

「なら、せめて機体だけでも貸しなさいよ。あれ、パーソナルデータは未登録なんでしょ」

「パイロットはどうするのよ。乗せればすぐ使えるというものでもないことくらい、あなたも理解しているでしょ」

「うっ、それは、まあ、その通りだけど。でも、うちのティナやアリスちゃんは初起動の初陣でそれなりの戦果を上げているわよ」

 エミリアの正論に半ば頷きながらも、イリアは何とか譲歩させようと粘る。だが、それも苦しい反論であることは彼女自身がよく理解していた。

 兵器とはその前提として誰にでも使え、それなりの成果を上げられるものであることが求められるものであるが、だからと言って、何の訓練もせずにいきなり戦場で使えるかといえばそんなこともない。

 受領した機体の扱い方を覚え、それに慣れるのに新兵なら一ヶ月、熟練兵でも二週間は必要となるのは常識だ。

「そもそも、あなたのところには試作型のESが二機もあるじゃない。第2に残してきた小隊も呼び寄せさせたし、これ以上の戦力増強はIPKOの代表としても認められません」

 きっぱりとそう言い切ると、この話はこれで終わりだとばかりに公務に戻ろうとするエミリア。

「二機が三機に増えたくらいじゃ、大して変らないわよ。それ以前にうちの子たち、次は出られないかもしれないんだから」

 カップを置いてそう言うと、イリアは辛そうに目を伏せた。クルセイド撤退後、帰還したティナはアルフィニーを待機モードに戻すなりデッキで倒れてしまったのだ。

「報告書を見たときは目を疑ったわ。オーバードライブの途中でリンクを強制切断するなんて、正気の沙汰とは思えない」

「でも、彼女のパートナーの話じゃそれが正しかったそうじゃない。うちのドクターも、あのままドライブしていたら精神が持たなかっただろうって、言っていたし」

「それこそあり得ないわ。彼女はシェイデンナイツのマスターなのよ。その彼女が、一度リミットブレイクしたくらいで壊れるなんて……」

 そこまで言ってエミリアはハッとして手で口を押さえた。シェイデンナイツとは、IPKOの裏部門の中でも極秘とされる総帥直属の諜報部隊で、その存在を知っているのは旧ピースメイカー隊を含むクロフォードシスターズを除けば、本当にごく僅かな人物だけである。

「失言だったわね。今のハ忘れてちょうだい」

 シェイデンナイツの個人情報は例え親友であっても漏らして良いものではない。存在しないもの、ブラックメンバーズを率いるイリアが守秘義務を果たさないというのは考え難いが、誰が聞いているとも限らないのだ。

「…………」

 厳しい表情でそう言う親友に、イリアはいろいろ尋ねたい衝動をぐっと堪えると、代わりに空になったコーヒーカップを突き出した。彼女がこういう顔をするときはどうやったって教えてはくれない。それがお互いのためであるからだ。それはイリアも理解していて、だから、代わりに別のものを要求する。

「お代り。それと、ブロウクンのシュークリームも出しなさいよね。あなたが上がってくる前に買っていたって話はちゃんと聞いてるんだから」

「はぁ、機密情報を盾におやつをせがむのは、止めなさいって言わなかったかしら」

 冗談なのか本気なのか分からない調子でそう言うイリアに、エミリアは呆れたように米神のあたりを押さえながら溜息を漏らす。

「うっかり漏らすほうが悪いのよ。それともこの間のあれ、アイシスとの秘め事の一部始終を記録したディスクを要塞中にばら撒いてあげましょうか?」

「……減俸600年」

「うっ、だ、だったらこっちはそのディスクを焼き増しして、あなたのファンの子たちに1枚2000クレジットで売り付けてやるんだから」

「そんな法外な値段のものを誰が……って、結構買う人がいそうじゃない。しかも、そのうちの何枚かは確実に他ならぬアイシスの手に渡るんでしょうね」

 以前に出回った隠し撮りDVDのことを思い出して、思わず頭を抱えるエミリア。

「言っておくけれど、あれはわたしじゃないわよ。……って、聞いてないわね。まあ、作戦開始時刻まではまだあるし、それまではそっとしておいてあげましょうか」

 頭を抱えて蹲る親友に生暖かい視線を向けながら、そう言うとイリアは自分でコーヒーを淹れるためにソファから立ち上がった。

   *

 アルフィス・艦内医務室。

「じゃあ、お大事に」

 白衣姿のフィリスにそう言って見送られるのもこれで何度目だろうか。それに軽く頭を下げて医務室を後にするアリスには、最早言葉を発するだけの気力も残されてはいないようだった。

