* * * * *

「――護れない護剣に意味があるのかしら……」

 そう言ったティナの表情が一瞬曇ったように見えたのは果たして恭也の気のせいだろうか。

 ――何があったのかは、大体分かる。しかし、それを尋ねても良いのだろうか……。

「どうしたの、恭ちゃん」

 逡巡する恭也に美由希が怪訝そうに声を掛ける。

 それに恭也が答えるより先にティナが何でもないと言って首を横に振ってみせる。

 彼女のその動作が気持ちを切り替えるためのものであったことを分からない恭也ではない。

 護れなかったものの痛みは自分には分からない。けれど、それでも……。

 必死に言葉を探す恭也を他所に、ティナは小太刀を抜いて基礎動作を始めた。

 その鋭さに折れた小太刀を拾おうとしていた美由希が手を止め、薫が感嘆の息を漏らす。

 恭也もまたいつしか彼女の振るう剣に視線を注いでいた。

「大したもんね。さすが恭也君を負かしただけのことはある」

「えっ。恭ちゃん、負けたんですか!?

 薫の言葉に、美由希が驚いて思わず二人を見る。

 恭也はバツが悪そうに顔を顰めてそれに頷いた。

「ああ、昨夜ちょっとな」

「嘘。だって恭ちゃん、あんなに強いのに」

「上には上がいるということだ。おまえも一度手合わせしてもらうといい」

「う、うん。あ、でも、今はちょっと」

 そう言って折れた小太刀へと目を向ける美由希に、ティナがそっと笑いかける。

「今まで全力で頑張っていたものね。わたしはいつでもいいから気にせず休んで」

「はい。ありがとうございます」

 美由希はぎこちないながらも笑顔でそれに頷いて頭を下げた。

 彼女はティナのその言葉と笑顔にさざなみの人たちと同じ優しさを感じたのだろう。

 そのことが本当に嬉しくて、だから自分も精一杯答えようとした。

 そして、似たような感想を抱いた者がもう一人。

「あ、あの、うちとも手合わせしてもらっていいかな?」

 昨日出会ってから刺のある態度ばかりを取っていたこともあり、薫がおずおずとそう尋ねる。

 聞かれたティナは少しきょとんとした顔をして、それから満面の笑顔でそれに頷いた。

「でも、その前に……」

 明らかにほっとしている薫に歩み寄ると、ティナはいきなり頭を下げた。

「昨日はでしゃばった真似をしてしまってごめんなさい。邪魔するつもりはなかったんだけど」

「うちのほうこそ何か意固地になってしまって。不快な気分にさせてしまったんと違う?」

「いえ、ちゃんと名乗らなかったわたしも悪いですから」

「事情があるんなら、無理に名乗らんでもよか。それくらい、ここの人は分かってくれるね」

「優しい人たちばかりですよね。あなたも含めて」

「うちはともかく、ここの住人は皆よか人ばかりよ。だから、出来るだけ守りたい」

 少し照れたように目をそらしつつ、それでもはっきりとそう言う薫に、ティナは笑って手を差し出す。

「優しいですよ、あなたも。だから、もし嫌じゃなければ仲良くしたいな」

「ああ、うちも……」

 そう言って差し出された手を握る薫の口元にも小さく笑みが浮かんでいた。

「さて、さっきからずっとわたしのことを見ているそこの君。何か言いたいことでもあるの?」

 そう言って振り返ったティナと恭也の目が合った。

 慌てて目を逸らす恭也に、ティナは小首を傾げて微笑む。

「へぇ、恭也はそういうのが好みなんだ」

「リ、リスティさん。何を言ってるんですか」

 いつの間にか近くにきていたリスティにそう言われて、恭也は慌てて否定する。

「照れない照れない。えっと、ティナだっけ。僕はリスティ槙原。ここのオーナーの娘だよ」

「ティナクリスフィードです。よろしく」

 と、こちらは余裕を持ってそれに答えるティナ。

「そっちの子は?」

「ああ、これは僕の友達でウインディって言うんだ」

 リスティはそう言って自分の肩に止まっている桜文鳥を紹介する。

「へぇ、いいですね。わたし、鳥って結構好きなんですよ」

「そうなの?」

「ええ。小さい頃からずっと憧れていました。わたしもあんなふうに飛べたらなって」

「それは鳥というよりも空に憧れていたんじゃない?」

「そうですね。そうかもしれません……」

 リスティの指摘に小さく頷き、よく晴れた空を見上げながらティナは言う。

 その背中にゆっくりと広がる翼を見て、彼女と薫以外の三人から驚きの声が上がった。

   * * * * *

  7 天使たちの休日

   * * * * *

 ――5月31日07:31。

 桜台・さざなみ寮――。

 ――フェザーリード。

