――5月30日21:05。

 桜台・さざなみ寮――。

「まさか恭也の奴が負けるなんてな。何もんだ、あのじょーちゃん?」

 倒れた恭也に近づき、手を差し伸べているティナの背中を見ながら、真雪が感心したようにそう漏らす。

「ありゃ神咲、おまえでも敵わないんじゃねえか」

「…………」

 薫は無言でじっとティナの背中を見ていた。

「おい、神咲」

「あ、はい。何ですか?」

 真雪に肩を掴まれ、薫は慌ててそちらを向いて聞き返した。

「らしくねぇな。ぼーっとして、そんなに恭也があの娘に負けたのがショックだったか?」

「いえ、そういうわけでは……」

 何やら目を逸らせて口篭る薫に、真雪は軽く肩を竦めて苦笑した。

「ま、いいけどな。疲れてんだろ。もういっぺん風呂入って今日はもう寝な」

「そうさせていただきます」

 真雪の言葉に軽く頭を下げ、薫はベランダを後にした。

「さて、あたしは少し下の連中をからかってくるとするか」

 ニヤリという形容がぴったりの笑みを浮かべてそう言うと、真雪も階下へと降りていく。

「おーい、耕介。酒、後何か食えるもんある?」

「あ、真雪さん。ちょっと待ってくださいね。今何か作りますから」

 そう言ってキッチンへと向かう耕介を見送りつつ、真雪はソファへと腰を下ろす。

「で?」

 ニヤニヤしながら対面のソファに座っているティナを見る真雪に、知佳があちゃあ、という感じに片手で顔を覆う。

 それに対してティナはバツが悪そうに表情を引き攣らせたものの、必要以上に動揺したりはしなかった。

 ちなみに彼女の膝の上には極天垂をまともに受けて意識を失ってしまった恭也の頭が乗っていたりする。

 それを見た真雪は早速からかおうとしたのだが、それよりも先にティナが口を開いた。

「ご心配なく。彼は軽い脳震盪を起こしているだけですから。原因は見ての通りです」

「そ、そうか。まあ、そんなことだろうとは思ったけどな」

 機先を制され、真雪は苦笑しつつそう言った。

 ……こいつ、あの状況であたしや神咲のことにも気づいてやがったのか。

 内心で舌を巻きつつ、真雪は思い出したようにティナへと尋ねる。

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったよな。あたしは仁村真雪ってんだ。そっちは?」

「ティナクリスフィードです。あの、仁村ってことは知佳の?」

「ああ、こいつはあたしの妹だよ。生意気でかわいくなくて全然似てねぇけどな」

「お姉ちゃん!」

「何だよ、本当のこと言っただけじゃねえか」

「むー、どうせわたしはかわいくないですよ」

 膨れてそっぽを向く知佳に、ティナはすっと目を細めてぽつりと言った。

「……そんなことない」

「え?」

「知佳、十分可愛いよ。それはもう、思わず襲いたくなっちゃうくらいにね」

 そう言って妖しい笑みを浮かべてみせるティナに、知佳は思わず引き攣った笑みを浮かべた。

 ――な、なんか、今日はこんなのばっかだな……。

「まあ、冗談はさておき。あ、でも、知佳が可愛いっていうのは本当だからね」

「あ、ありがとう……」

「で、ティナ。あんた、どうしてうちの庭でそいつとやり合ってたんだ?」

 未だ気絶したままの恭也を指差して聞く真雪に、ティナはどう説明したものかと顎に人差し指を当てて考えるポーズを取る。

「この子が知りたがったからかな。わたしが剣を振るう理由。たぶん、同じだから」

「大切なものを守るためってか?」

「大きな力はそこにあるだけで災厄を呼び寄せてしまう。だから、それを持つものは自分を含めて大切なものを守れるだけの術を持たなくちゃいけない。もちろん、自分自身がその災厄とならないための意思も。わたしはそのために力を得て、技を磨いてきた。そのはずだった……」

