トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第1章 始まりの夏
8 そこにあるもの
* * * * *
――5月31日09:35。
海鳴中央大学付属病院前――。
「じゃあ、行ってくる」
一人車から降りると、リスティはそう言って皆に軽く手を挙げた。
「リスティ、今日の検査は時間どれくらい掛かるの?」
「そんなに。夕方までには戻れると思う」
「そっか」
「今日の晩御飯はリスティの好きなクリームシチューだからな」
「楽しみにしてる」
そう言うとリスティは病院の中へと入っていった。
「リスティ、クリームシチューが好きなんだ」
「うん。特に耕介お兄ちゃんの作るのはおいしいから」
「耕介さん、料理上手ですもんね。昨日の白身魚の野菜あんかけもおいしかったし」
「あはは、ありがとう。まあ、それだけが取り得みたいなものだからね」
そう言って照れたように頬を掻く耕介。
「おい、そろそろ移動しないか。いつまでもこんなとこにいても時間がもったいねぇだろ」
「それもそうですね」
真雪の言葉に耕介が頷き、知佳がその隣で少し考えるような素振りをみせる。
「じゃあ、とりあえず駅前まで行って。そこからあちこち見て回るから」
「ま、妥当な線だな。あたしは午後から打ち合わせだから、帰りは適当に自分らで帰れよ」
「うん。ありがとう」
再び走り出したセダンの車内で交わされる姉妹の会話に、咲耶が少々遠慮がちに割って入る。
「あの、打ち合わせって?」
「ん、ああ、そういや咲耶にはまだ言ってなかったんだっけな」
真雪は思い出したようにそう言ったものの、自分から説明するつもりはまったくないようだ。
そんな姉の考えを悟った知佳は仕方なさそうに溜息を漏らすと、徐に口を開いた。
「咲耶は少女フローラルってマンガ雑誌知ってる?」
「うん。知ってるよ。毎月買って読んでるから」
「じゃあ、その連載の一つに夜の国ってあるのも知ってるよね」
「草薙まゆこのでしょ。わたし、単行本1巻から全部初版で持ってるよ」
「へぇ、よっぽど気に入ってんだな」
前を向いたままそう言う真雪は何故か嬉しそうだ。
「で、それがどうかしたの?」
「うん。その草薙まゆこなんだけど。実はうちのお姉ちゃんだったりします」
「はい?」
知佳のその告白に、咲耶の思考が一瞬止まる。
「え、ええっ!?」
セダンの車内に咲耶の叫びが反響する。
その反応に知佳と耕介が苦笑し、真雪はしてやったりというふうにニヤリと笑みを浮かべる。
「ほ、本当なんですか?」
「ああ、そうだよ」
恐る恐る尋ねる咲耶に、当人は実にあっさりとそれを肯定する。
「あ、あの、サインいただいてもいいですか?」
「ああ、あたしのでよけりゃいくらでもやるよ」
「やった!」
飛び跳ねんばかりに喜ぶ咲耶に、今度は真雪までもが思わず苦笑を漏らしていた。
その後、駅前で車を降りた三人は主にデパートや商店街を中心に海鳴市内を見て回った。
「せっかくだから少し買い物していこうよ。そろそろ夏物も見たいし」
「いいね。わたしも少し足りない物とかあるし。耕介さん、いいですよね?」
美少女二人に左右から見上げられ、耕介は思わず頷いてしまった。
それがどういうことかもよく考えないままに……。
* * * * *
――5月31日09:42。
桜台・国守山山中――。
「確か、このあたりやと思うんやけど」
楓は愛用の小太刀・円を手にそう言って辺りをきょろきょろと見回した。
彼女は神咲一灯流正当伝承者である従姉妹の神咲薫と共に一つの依頼を受けていた。
楓も神咲楓月流の当代である。薫には及ばないまでもその実力は確かなものだ。
そして今回、楓は実戦経験を積むために薫のサポートという形で彼女の調査に同行している。
依頼主は西街にある八束神社の神主。薫が何かと世話になっているあの退魔師の先生である。
その先生によると、数日前から国守山を中心に霊気の乱れが生じているのだという。
それは霊的に非常に安定している海鳴では珍しいことで、薫や楓もその異変は感知していた。
そこに一昨日未明に突如出現し、消失したという巨大な光の柱である。
神主はそれらの関連を明らかにし、有害であれば速やかに対処するよう二人に求めたのだ。
――そして、今。楓の探索を頼りに二人は湖の傍らまで来ていた。
そこはかつて大妖ザカラの眠っていた場所。
今は一振りの魔剣として真一郎の手の中にある彼の大妖との死闘はまだ薫の記憶に新しい。