 ティナの翼について薫が目撃者を代表して尋ねたところ、返ってきた答えがそれだった。

「導きの翼。自分でいうのは少し恥ずかしいけれど、一般に天使と呼ばれている存在です」

 そう説明を添えると、彼女はティーカップを傾けて耕介が淹れた紅茶を一口啜る。

 そこはさざなみ寮のリビング。

 寮生一同に客人も交えて今は食後のティータイムを楽しんでいるところである。

 それに際して昨夜はいろいろあって出来なかった全員の顔見せアンド自己紹介も行われた。

 それぞれに名乗り、趣味や通っている学校のことを話す中、ティナは自分の正体を明かした。

「天使って、あのお話とかに出てくる奴だよね」

 皆を代表してそう尋ねる知佳に、ティナは少し違うと首を横に振った。

「とりあえずわたしは天使だけど、特別な使命とかは持っていないの」

「どういうこと?」

 そう答えるティナに今度はリスティが疑問を投げる。

「そうね。みんなはHGSについてどれくらい知っている?」

「えっと、わたしは症状に関しては大体全部かな」

「僕も知佳と同じだよ。副作用とか羽根とかそんな感じ」

 ティナの質問にHGS能力者の二人が答える。

 他の者たちも程度の差はあれ、全員がHGSの力と羽根について知っていた。

 彼女はそのことに関心しつつ、先の質問に答えるべく口を開いた。

「フェザーリードはそのHGSの始祖にして完全体。それがわたしのいた世界での天使の定義」

 そう言ってソファから立ち上がると、ティナは数歩窓へと近づいて振り返る。

 その背中に広げられた純白の翼に、一同は思わず見惚れてしまった。

「さて、わたしの正体はこんなところだけど、何か質問はあります?」

 翼を畳んで消しながら一同を見渡してそう尋ねるティナ。

「ちょっと待って」

「何かしら、知佳」

「えっと、天使がHGSの始祖で完全体ってことはやっぱりティナもHGSなんじゃないの?」

「まあ、似たようなものと言えなくもないわ」

「でも、昨夜薫が聞いたときは違うって」

「あー、何でもいいじゃねえか。ようするにそいつもおまえらと同類ってことだろうが」

 混乱しかけた知佳とリスティに、真雪が鬱陶しそうにそう言って黙らせる。

「あ、あの、真雪さん」

「何だよ耕介、おまえも何か文句でもあるのか?」

「い、いや、そうじゃなくてですね……」

 言いよどむ耕介に代わって知佳が真雪の失言を指摘する。

「お姉ちゃん。自分でわたしたちのこと喋っちゃってる」

「あ」

 言われて真雪の表情が一瞬固まる。

「まあ、ティナは最初から気づいてたみたいだけどね」

「なっ、そうなのか?」

 リスティにそう言われて一同が彼女のほうを見る。

 ティナは悪戯を見つかった子供のようにペロリと舌を出して苦笑している。

「昨日の二人の反応と、皆さんの様子を見ていれば気づきますよ」

「それならそうと言ってくれれば良かったのに」

 軽く肩を竦めて溜息を漏らす知佳に、ティナは小さく手を合わせて謝る。

「ごめんなさい。何か却って余計な気を遣わせてしまったみたいで」

「別にいいよ。それじゃ、他に質問もないみたいだし、とりあえず解散しよっか」

 そう言って一同を見回す知佳に、皆もそれぞれに頷いて散っていった。

 美緒は遊びに来た望と一緒に出掛け、みなみも例の小学生たちとバスケをするのだと言って出掛けていった。

 薫と楓は仕事、真雪も編集者と打ち合わせがあるとかで午後には出掛けるという。

「愛さんも今日は出掛けるんですよね?」

「ええ、大学のほうにちょっと」

「知佳は?」

「わたしは咲耶に街を案内するつもりだけど、お兄ちゃんも一緒に行く?」

「うーん、そうだな……」

「唯子、わたしたちはそろそろ」

「うん、そだね。いずみちゃんたちとの約束もあるし」

 そう言って荷物をまとめる二人。

「美由希、俺たちも一度家に戻るとしよう」

「うん。庭の花壇に水とかもあげないといけないしね」

 二人が立ち上がるのを見て、ティナも席を立った。

「それじゃ、わたしはそろそろお暇させていただきますね」

「もう行くのかい?」

「少しやらないといけないことがありますから。いろいろとお世話になりました」

 皆が慌しく動き出す中、自分を呼び止めた耕介にそう言って頭を下げるとティナはさざなみを後にした。

 ――さて、これからどうしようか……。

 坂道を下りながら考えるティナに誰かがそっと話し掛ける。

 ――あそこにいたかったんじゃありませんか?

 …………。

 ――あそこの人たちは皆優しい。あなたは求めていたんじゃありませんか?

