トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第1章 始まりの夏

  5 破邪の剣

   * * * * *

 ――5月30日19:48。

 海鳴市西町・八束神社境内――。

 少女はかざしていた手を下ろすと、翼を消してゆっくりと地面に降り立った。

 金色の髪がふわりと広がり、そこから微かに燐光が零れる。

 どこか幻想的なその光景に、二人の退魔師はしばし我を忘れて見入っていた。

「お怪我はありませんか?」

「あ、ああ、うちらは大丈夫よ」

 少女の発した声に、薫が慌てて我に返ってそう答える。

 そこへ少女を探していた耕介たちがやってきた。

「あ、いたいた。おーい、皆見つかったぞ」

 耕介の上げたその声に、少女が自分のことだと気づいてバツが悪そうな顔をする。

 帰ってからばたばたしていたせいで事情を知らない楓と薫はどういうことかと耕介に尋ねた。

 それを受けて、耕介が二人に少女のことを説明する。

「なるほど」

「けど、何で急にいなくなったりしたん?」

 説明を受けた薫がそれに納得して頷き、楓が少女へと訳を尋ねる。

「近くに嫌な気配を感じたものですから。済みません、ご心配をおかけして」

 そう言って頭を下げる少女に、今度は薫が話し掛ける。

「ぶしつけで悪いんだけど、君はHGSなのか?」

「え」

 薫の口から出たその言葉に、知佳とリスティが反応する。

 しかし、少女は首を横に振ってそれを否定した。

「いえ、わたしはHGSじゃありません」

「じゃあ、さっきのあれは何ね。うちらの見間違いとでも言うんか」

「ちょっと薫、助けてもろといてそれはないんとちゃう?」

「楓は黙っとり」

「なっ、ちょ、ちょっと」

「あんたも早う答えんね。事と次第によっては……」

「お、落ち着いて薫さん。どういうことかちゃんと説明してよ」

 そう言って十六夜の柄に手を掛ける薫を慌てて知佳が宥める。

「その子、ついさっきまで背中に羽根生やして宙に浮かんどったとよ」

「なるほど。それでHGSだと思ったわけか」

 薫の言葉にリスティが頷き、一同は改めて少女へと目を向ける。

 少女は助けたはずの相手に警戒されて少し寂しそうだった。

「まあ、ここじゃ何だし、一度寮に戻ろうか」

 気まずくなりかけた空気を打ち払うように耕介がそう声を上げる。

 それに異論が出ることもなく、寮生達はぞろぞろと来た道を引き返していく。

「君も来るよね。荷物とか、うちに置いたままだし」

 歩き出しかけた耕介は少女がまだそこに佇んでいるのを見て、そう声を掛けた。

「あ、はい。お邪魔します」

   * * * * *

 ――5月30日20:03。

 桜台・さざなみ寮――。

「さて、じゃあまずは名前を聞かせてもらえるかな?」

 皆に飲み物を配り終えた耕介が少女に向かってそう尋ねる。

「さっさと吐いたほうが身のためよ。君も早う楽になりたかろう」

「まあまあ」

 耕介の左側に座った薫が少女を睨み、それを反対側から知佳が宥めている。

「薫、今時そんなの刑事ドラマでもやらないよ」

「リスティ、茶化さないの。えっと……」

 呆れたようにそう言うリスティを窘めつつ、知佳は少し困った顔で少女を見た。

「ティナクリスフィードです。あなたは?」

「あ、わたし、仁村知佳っていいます。年はたぶんクリスフィードさんと同じくらいかと」

「じゃあ、わたしのことはティナでいいですよ。そのほうが気楽ですし」

「うん。それじゃ、わたしも知佳で」

 そう笑顔で返す知佳に、ティナも微かに口元を緩めて頷いた。

 二人が打ち解けたのを見て、他の面々も口々に自己紹介をしていく。

 未だ謎の多いティナではあったが、そこはそれ。

 人外魔境のさざなみの住人たちにはあまり関係ないようである。

 ただ一人、薫だけが何故か未だに警戒心を露にしていたが。

「神咲薫ね。助けてもらったことには礼を言う。けど、うちはまだ君を信用したわけじゃないから」

 そう言って席を立つと、薫は一人でリビングを出て行ってしまった。

「どうしたんだろ、神咲先輩……」

「きっと気が立ってるんだよ。ほら、最近いろいろあったから」

 心配そうに薫の去ったほうを見るみなみに知佳がそうフォローするが、それを聞いて今度は雪が申し訳なさそうに顔を伏せた。

「あ、あう……」

「まあ、薫のほうは後で話を聞くとして、少しいいかい?」

 落ち込む知佳に苦笑しつつ、耕介が改めてティナにそう尋ねる。

「はい」

「じゃあ、わたしたちはお部屋のほうに行ってようか」

 咲耶が美緒と美由希を連れて席を立ち、楓とみなみ、唯子と小鳥もそれに習う。