――力ある者たちが自分の大切なものを守ろうとその力を振るい、傷つきながらも勝利した。
その戦いでザカラは自らを真に求めるものと出会い、その姿を剣へと変化させたのだが。
……その影響が今になって現れ出した、ということか。
薫は真剣な表情で湖へと視線を向ける。
そこはまるで何かがぽっかりと抜け落ちたように、霊的な空白地帯と化していた。
「ザカラが動いたから、その空白を埋めようと霊気が動いているのか」
一人冷静に状況を分析していた薫の耳に突然楓の声が飛び込んできた。
「か、薫。あれ!」
驚愕に見開いた目でこちらを見ながら湖の対岸を指差す楓。
そこにいたのは漆黒の翼をその背に生やした一匹の獅子だった。
* * * * *
――同時刻。
桜台・国守山山中――。
林の中を駆けていた美緒と望は急に様子の変わった猫たちに驚いて足を止めた。
「次郎、小虎。どうしたのだ?」
怯えたように耳を伏せて小さくなる小虎。
それを庇うように寄り添う次郎もどこかそわそわと落ち着きがない。
「み、美緒ちゃん。あれ!」
そう言って望が指差したほうを見た美緒は思わず口をぽかんと開けてしまった。
そこにあったのは今まさに飛び立とうとしている一羽の黒い鷲の姿だった。
* * * * *
湖面すれすれのところを滑空し、巨大な獅子が薫たちへと迫る。
その額に第3の目を見て取った二人は、すぐさま散開してそれぞれの得物を抜き放った。
「神威・楓刃波!」
薫が上段から十六夜を振り下ろし、楓が円を右から左へと薙ぎ払う。
同時に放たれた霊力の波は向かってきた獅子を左右から挟み撃ちにして爆発した。
だが、それで終わったとは薫も楓も思わない。
案の定、湖面に上がる水柱を突き破って獅子がその爪を薫目掛けて振り下ろしてきた。
薫はその一撃を後ろに下がりつつ十六夜で流すと、再び楓刃波を放つ。
今度は避けられたそれを楓の円が受け止め、自身の霊力と同調させて跳ね返す。
薫はそれを同じように十六夜で受け止めると、楓に向かって返した。
――神咲一灯流奥義、神威・楓花疾光弾……。
二人の退魔師の間で極限まで高められた霊力が今、異形の獅子へと放たれる。
* * * * *
断末魔の叫びを上げることさえなく、その大鷲は光の粒となって消えていった。
それを行なった金髪の少女は、何ともいえない表情で消えていく光を見上げている。
――位相反転光波体・アクエリウスシールド……。
その実態は触れたものを素粒子レベルで分解し、消滅させる破滅の光である。
やがて宙にかざしていた右手を下ろすと、ティナはゆっくりと背後を振り返って声を掛けた。
「もう大丈夫。悪い幽霊はちゃんと天に帰ったから」
そう言って微笑むティナの横顔はどこか寂しげなものだった。
「た、助かったのだ……」
心からの安堵の声を漏らし、へなへなと地面にへたり込む美緒。
「あ、ありがとうございます。えっと……」
「ティナクリスフィード。あなたは美緒の友達?」
「はい。藤田望といいます。助けていただいてありがとうございました」
そう言って丁寧に頭を下げる望に、ティナは少し感心した。
「意外と冷静なのね。もしかして、こういう事態に慣れてたりする?」
「あ、いえ、その、ティナさんの羽根がすごく綺麗だったから……」
怖さを忘れて見惚れていた、ということらしい。
「うふふ、ありがとう。そうだ」
ティナは何か思いついたというふうに手を打つと、自分の背中に手を伸ばした。
腰のあたりまである長い金髪に手を入れて探ると、そこから羽根を二枚取り出す。
「これ、二人にあげる」
「いいんですか?」
差し出された羽根を見て、望が目を輝かせてそう尋ねる。
「脱けちゃったものだし、よかったらお守り代わりにでも持ってて」
「そんじゃ、遠慮なくいただくのだ」
「ありがとうございます」
美緒がひょいと羽根を摘み上げ、望みは大事そうにそれを胸元に抱きしめて目を閉じている。
そんな二人の姿を見て、ティナはそっと心の中で呟くのだった。
――どうか、幸福な未来を……。
* * * * *
――5月31日12:55。
海鳴商店街・喫茶緑屋店内――。
昼時ということもあり、店内は大勢の客で賑わっていた。
アルバイトを含めた数人の店員たちがフロアと厨房との間を世話しなく動き回っている。
その中には恭也や美由希の姿もあった。
小さなウェイトレスがおっかなびっくりといった感じで応対する姿は男女問わず多くの客の人気を集めているようだ。