 強制切断の後遺症なのか、あの戦いの後で意識を失ったティナが医務室で目を覚ましたとき、彼女はその記憶の大部分を失っていた。フィリスの診察によれば日常生活にこそ支障はないものの、それがアリスにとって何の救いにもならなかったことは言うまでもないだろう。

 だが、アリスは諦めなかった。自分のゼフィーリアがそうであるように、同じESTであるアルフィニーにも操縦者の精神を保護するための機構は備わっているはずだ。

 その機構が上手く働いていれば、少なくとも記憶そのものが失われたということはないだろう。ただ、混乱などを避けるために記憶カイロの一部が遮断されたため、ティナはその先を辿れなくなっている。

 遮断された記憶カイロが再接続されるまでに必要な時間がどれほどなのかはアリスにも分からないが、おそらくは数日のうちに戻るだろう。過労で倒れたと思えばやはり心配ではあるが、それでも治るかどうかも分からない本当の記憶喪失に、正面から立ち向かうよりはずっと良い。

 そう思って一先ず安堵したアリスだったが、事はそう簡単には済まなかった。日常生活を送るのに支障は無いと言っても、それはあくまで民間の一般的な少女としての話である。アルフィスにおいて一個小隊を預かる小隊長であり、裏では諜報組織を率いる立場にある彼女の日常は、それらに必要な専門知識を使えなくなった途端にあっけなく崩れ去ってしまったのだ。

 ティナの記憶が戻るまでの間はアリスが小隊長代理を務めることになったのだが、これが思った以上にきつい。裏の仕事は代理の利かないものがほとんどだったため、その役まで回ってくることはなかったが、それでも増えた仕事は彼女の小さな肩には少々重かった。

 更に記憶を失ったティナはその不安から少々幼児退行気味になり、何かとアリスに世話を焼かせてくれるのだ。普段とは全く逆の立場に内心嬉しくなったのも束の間、すぐに人一人の世話をすることの大変さを思い知らされることになったアリスは、今更ながら幼いうちから自分の面倒を見てくれていた姉の偉大さを知ったのだった。

 そんなこんなで、へとへとになりながらもアリスは頑張った。

 ミレーニアを始め、多くのアルフィスクルーに支えられながら、大好きな姉の笑顔が戻る日を信じて必至に奔走した。時には過労で倒れそうになり、普段は快活なディアーナに大目玉を食らったこともあった。

 普段あまり関わることのない整備班の少女たちも、手が空いているときには書類整理を手伝ってくれた。

 悪夢に魘される姉に付き添って深夜まで起きていたとき、食堂のお姉さんから差し入れられたココアの温かさはいつまでも胸に残って忘れることが出来ない。

 だが、アリスたちがどれほど努力を重ねようとも、ティナの記憶がすぐに戻ることはなかった。状況から最も有効と思われたショック療法は他ならぬティナ自身の推論と、それに納得を示したフィリス医師によって却下され、他の方法を試そうにも前例がないため迂闊なことは出来なかったのだ。

 ただ、通常の記憶喪失であれば日常の何気ない体験がきっかけで記憶が戻るということもあるので、ティナには可能な限りこれまでと同じ生活を送ってもらうことになった。

 そうして、一週間が過ぎ、二週間が経ち、三週目の終末を迎えた頃、その事件は起きた。

 それは、部隊に合流したファミリアがライブラリルームの端末を使ってヘリオスナインのデータベースにアクセスしていた時のことだった。不意に入り口のドアが奇妙な音を立てて開かれたかと思うと、シェリーが血相を変えて飛び込んできた。

「フェリー、図書館では静かに」

「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!アリスが、アリスが大変なんだ」

「何があったの?」

 シェリーのあまりの剣幕に、ファミリアは一度作業の手を止めると椅子を回して振り返った。

「説明してる暇ないよ。良いからすぐに格納庫まで来て!」

 二人が格納庫に着いたとき、そこには信じられない光景が広がっていた。

 右手に対戦車ライフルを構えて立つアリス。そして、そのアリスに銃口を向けられて怯えるティナ。アリスを取り押さえようとして失敗したのか、二人の周囲には何人もの少女たちが死屍累々と悲惨な姿を曝している。