「雪さん、お風呂まだでしょ。先に入ってきなよ」

「そうします。……真一郎さん、待っててくださいね」

「わわっ、他に人がいるところでそういうこと言わないでくれ」

「ほう、それって二人きりのときは良いってことだよね。相川先輩も中々」

「ま、槙原まで何言ってんだよ。お、俺は別に……」

「リスティ、そのくらいにしときなさい。まだ小さい子とかもいるんだから」

 ニヤニヤと何だか真雪めいた笑みを浮かべるリスティに、知佳は呆れたように溜息を漏らす。

「ほらリスティ、明日は検査の日でしょ。お薬飲んでもう寝なさい」

「しょうがないね。愛がそう言うのなら、僕は大人しく寝るとするよ」

「いい子ね。おやすみなさい」

「goodnight」

 そう言って軽く手を上げると、リスティも自分の部屋へと戻っていった。

 真一郎と雪も雪の部屋へ行き、後にはティナと耕介、愛に知佳、そして恭也の5人が残った。

「あの、俺も席を外したほうがいいですよね」

 そう言って立ちかけた恭也を耕介が軽く手を上げて制する。

「別にいても構わないよ。君も彼女には聞きたいことがあるだろうしね」

「済みません」

 耕介の言葉にそう言って頭を下げると、恭也は改めてソファへと腰を下ろした。

「さて、それじゃあまずはどうしてあんなところに倒れていたのか教えてもらえるかな?」

「倒れていた?わたしがですか」

 耕介の質問にティナは不思議そうな顔をして逆にそう聞き返した。

「麓のバス停の近く。わたしが見つけて、耕介お兄ちゃんと二人でうちまで運んだの」

「そうだったんですか。それはご迷惑をおかけしました」

 そう言って頭を下げるティナに、耕介は軽く手を振って気にしなくていいと言う。

「倒れる前のこととか、何か覚えてないかな?」

「ちょっと待ってください……」

 そう言うと、ティナは軽く目を閉じて考えるような素振りを見せる。

 暫くそうしていて何かを思い出したのか、不意に彼女の表情が微かに強張った。

「何か思い出したのかい?」

「あ、いえ、そうじゃなくて」

 軽く身を乗り出す耕介に否定の意を示しつつ、ティナは少し困ったような顔になる。

「えっと、あの、わたしの荷物、中見ました?」

 ティナのその質問に恭也が微かに反応し、耕介が思わず表情を引き攣らせる。

「えっ、あ、ああ、一応身元を確認出来ないかと思ってね」

「それで、何か出てきました?」

 からかうような調子で聞くティナに、答えたのは恭也だった。

「見慣れない電子手帳に数冊の古びた書物、そして一級品の小太刀が二振り入っていました」

「下着とか水着とかも入れてたんだけど。それも見た?」

「いえ、自分が見たのは小太刀だけです。他は耕介さんに聞いたんですが」

 そう言って耕介のほうを見る恭也に、耕介は慌てて首を横に振った。

「お、俺は知らないよ。そんなのどこにも入ってなかったって」

「ダメだよお兄ちゃん。女の子の鞄を勝手に開けたりしちゃ」

「だ、だから、俺は何も見てないって。信じてくれよ」

 情けない声を上げる耕介に、愛が助け船を出す。

「あの、わたしも見たけれど、本当にそれらしいものは入ってなかったわよ」

「そうなの?」

 愛の言葉に、知佳が不思議そうな顔をしてティナを見る。

「だって、ちゃんと人には見られないところに隠してあるもの」

「それならそうと最初から、いや、言わなくていいから」

 危うく地雷を踏みそうになり、慌てて言い直す耕介に知佳が白い目を向ける。

「とにかく、なぜあなたのような女性があのような小太刀をそれも二振りも持っているのか」

「護身用、っていうのじゃ理由にならないかしら」

「あれは素人に扱えるような代物じゃない。あなたも剣をされているのではありませんか?」

 真剣な目でそう尋ねる恭也に、ティナも茶化すのを止めて一つ頷く。

「確かにわたしは剣を振るうわ。けど、それは何かを壊したり、傷つけたりするためじゃない。

「では何のために?」

 ティナの答えに、恭也は珍しく驚いたような顔をしてそう尋ねる。

「秘密。どうしても知りたいなら、あなたのその剣で語らせてみなさい。なんてね」

 茶目っ気たっぷりにウインクしてみせるティナに、しかし恭也は頷いて席を立った。

「分かりました。準備しますので先に外に出て待っていてください」

「えっ、ええーっ!?

 恭也のその言葉を聞いて知佳が素っ頓狂な声を上げる。

「ちょ、ちょっと、恭也君。女の子に剣を向けるつもりなの?」

「薫さんとはいつも打ち合っています。それに」

 驚く知佳に、恭也はそう言ってティナへと向き直る。

「あなたはたぶん、俺より強い」

「なっ!?