そして、この店で唯一の男性店員は無表情の中に時折見せる優しい笑顔で女性客のハートをゲットしていた。
「アップルパイと紅茶のセット、7番にお願い!」
「シュークリーム6個、普通のとダブル3つずつです!」
「はい。3名様ですね。では、こちらのテーブルへどうぞ!」
「お会計、1758円になります」
「ありがとうございました!」
店員たちの明るく元気な声が飛び交う中、ドアベルが新たな来客を告げる。
「いらっしゃいませ!」
「やあ、繁盛しているようだね」
そう言って店内に入ってきたのは身長191センチの大柄な男性、槙原耕介だった。
咲耶と知佳も一緒である。
3人はデパートで買い物をした後、昼食を摂るために緑屋へとやってきたのだった。
ちょうど入れ替わりに帰った客がいたおかげで三人はさほど待たずに席に着くことができた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「おっ、美由希ちゃん。お店の手伝いかい?」
水とお絞りを持ってきた美由希に、耕介がそう声を掛ける。
「アルバイトの人が一人、急に来れなくなっちゃって。それで、大変そうだったからこうしてわたしと恭ちゃんとで手伝うことにしたんです」
グラスをテーブルの上に置きながらそう訳を説明する美由希。
「そういえば昨日来たときに案内してくれた人、見えないね」
「えっ、咲耶。昨日もここに来たの?」
軽く店内を見渡してそう言う咲耶に、知佳が少し意外そうに尋ねる。
「そういえば昨日うちに来たとき、恭也君と一緒だったそうだね」
「はい。駅前で知り合って、ここでお茶してからそちらに伺ったんです」
思い出したように聞いてくる耕介にそう答えて咲耶は昨日の出来事をかいつまんで話した。
「それは災難だったね」
「でも、恭也君が助けてくれましたから」
そう言って咲耶は店の奥からこちらの様子を伺っている恭也のほうへと目を向けた。
視線が合った途端、恭也は慌てて厨房へと引っ込んだ。
「逃げられちゃったかな。昨日ちょっとからかいすぎたからそれで怒ってるのかも」
「恭也君、そういうこと気にする子じゃないよ。まあ、からかい方にもよるとは思うけど」
軽く肩を落とす咲耶に、知佳がそう言ってフォローする。
「たぶん、照れてるんだと思うよ。咲耶ちゃんは可愛いから」
「彼女の見てる前で他の女の子にあんまりそういうこと言わないほうがいいですよ」
「えっ」
「えっ、じゃないですよ。ほら、知佳も何か言って」
「え、えっと……」
笑顔で自分に話を振ってくる咲耶に、知佳は困惑した表情で耕介を見た。
その視線を受けた耕介は慌てて首を横に振る。
どうやら耕介は何も言っていないらしい。
みなみやリスティが秘密をばらすとも思えないし、一体何故分かったのだろう。
その疑問を隠さないまま知佳は咲耶のほうを見た。
「見ればすぐに分かるわよ。隠したいのなら、もっと上手く隠さないと」
「あ、あう」
咲耶にあっさりそう言われてしまい、知佳は小さく呻き声を上げてしまった。
そして、もう一人。咲耶の鋭さに舌を巻いているものがここにも。
小太刀二刀御神流を納め、亡き父に代わって妹にその技を伝えている少年。
高町恭耶は厨房の片隅で一人腕組みをして唸っていた。
――なぜ、気づかれたんだ……。
* * * * *
あとがき
龍一「今回は真雪さんの正体が咲耶に知られる話だった」
知佳「咲耶、何だかすごく嬉しそうだったね」
龍一「彼女にとって草薙まゆこは憧れであると共に自分の方向性を決めるきっかけでもあったからな」
知佳「えっ、それってどういうこと?」
龍一「そのあたりの話はおいおい。彼女の正体とともに明らかにされていくことだろう」
知佳「それじゃあ、次回」
龍一「徐々に姿を見せ始める異形の影。その頃、イギリスでは悪戯好きの彼女が自身の欲求を満たすべく動き出そうとしていた」
知佳「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」
龍一「第1章 9 歌姫の来日」
知佳「優しい歌は、好きですか……」
イギリスでの動きも気になる所ながら…。
美姫 「今回現われた謎の生物」
一体、何が起ころうとしているのか。
美姫 「次回も非常に楽しみね」
うんうん。次回は、あの人が絡んでくるみたいだしな。
美姫 「きっと、とんでもない悪戯でも思いついたのかもね」
さてさて、どうなる事やら…。
美姫 「次回をお待ちしてますね」
ではでは。