トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第1章 始まりの夏
3 黒い嵐
* * * * *
――5月30日17:11。
国守山山中――。
森の中を走る二つの影。
陣内美緒と高町恭也である。
二人が目指しているのは森の中にある一つの樹木。そこに彼の妹である美由希がいる。
目的地はさほど遠くなく、途中で美緒たちを襲ったという野良犬と出くわすこともなかった。
二人がその木の根元にたどりつくと、それに気づいたのか上からか細い少女の声がした。
「お兄ちゃん……」
「美由希。待ってろ、今下ろしてやるからな」
安心させるようにそう言うと、恭也はその木に足を掛けて上り始めた。
普段から鍛えているだけのことはあって、恭也は難なく美由希の元へとたどりつく。
「怖かったよぉ……」
恭也に負ぶってもらって木から下りると、途端に美由希は泣き出してしまった。
よほど怖かったのだろう。
恭也はそんな妹に困った顔をしつつ、そっとその頭を撫でてやる。
「泣くな。もう大丈夫だから」
「うん……」
不器用だが優しい兄の言葉に、美由希はしゃくりあげながらも頷いた。
「みゆきち、顔赤いのだ」
「そ、そうかな……」
「ああ、風邪でも引いたのか?」
そう言っておでこに手を当てる恭也に、美由希はますます顔を赤くしてしまう。
「さて、美由希も無事に木から降りられたことだし、戻るとするか」
「そうするのだ。愛たちも心配してるだろうし、早く戻るのだ」
恭也の言葉に美緒も頷き、三人は寮へと向かって歩き出す。
「そういえば、さっき愛と話してた人って誰?」
道すがら、美緒が思い出したように恭也へとそう尋ねる。
「ああ、彼女は神代咲耶さんだ。今日からさざなみに住むことになったらしいぞ」
「そうなんだ。じゃあ、あたしの耳と尻尾のこと、知られても大丈夫だよね」
「優しそうな人だからな。きっと美緒のことも受け入れてくれるさ」
そう言って微かに笑う恭也に、美緒は思わず見惚れてしまった。
* * * * *
――5月30日17:32。
さざなみ寮リビング――。
「でさ、大輔の奴がさ」
「そんなことがあったんですか」
雪にせがまれて真一郎が学園での今日の出来事を話している。
その空気は実に親密で、二人が付き合っていることは誰の目にも明らかだ。
「ねえねえ小鳥、あの二人って絶対できてるよね」
「しっ、唯子。そういうことは気づいてても言っちゃいけないの」
「でもさ、目の前でこうもはっきりといちゃつかれてると、こうなんていうか」
「あー、それはわたしも分かる。真君、すごく嬉しそうだもんね」
対面では密かに思いを寄せていた男の子の変化について幼馴染二人がヒソヒソと話している。
そこへ荷物の整理を終えた咲耶が2階から降りてきて顔を出す。
「あ、神代さん。荷物の整理、終わったんですか?」
「はい。おかげさまで。えっと、野々村さんでしたよね」
「うん。野々村小鳥。小鳥って呼んでくれていいよ」
「じゃあ、わたしのことは咲耶で」
「うん。よろしくね。咲耶ちゃん」
そう言って微笑む小鳥に、咲耶も笑顔を返す。
「ところで、何かお話されてたみたいですけどお邪魔じゃなかったですか?」
「全然。っていうか、寧ろ邪魔してほしいくらいだよ」
と、唯子。
「ああ、あれのことですね」
そう言って咲耶はチラリと真一郎たちのほうを見る。
「わたしは別にいいと思いますけど。幸せそうじゃないですか」
「まあ、ね」
部外者らしいその発言に、小鳥と唯子は苦笑しつつ顔を見合わせる。
それで咲耶にも凡その事情が分かったのか、それ以上そのことには触れなかった。
「ただいま」
「あら、リスティ。お帰りなさい」
「何か雲行きが怪しくなってきたよ。洗濯物、取り込んでおいたほうがいいんじゃない?」
「そうね。ありがとうねリスティ」
などと話しつつ、愛とリスティもリビングへとやってくる。
「あれ、その子は?」
「ああ、ちょうどいいから紹介しておくわね」
そう言って愛は咲耶をリスティに紹介する。
「へえ、君が。きれいな銀髪だね。僕のより繊細でキラキラしてる」
「ほら、リスティも挨拶して」
「ああ、そうだね。僕はリスティ槙原。よろしく」
愛に促されてリスティはそう挨拶する。
「槙原って、確かオーナーさんの」
「yes。僕は愛の養女なんだ」
「そうなんだ。よろしく、リスティ」
そう言って差し出した咲耶の手をリスティが軽く握り返す。
「じゃあ、わたしは洗濯物を取り込んでくるわね。耕介さんたちもそろそろ……」
「帰ってきたみたいだよ」
バイクの音を聞いてリスティがそう言葉を続ける。
「おかえりなさい……って、どうしたんですか?」
「ああ、愛さん。帰りにそこで拾ったんだ。とりあえず、怪我してないか見てくれないかな」
玄関へと出迎えに行った愛に、そう言って耕介が拾ってきた人を手渡す。
「わたし、人は専門外なんですけど」
「頼むよ。とりあえず、十六夜さんか救急車かの判断でいいから」
「分かりました。でも、ちゃんと後で病院には連れてってあげてくださいね」