 そこまで言うとティナは顔を伏せた。

「済みません。初対面の方にお話しするようなことじゃありませんよね」

「いや、あたしは別に構わないけどさ」

「悲しいことがあったんだね」

「知佳」

「全部じゃなくてもいい。でも、辛いなら、少しでも話してくれないかな。わたしはたぶん、あんまり大したことは出来ないけど、聞いてあげるくらいは出来るから」

 じっと真摯な眼差しで見つめてくる知佳に、ティナは胸の奥が熱くなるのを感じた。

「おい、知佳」

「真雪さん、酒とおつまみ用意出来ましたよ」

「ちっ、なんつータイミングだ。耕介の奴、狙ってやがったな」

 小さく舌打ちすると、真雪は携帯灰皿を手に立ち上がった。

「今日は部屋で飲む。耕介、おまえも付き合え」

「はいはい」

 やや強引に腕を取って引っ張っていく真雪に、苦笑しつつ耕介は大人しくついていく。

「それじゃ、知佳。あんまり夜更かしするんじゃないぞ」

 そう言って出て行く真雪に、知佳は軽く目だけで礼を言った。

 ……そして、二人きりになったリビング。

 愛は自分の部屋で帳簿を付けていて当分出てきそうにない。

 雪と薫は現在入浴中で、他のメンバーもそれぞれ部屋で何かしているようだった。

「本当に聞いてもらってもいいの?」

「わたしでよければ」

 確認するようにそう尋ねるティナに、知佳はそう言って小さく頷いた。

 それで決心がついたのか、彼女はぽつりぽつりと話し出す。

 ……それはむかしむかし、あるいはずっと未来のお話。

 背中に一対の翼を持ち、それ故に戦う道を選んだ一人の少女の物語……。


   * * * * *

  トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第1章 始まりの夏

  6 守れなかったもの

   * * * * *


 いつからそうだったのか、今となっては最早判然としない。

 鳥が生まれながらに飛び方を知っているように、魚が生まれた瞬間から泳ぎ出すように。

 わたしにとってのそれはその程度のことでしかなかった。

 迷えるものに教えられた通りの答えを示し、そのものがそちらへと歩いていく背中を見送る。

 例えるなら夜の海を照らす灯台……。

 その頃の世界はまだ暗くて、誰もが進むべき道を知らなかったから。

 わたしはそれを示すものの使いとして、彼らに主の意思を伝えた。

 そうすれば人はそこからちゃんと自分の足で歩いていけるから。

 確かな目的を持って前を向いている人の姿はとてもきれいで、眩しいくらいに輝いていた。

 もしも選ぶ権利があるのなら、わたしもいつか彼らのようにこの足で歩いていきたい。

 最初はほんの小さな憧れだったその未来は、多くの時を見る中で次第に現実味を帯びていき、そして……。

 何度目かの現世、わたしは一人の少女を救ったのを最後にその役目を捨てた。

   * * * * *

 ――5月31日05:17。

 桜台・さざなみ寮――。

 早朝のさざなみ寮の裏庭に甲高い金属音が響き渡る。

 薫が上段から振り下ろした模造刀を、僅かに重心をずらしつつ美由希が小太刀で受け止める。

 受け止められたと見るや否や、薫は一度刀を引いて今度は横から美由希の胴を狙う。

 美由希はそれを屈んでかわすと、体のバネを利用して下から上へと切り上げようとした。

 しかし、薫の刃が途中で軌道を変えて頭上から振り下ろされるのを感じた美由希は、慌てて横へと転がってそれをかわす。

 ここまでの二人の戦いは薫がやや優勢。

 兄以外と戦ったことのない美由希は、自分のそれより長い得物を相手に戸惑っているようだ。

「動きが単調になりすぎだ。落ち着いて、もっとよく相手を見ろ」

 傍らで二人の戦いを見ていた恭也は美由希の動きを見つつ、時折アドバイスを送る。

 それに応えるように美由希は一度距離を取ると、息を整えながらじっと薫の様子を伺った。

 剣士として日々成長を続けている妹に経験を積ませるべく、恭也は薫に実戦形式での試合を申し込んだ。

 6週間に及ぶ薫の霊力による治療のおかげで今や彼の膝は完全に元の力を取り戻していた。

 それにより、剣士として一度は諦めていた完成への道を再び歩き出すことにもなった。

 とはいえ、今の恭也に以前のような焦りはなく、寧ろゆっくりと確実に力を伸ばしている。

 こうして偶に弟子の成長ぶりを眺める余裕も出来た。

 さて、こいつにとって今回の試合がどう影響することやら。

 再び小太刀を抜いて薫へと向かっていく美由希を見やりつつ、恭也は考える。