何があったの?」

 アリスを刺激しないよう小声でそう問うファミリアに、シェリーは分からないと無言で首を横に振る。その表情はあまりの事態に今にも泣き出しそうだ。

「これで分かったでしょ。わたしが本当に引き金を引けるってことが」

 目尻に涙を溜め、震える声でそう言うアリスに、ティナは蒼褪めた表情で頷くのが精一杯だ。

「もう止めてよ。アリス、あんた、自分が何やってるのか分かってるの。あれほど必至になって記憶を取り戻させようとしてた姉さんに、よりにもよって銃を向けるだなんて」

 堪りかねたようにそう叫んで駆け寄ると、シェリーはアリスの手から対戦車ライフルを取り上げようとした。

「……違うよ」

「えっ?」

「あれはお姉ちゃんじゃない。最初は記憶を失くしたせいで普段と違って見えるだけかと思ってたけど、でも、違うの」

 驚いて聞き返すシェリーへと、アリスは堪えきれなくなった涙を零しながら、そう言ってティナを見据えた。

「…………」

 睨まれたティナは無言でその視線を正面から受け止める。その表情には驚きこそあれ、先程のような怯えの色はもう無くなっていた。

「わたしもゼフィーリアと契約しているから大体どういう状況なのかは分かるけれど、それならそれで、ちゃんと言ってほしかったよ。ねえ、アルフィニー」

「ええっ!?

 アリスの口から出たその名前に、遠巻きに事の成り行きを見守っていたものたちは、揃って驚きの声を上げた。

「アルフィニーって、ティナさんの乗ってる機体のことだよね?」

「わたしはサポートAIの名前だって聞いたけど」

「いやいや、昔付き合ってた彼女の名前でしょ」

「何それ?」

 わいわいがやがや。

「やれやれ、女三人寄れば姦しいとはよく言うが、もう少し緊張感を持ってもらいたいものだな」

 急に騒がしくなった格納庫を見渡して、ディアーナが呆れたように溜息を漏らす。

「最初から好奇心丸出しでカメラを構えている人には言われたくないでしょうけれど」

「ファミリアか。おまえこそ、まったく慌てていなかったじゃないか」

「一部隊を預かるものとして、常に冷静であるように心掛けていますから。とりあえず、これは没収です」

 そう言って姉の手からビデオカメラを取り上げる。

「ちっ、後でイリアにも見せてやろうと思ったんだがな」

「下らないことを言ってないで、早くこの事態を収めてください。艦長と副長が揃っていない今、この場の最上位者は姉さんなんですから」

 未だ物騒なものを構えたままのアリスから視線を外さずにそう言うファミリアに、ディアーナはまたしても呆れたように溜息を漏らす。しかし、溜息が多いのは中間管理職の特徴と言われるが、この女もそうなのだろうか。

「答える気がないならそれでも良いけれど、お姉ちゃんには帰ってきてもらうから。わたしもそろそろ精神的に辛いし、ここは力尽くでも、だよ」

 言うが早いか、アリスは自分を押さえていたシェリーを脇に退かせると、徐に対戦車ライフルの引き金を引いた。重い八方音と共に銃口から戦車の装甲を貫くための弾が吐き出され、ティナの姿をした少女へと向かう。複合装甲であっても貫けるように開発されたそれは本来人間に向けて撃つものではなく、当たれば問答無用でミンチにされること請け合いである。

 だが、そんな凶悪な弾丸も少女のかざした手のひらを中心に広がった半透明の光の幕に接触した瞬間、あっさりと砕け散ってしまった。

「バカな、リフレクターウォールだと!?

 少女の成した現象に、さすがのディアーナも目を見張った。ESTに標準装備されている攻守一体型のフィールドバリア、それがリフレクターウォールだ。精神力をエネルギーに変換するエーテリオンリアクター、アストラレートジェネレーターの二つからエネルギーを供給されて展開されるこのバリアは、その強度も持続時間も操縦者の精神力次第という恐ろしく不安定な代物だが、それ故に、理論上はほぼ無制限に強化、展開し続けることが出来るというでたらめなバリアでもある。