そう言って耕介からその人を受け取ると、愛はとりあえず自分の部屋へと運ぶ。
「手伝うよ」
「知佳ちゃん。お願いね」
* * * * *
――5月30日17:48。
さざなみ寮リビング――。
「ああ、冷たいのだ〜」
「あやや、美緒ちゃん。濡れたまま上がっちゃダメだよ」
「リスティさん。すいませんが、タオルを貸してもらえませんか」
「OK。と、その前に……」
リスティはフィンを展開すると、ベランダと庭の物干しに干してあったものをアポートした。
「失礼」
そう一言断ると、リビングに出現した洗濯物の山を分別してそれぞれの部屋へと送る。
彼女はその際、自分の分と美緒の分から2枚ずつタオルを残すと、3人に向かって投げた。
「ありがとうございます。って、何で2枚あるんですか?」
自分のところに飛んできたタオルを見て恭也がそう疑問を口にする。
「あー、まあ、細かいことは気にしない。いいから、それも使って」
ごまかすようにそう言うと、リスティはフィンをしまってソファへと腰を下ろす。
「あ、あの、リスティ。今のって」
「ん、ああ、驚かせちゃったかな。僕はHGSなんだ」
恐る恐る尋ねる咲耶に、リスティはあっさり自分の正体を明かした。
「こら、リスティ。そんな軽々しく能力を使っちゃダメってあれほど……」
リアーフィンの気配を感じた知佳が文字通りリビングに飛んでくる。
その背中に広がる純白の翼を見て、思わず咲耶の口から溜息が漏れた。
「そういう知佳だってフィンを展開してるじゃないか」
「あ、えっと、これは……」
知らない人の前で翼を見せてしまった知佳はそのままの姿勢で凍り付いてしまった。
「あ、あの、えっと……」
「きれいな羽根。まるで天使みたい」
「え?」
「わたしは咲耶。あなたの名前は?」
そうごく自然に尋ねてくる。
驚きはほんの一瞬で、すぐに嬉しさと暖かな気持ちで胸が一杯になった。
「わたし、仁村知佳。よろしくね」
とびきりの笑顔でそう返す知佳に、他の皆もほっと息を漏らす。
「しかし、知佳や坊主のことすんなり受け入れちまうなんて」
じょーちゃんも結構変わり者だな、とは真雪の言葉。
「わたしの友達にもちょっと人と違う人がいますから。それでですよ」
「ま、何にしてもよかった」
そう言って真雪は酒の入ったグラスを傾ける。
「あいつらもあんなだからいろいろ大変なこともあるだろうけど、仲良くしてやってくれよ」
満足そうにそう言うと、真雪は手にしたグラスの中身を一気に呷った。
「かぁーっ、やっぱ風呂上りの一杯はたまんないねぇ。どうだ、じょーちゃんも一杯」
「いえ、わたしはまだ未成年ですから」
「堅いこと言うなって。じょーちゃんの入居祝いにいいの出してやるからさ」
そう言うや否や、立ち上がって酒を取りに行こうとする真雪をキッチンから知佳が窘める。
「お姉ちゃん。未成年にお酒飲まそうとしないの」
「ちっ、ちょっとくらいいいじゃねーかよ。めでたい日なんだから」
「ダメだよ。これ終わったら咲耶ちゃんはわたしと一緒にお風呂入るんだから」
「わーったよ。その代わり、上がったらあたしに付き合えよ」
そう言って真雪はソファに座り直す。
「もう」
「あはは、真雪さんのはいつものことじゃないか」
「耕介、聞こえてるぞ」
「おわっ、す、済みません」
「ったく、おまえも後で付き合え。つまみつきでな」
「はいはい」
しょうがないなというふうにそれに返事をしてから、ふと耕介は真面目な顔になって知佳に聞いた。
「そういえば、あの子。大丈夫なのか?」
「あ、うん。とりあえず怪我とかはなかったみたい。今、愛お姉ちゃんが付いててくれてる」
「そっか」
とりあえずは一安心といったところだろうか。そう思って、耕介はほっと息を漏らす。
「……雨、降ってきちゃったね」
「ああ、天気予報では今夜一晩くらいは持つって言ってたんだけどな」
「相川君たち、泊まってってもらってもいいよね?」
「そうしてもらうといいよ。明日は日曜日だし、大丈夫だろう」
そう言うと、耕介は最後の皿の一枚を洗って水を止めた。
* * * * *
あとがき
龍一「HGSの二人の正体が早くも咲耶に知られてしまいました」
知佳「でも、咲耶ちゃんは受け入れてくれたよ?」
龍一「彼女もあれだからな。耐性が出来てるんだろう」
知佳「と、とにかく良かったよ」
龍一「これで残すところは十六夜さんと御架月だけだな」
知佳「そういえば今回、薫さんと楓ちゃんがいなかったみたいだけど」
龍一「それについては次回で」
知佳「それじゃ、次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」
龍一「第1章 始まりの夏 4 金色の堕天使、その名は……」
知佳「あなたには大切なもの、守れますか?」
すんなりとさざなみに馴染んだ咲耶。
美姫 「うんうん。良かったわね」
後は、霊剣の二人のみ。
美姫 「さて、どんな反応が来るかしらね」
いやいや、次回も非常に楽しみですな〜。
美姫 「本当よね〜」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「それでは〜」