 ……だからこそいてはいけないのよ。わたしのこの翼は、力は災禍を呼び込んでしまうから。

 ――ティナ……。

 ……今は帰る方法を探しましょう。わたしたちと、あの子がいた世界に。


   * * * * *


 ――5月31日09:03。

 海鳴市街・セダン車内――。

 後部座席の一つで足を組みながら、リスティは不機嫌そうに窓の外を眺めていた。

「ったく、僕らに何も言わないで行っちゃうなんてどういうつもりだよ」

「まあまあ。ティナにもきっと何か事情があったんだよ」

「それにしたって一言くらいあってもいいじゃないか。同じ羽根持ちなんだしさ」

「拗ねないの。あ、そうだ。わたし、ティナとケータイのアドレス交換したんだった」

 むくれるリスティを宥めつつ、知佳は思い出したようにそう言って携帯を取り出した。

「あ、それ、DACOMAの最新機種。ちょっと見せて」

 携帯をいじる知佳の手元を横から覗き込んで咲耶が言う。

「いいよ。はい」

「へぇ、これって確かこの春の限定モデルでしょ。よく手に入ったね」

「あー、半年も前から予約しておいた上に、発売当日の朝開店2時間前から並んでたからね」

 感心する咲耶に、リスティが皮肉たっぷりにそう説明する。

「リスティだって、そのウォークマンのときは似たようなものだったじゃない」

「まあね」

「ところで知佳。あなた、いつの間に彼女と仲良くなったの?」

「ああ、昨日の夜にちょっとね」

 興味津々の様子で尋ねる咲耶に、知佳はそう言って言葉を濁した。

「彼女も訳有りってことか」

「うん。だから、アドレス教えてもらったけど、しばらくは掛けないようにするつもりだよ」

「ふーん。まあ、僕としてはいつでも連絡が取れるんならそれでいいんだけどね」

 そう言うとリスティは再び視線を窓の外へと向ける。

 一方、知佳は咲耶と一緒に反対側の窓から景色を見ながら時折それに解説を加えていた。

「あそこに見えるのがわたしの通ってる聖祥女子の校舎。それで、その向こうにあるのが私立風ヶ丘学園。咲耶も明日から風ヶ丘に通うんだよね」

「うん。わたしは二年生だから、ちょうどみなみさんとリスティの間になるのかな」

「へぇ、じゃあ先輩って呼んだほうがいいのかな?」

「あはは。いいよ、今のままで。わたしは先輩って柄じゃないし、そのほうが気が楽だから」

 そう言って笑う咲耶に、リスティも小さく笑って返す。

「後ろは何だか楽しそうだな」

「そ、そーっすね」

 何故か仏頂面でハンドルを握る真雪に、やや引き攣った笑みを浮かべて相槌を打つ耕介。

「耕介、おまえあたしに何か隠してないか?」

「い、いやだな。俺が真雪さんに隠し事なんてするわけないじゃないですか」

「セリフが棒読みになってる。却って怪しいぞ」

「あー、えっと……。済みません。実は真雪さんに内緒で大吟醸一本空けちゃいました」

「それだけか?」

「えっと、月下美人も……」

「はぁ、ったく、しょうがねぇな。ちゃんと代わりの酒は用意してあるんだろうな」

「もちろんですとも。後、各種おつまみも用意させていただきますのでどうかご勘弁を」

 そう言って必死に拝み倒す耕介に、真雪は軽く肩を竦めて許してやるのだった。

 実はこのとき耕介が言ったことは真雪が勘ぐったのとはまた別の真実だった。

 酒の件はそれを隠すためのカムフラージュに過ぎない。

 ――すいません真雪さん。でも、もう少し、もう少しだけいいですよね。

 自分に言い聞かせるような言い訳を心の中で繰り返しつつ、耕介は真雪に手を合わせた。




   * * * * *

  あとがき

龍一「ティナの正体の一端が明かされた今回のお話」

知佳「天使がHGSの始祖ってどういうこと?」

龍一「正しくはangeles―proglafiy(アンゲルスプログラフィー)と言って、特殊な環境に反応して出現する遺伝子パターンの一種なんだけどな」

知佳「うんうん」

龍一「この天使因子(AP)が現れると、その保持者には念動力を始めとして様々な特殊能力が備わる。尤もAPには固体別に適合率というのがあって、その比率によっては固体との間で歪みが生じて種々の随伴症状、偏頭痛や突発性の発熱などを起こすことがある」

知佳「これがHGSだね」

龍一「その通り。そして、このAPに完全に適合した上でその力を最大限引き出せる能力者を本作では天使と呼ぶ」

知佳「なるほど」

龍一「読者の方もお分かりいただけましたでしょうか」

知佳「分かりにくいこととかがあったら掲示板のほうで」

龍一「感想などもいただけると嬉しいです」

知佳「それではまた次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」

龍一「第1章 8 そこにあるもの でお会いしましょう」

知佳「探し物は、何ですか……」

 




へ〜、へ〜、へ〜。
美姫 「天使因子ね」
ティナの秘密の一旦は、これだった!
美姫 「さて、次回はどんなお話が繰り広げられるのかしらね」
次回も非常に楽しみだな。
美姫 「本当よね〜。次回も楽しみにしてますね〜」
ではでは。



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