 ティナは護身用と称してこの機構を簡素化したものを組み込んだアクセサリーを常備しているのだが、そのことを知っているのはこの艦ではアリスとミレーニアくらいのものだ。

 よって、それを知らないディアーナの目には、彼女が単独で高出力のバリアを展開したように映ったことだろう。勿論そんなことがただの人間に出来るはずもなく、それを見たほぼ全員が今のこの状況を異常なものとして認識することになる。

「さぁ、これで言い逃れは出来ないよ。何しろここにいる皆が証人だからね。それとも、全員の記憶に干渉して無かったことにしちゃうのかな」

「まったく、フェアじゃありませんね。気づかれているかもしれないとは思っていましたけど、まさか、こんな衆人環視の前で暴露されるとは。これではもうあなたもわたしたちもここにはいられませんよ」

「だって、こうでもしないと言ってくれないでしょ」

 がっくりと肩を落とす少女、アルフィニーに、アリスは新しく目尻に溜まった涙を指で拭いながらそう言って笑った。

   *

「で、結局、おまえたちは何なんだ」

 場所を近くの会議室へと移し、野次馬どもを追い払ったところで、ディアーナがそう言って対面の席に座るアルフィニーを見た。ちなみに、アルフィニーは両手に手錠を掛けられ、両脇をシェリーとアリスによって固められている。まるで、取り調べを受ける容疑者のような、というか、そのままなのだが、そんな大昔の刑事ドラマのようなシチュエーションに、当のアルフィニーは懐かしいような困ったような表情を浮かべている。

「ティナが何かということに関しては禁則事項に抵触するので詳しくはお話出来ません。ですが、少なくとも今の彼女が安全であることだけは保障します」

「それで納得しろと?」

「結果的に一ヶ月もの間、あなた方を欺くことになってしまったのはお詫びいたします。ですが、ティナには精神の休養が必要だったのです」

 そう言って頭を下げるアルフィニーに、原因の一端となってしまったディアーナは言葉に詰まる。

「それで、今、お姉ちゃんはどうしているの?」

 沈黙したディアーナに代わって、その隣に座っていたアリスがアルフィニーへと問う。正直、他のものたちもそこが一番気になるのだろう。顔を上げたアルフィニーへと全員の視線が集まる。

「今はまだ眠っています。オーバードライブ時のシンクロ率は200パーセントを超えますから、回復にはまだしばらく時間が掛かるかと」

 アルフィニーのその答えに、アリスはあからさまに落胆した様子で項垂れた。

 ダイレクトリンクシステムによる機体との一体化はその率が高いほど性能を高められる反面、それだけフィードバックによるダメージも大きくなる。ESTにはそれを考慮してパイロットの精神を保護するための機構が何重にも備わっているが、それでも200パーセントの状態から切断されれば、ショック死する可能性が高いのだ。

「生きてはいるんだな」

「はい。少しずつではありますが、確実に回復に向かっています」

「なら、良い」

 正面から目を見て尋ねるディアーナに、アルフィニーも淀みなくはっきりとそう答える。それに一つ頷くと、ディアーナは話はこれまでだとばかりに席を立った。

「姉さん、どちらへ?」

「フィリスのところだ。この前、無理に出てもらった分の埋め合わせをしないといけないんでな」

「なっ、この子はどうするんですか!?

「ティナは大丈夫なんだろう。なら、わたしたちはあいつが戻ってくるのを待つだけだ。ほら、おまえらもぼさっとしてないで、持ち場に戻れ!」

 追い払うように腕を振って部下たちに退室を促すと、ディアーナはさっさと部屋を出ていった。その姉を追ってファミリアも部屋を出て行き、後にはアルフィニーとアリス、シェリーの三人が残される。

「あたしは許したわけじゃないからね」

 アルフィニーへときつい視線を向けてそう言うと、シェリーも部屋を出ていった。だが、その言葉とは裏腹に、彼女の表情は何処かホッとしたものになっていた。

「お姉ちゃん、わたしに何か言ってた?」

「怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい。それと、またしばらく一人にしてしまうけれど、寂しくなったら我慢せずにこの身体を使ってくれて構わないと」