 剣士としての直感からそう言った恭也に、彼の実力を知る知佳と耕介は思わず絶句した。

「軽い冗談のつもりだったんだけどまあ、いいわ。わたしも少しやってみたいし」

 ティナもそう言って立ち上がると、耕介に自分の荷物の場所を聞いてそれを取りにいく。

   * * * * *

 それから暫くして、二人は寮の庭で向かい合っていた。

「遠慮はいらないわ。全力で掛かってきて」

 腰の左右に差した小太刀の柄に手を添えつつ、ティナは静かにそう言った。

「何か、さっきまでと雰囲気が全然違うな」

「恭也君、大丈夫かな……」

 張り詰めた空気に耕介が額に汗を浮かべ、知佳が心配そうに恭也を見ている。

 恭也は右の小太刀だけを抜き、ゆっくりと戦闘の構えを取った。

 両者の間に隙はなく、ベランダからその様子を見ていた薫の額にも薄っすらと汗が浮かぶ。

「はぁっ!」

 先に動いたのは恭也だった。

 一気に間合いを詰め、ティナの脇腹目掛けて右の小太刀を振るう。

 ティナは軽く後ろへ下がってそれをかわすと、左の小太刀を抜いて切り掛かった。

 恭也は返す刃でそれを弾き、自分も左の小太刀を抜き放つ。

 そのままティナの首筋を狙って刃を振るったが、それは彼女の右からの斬撃によって簡単に阻まれてしまう。

 同時に左からの斬撃を右の小太刀で受け止めると、恭也は一度飛び退いて距離を取った。

「へぇ、二人ともなかなかやるじゃないの」

「仁村さん!?

「おっと、目を離すなよ。あの調子じゃ、いつ決着がついてもおかしくないからな」

 そう言って面白そうに眼下の光景を眺める真雪に、薫も思わず息を呑んだ。

「どうしたの?まだまだこんなものじゃないでしょう。それとも女のわたしなんかが相手じゃ本気になれないかしら」

「そういうあなたこそ、俺に合わせていないで本気になったらどうですか?」

「なら、今度はこっちからいかせてもらうわ」

 言うが早いか、ティナは左右の小太刀を腰の高さまで持ち上げた。

 構えとしては刺突に近い。

 だが、一方の小太刀が逆手に握られたその構えは恭也の知らないものだった。

 ――破邪真空流・双牙。

 踏み込みの一歩目からトップスピードに達するその速さは御神流の射抜と同じ。

 しかし、放たれるのは威力の異なる二つの刺突……。

 恭也はとっさにその本質を見抜くと、自身の最も得意とする技でそれを迎え撃った。

 まず右の小太刀で右を、続いて左で左の刺突を受け止める。

 ティナの放つ刺突は避け難いが、射抜のように自在に派生するわけではないので本来ならばそこまでのはずだった。

 再び振るわれた恭也の右の小太刀がティナの首筋へと向かう。

 ――決まった。

 ギャラリーの誰もがそう思った。……しかし。

 両方の刺突が受け止められた瞬間、ティナは自らの体に急制動を掛けるとその反動で上へと跳んでいた。

 その高さは裕に数メートルを超え、空中で体勢を立て直した彼女は両手の小太刀を胸の前で交差させた。

 ――破邪真空流奥義之六・極天垂。

「おい、冗談だろ!?

「いくらなんでもあの高さは異常です」

 皆が唖然とする中、落下の勢いに自身の体重を乗せた一撃が頭上から恭也へと襲い掛かる。

「恭也君!」

 恭也はとっさに右の小太刀を引き戻すと、四撃目の左に重ねてそれを受け止めようとした。

 しかし、そんな無理のある姿勢で防げるほどその技は甘くはない。

 受け止めた瞬間、全身を駆け抜けた衝撃に恭也は堪らず小太刀を手放してしまった。




   * * * * *

  あとがき

龍一「激突する二つの刃」

知佳「恭也君、負けちゃったね」

龍一「単純な技量じゃそうでもないんだけどな」

知佳「ティナのあれはそれだけじゃなさそうだもんね」

龍一「真空流自体、どちらかというと人外相手に振るわれる剣だからな」

知佳「それを使えるティナも人外ってこと?」

龍一「いや、今更驚くこともないだろう。何せさざなみだし」

知佳「うちの寮って一体……」

龍一「さて、冗談はこれくらいにして次回予告」

知佳「ティナの口から語られる真空流の過去」

龍一「そして、彼女の剣を振るう理由を聞いた恭也は自身を見つめ直すことに」

知佳「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」

龍一「第1章 6 守れなかったもの」

知佳「優しい風は、好きですか……」

 




激突した二つの刃。
美姫 「うんうん。緊迫した展開だったわね、今回は」
だな。で、次回は…。
美姫 「ティナの口から語られる過去…」
果たして、それは一体、何なのか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



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