 彼女の動きにはまだ無駄が多いものの、放たれる一撃の鋭さは確実に増してきている。

 ――これはそう遠くないうちに貫を打てるようになるかもしれないな……。

 恭也が感心したようにそんなことを思っていると、不意に背後から声を掛けられた。

「おはよう。二人とも朝早くから頑張ってるわね」

「ティナさん」

「耕介さんに聞いたらここだって。隣、いいかしら?」

 そう言って恭也の隣に立つティナに、恭也は頷いて彼女に場所を空けた。

「ありがとう」

「いえ」

 そう言って微笑むティナに、恭也は照れたように微かに視線を逸らす。

「昨夜はよく眠れた?」

「はい。おかげさまで……」

「ごめんなさい。つい力が入っちゃって。体、どこも痛くない?」

「ええ、あれくらいの打ち身は父が健在だった頃は茶飯事でしたから」

 恭也は前を向いたままそうティナに言う。

「お父さん、亡くなられたの?」

「仕事中の事故でした」

「そう……」

「父は自分の守るべきものを守り抜いて死んだんです。それに」

 申し訳なさそうな顔をするティナに、恭也は前を向いたままでそう答える。

「俺にはまだ家族が、母と妹たちがいます。守るべきものがあるから、俺は大丈夫ですよ」

「それはそのための力?」

「正しいことなのかどうかは分かりません。けれど、俺にはこれしかないから」

 そう言って立ち上がると、恭也は父の形見でもある八景を握り締める。

 ティナはそんな恭也の横顔を眩しそうに目を細めて見上げていた。

   * * * * *

 裂帛の気合いと共に、薫の刀が上段から美由希へと迫る。

 美由希は二刀を重ねてそれを受け止めるが、弱冠11歳の少女の細腕に十分に体重の乗った一撃を支えきるだけの力があるはずもなく……。

「そこまで!」

 美由希の手にした小太刀が半ばで折れ飛ぶのを見て、恭也は二人に制止の声を掛けた。

 薫はそれを受けて刀を下ろし、呆然と折れた小太刀を見つめている美由希へと声を掛ける。

 それに頷きつつ、二人の元へと行こうとする恭也に、ティナが立ち上がって声を掛ける。

「わたしにも妹がいたの。優しくて、誰よりも人の痛みの分かる子だった」

「…………」

「わたしの剣はね、その子を守るための護剣だったのよ。でもね……」

 ティナはそこで一度言葉を切ると、搾り出すように言葉を続けた。

「……護れない護剣に、意味はあるのかしら……」

   * * * * *

 ――風が、吹いていた……。

 優しくて、暖かくて、冷たくて、悲しくて……。

 ……ざわめき。

 色を失った世界の中で、わたしは目の前に横たわる死から目を逸らすことさえ出来ない。

 感じているのはそんなただ悲しいだけの記憶……。

「それで、あなたは憎むの?あなたから大切なものを奪ったものを」

 すべてを語り終えた銀髪の少女に、対面に座る金髪の少女はただ静かにそう尋ねる。

「そんな暇があったら、あの人を探します。だって、わたしはこうして生きているのだから」

 力強くそう返す少女に、金髪の少女――フィアッセクリステラは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。




   * * * * *

  あとがき

龍一「謎が明かされたようで実は何も明らかになっていない今回のお話」

知佳「肝心なところは全部省略されてるって感じだね」

龍一「おまけにあからさまなこの伏線の数々」

知佳「分かってるなら、何とかしようよ」

龍一「努力はしてるんだけどな。何分その場のノリとかで書いていることが多いもんで」

知佳「あ、あはは。さて、次回予告」

龍一「寮の中で見つかる不思議な羽根。それに力を感じた薫はティナを問い詰めてしまう」

知佳「そのせいで気まずくなった空気を何とかしようと耕介お兄ちゃんは皆で出掛けることを提案するけれど……」

龍一「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」

知佳「第1章 7 天使たちの休日」

???「大切なもの、何ですか……」

 




幾つかの謎らしきものが新たに出る中、さざなみ寮内も何やら一波乱が起こりそうな…。
美姫 「次回が非常に気になるわね」
うんうん。これらの謎が明らかになる時、一体、何が起こるのか。
美姫 「次回も楽しみに待ってますね」
ではでは。



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