「バカ……」

「わたしもそう思います。あの子は知識も能力も十二分に持ち合わせているというのに、肝心なところで不器用なんですから」

「本当だよ。それなのに、わたしのこととなると、周りが見えなくなるくらい必至になってくれて……」

 同じ苦労をさせられているのだと分かって親近感が湧いたのだろう。二人は揃ってはぁ、と溜息を吐いた。

   *

 ――そして、作戦実行一時間前……。

「じゃあ、わたし、そろそろ格納庫のほうで待機してるから」

 飲み終わった紅茶のカップを片付けながらそう言うアリスに、アルフィニーが後ろからそっと抱きついて耳元に囁く。

「気をつけて」

「うん、ありがとう」

 前へと回されたアルフィニーの腕へと自分の手を添え、アリスは嬉しそうにそう返す。対戦車ライフルの一件を経て急速に打ち解けた二人は、今ではこうして肉体的接触を許し合うほど親密になっていた。

「無理だと思ったら任務なんて放り出して戻ってきなさい」

「あはは、さすがにそれはまずいって」

 一度軽く抱きしめてからアリスを解放してそう言うアルフィニーに、解放されたアリスは苦笑しながら振り返る。

「いいえ、あなたにもしものことがあれば、わたしがティナに殺されます」

 しかし、アルフィニーは真剣だった。その表情を見て、姉の性格を考えたアリスは、思わず表情を引き攣らせてしまった。

「あら、アリスならちょうど今出たところですよ」

 入れ替わるようにしてやってきたシェリーへと、アルフィニーは軽く頬に手を当ててそう言った。

「えっと、そうじゃないんだ」

 何やら歯切れ悪くもじもじと立ち尽くすシェリーに、アルフィニーは頬に手を当てたまま首を傾げる。

「申し訳ないのですけれど、愛の告白でしたらお受け出来ません。わたしには心に決めた人が」

「だぁーっ、違うわっ!」

「あら、残念」

「茶化さないでよ。こっちは真剣に謝りに来てるんだからさ」

 くすくすと笑うアルフィニーに、シェリーは疲れたようにそう言うと、居住まいを正して頭を下げた。

「頭を上げてください」

「でも、あたし、あんたにきつく当たってばかりだったから」

「わたしも悪かったんです。それに、こうして謝りに来てくれました。なら、もう良いじゃありませんか」

 食い下がるシェリーへと、アルフィニーはまるで、母親のような優しい微笑を浮かべて諭すようにそう言った。

「入ってください。まだ、出撃までには少し時間があるでしょう。お茶くらい、出しますから」

 思わず目を逸らして走り去ろうとしたシェリーの手をそっと取って、アルフィニーはそのまま彼女を中へと誘う。力などほとんど入っていないにも関わらず、シェリーは不思議とそれに逆らうことが出来ない。

 結局、お茶にお茶菓子までご馳走になってしまったシェリーは、アルフィニーに礼を言って彼女たちの部屋を辞すと、大慌てで格納庫へと向かうのだった。

   * * * * *




  あとがき

龍一「ものすごく久しぶりというか、最後に書いたのがいつだったかもう思い出せない(滝汗)」

アリス「というか、今回のこれって、いろいろと消化不良な伏線を回収しようとして、やっぱり消化不良になってない?」

龍一「それでも次回は最終回です」

アリス「とりあえず、殴っても良い。対戦車ライフルで」

龍一「いや、余裕で死ねるからダメ」

アリス「だから良いんじゃない。それともゼフィーリアの拳で一発とかのほうが良いかな」

龍一「おまえ、俺を殺したいのか?」

アリス「うん(にっこり)」

龍一「うわっ、即答しやがったよ」

アリス「だって、今回のわたしって、良いことないじゃない。それで次は最終回って、ふざけてるとしか思えないよ」

龍一「失敬な。これでも精一杯頑張っているんだぞ」

アリス「結果が伴わなければ意味がないんだよ。というわけで、撲殺決定」

龍一「にょろにょろ〜ん!?

アリス「さて、次回は最終回だそうです。結局今回もイマイチよく分からなかったわたしたち姉妹の正体とか、2000年前の戦争の結末とか、最後に本当に全部書けるか怪しい限りですけど、もう少しだけ生暖かく見守っていただければ幸いです。では、失礼しました」

   * * * * *





次回、最終回!?
美姫 「全ての謎は次回で分かるのかしら」
謎もそうだが、作戦前にお茶って。
美姫 「心にゆとりを持つのは良い事よ」
いや、そうかもしれんが。ありすぎだろう。
美姫 「そんな事ないわよ。さて、次回はとうとう最終回」
どんな結末が待っているのかな。
美姫 「次回も待っています」
ではでは。



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