トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第2章 summernight memories

  1 明日から夏休み

   *

 ――7月19日 1129

 海鳴中央1―Gの教室

 窓際の席でへばっているのは周囲とは一風変わった雰囲気を持つ少年、高町恭也である。

 普段から授業中は寝ていることが多い彼だが、ここ最近は輪を掛けてよく寝ている。

 それというのもコンサート襲撃の一件以来、鍛錬メニューを強化していたからだった。

 敵の狙いを考えると、いつまたあのような事態が起こるか分からない。

 況してや今はリゾート地に人が集まるシーズンである。

 自分から出掛けることはないだろうが、誰かの付き添いで一緒に巻き込まれるかも知れない。

 そうなったとき、少しでも守れる可能性を上げておきたかった。

 以前のような無茶をするわけにはいかないが、それでも鍛えておくにこしたことはないのだ。

 明日からの夏休み。

 恭也はティナや薫たちにも頼んで出来るだけ指導してもらうつもりだった。

「ですから、外出する際には十分注意するようにしてください」

 教壇では担任教師が夏休みの心得と書かれた栞を手に何やら喋っている。

 例の事件のこともあって、一応念入りに注意をしているのだろう。

 それでもいつもの週末よりは早く放課後を迎え、恭也は鞄を手に立ち上がると教室を後にした。

 さて、この厄介なものをどうするかな。

 手にした鞄へとチラリと目をやり、恭也は疲れたような溜息を漏らす。

 いや、先にも述べたように本当に疲れているのだが。

 鞄の中にある厄介なものとは俗に通信簿と呼ばれるものだった。

 そこに記されている恭也の成績はあまり褒められたものではなかったりする。

 まあ、授業中に平気で居眠りをしているくらいだからそれも仕方が無いのだが。

 だが、仕方がないで済ませてくれない人物が約一名、高町家にはいるのである。

 原因が原因だけに、下手をすれば鍛錬禁止とか言い出しかねない。

 それでも隠れてやるのが恭也なのだが、それはそれでバレたときが怖いのだ。

 監視も兼ねて知り合いの誰かに家庭教師を頼むとか言い出されたら洒落にならない。

 何とかこれを見せずに済む方法はないものかと思案する恭也。

 歩きながら考え込んでいたせいか、彼は向こうから近づいてくる人物に気づかなかった。

「きゃっ!?

 軽い衝撃に、バランスを崩した恭也の体を誰かが正面から抱き止める。

「さ、咲耶さん」

 聞こえた小さな悲鳴に慌てて顔を上げると、そこにいたのは咲耶だった。

「す、済みません!」

 顔を真っ赤にしながら謝る恭也。

「ううん。わたしこそ、ぼーっとしちゃってて。……どうしたの?」

「い、いえ、何でもありません」

 顔を隠すように俯く恭也に咲耶が不思議そうに尋ねるが、恭也はそう言って首を横に振った。

 言える訳がなかった。

 身長差から、恭也はぶつかった拍子に彼女の胸に思いっきり顔を埋めてしまったのだ。

 それに気づいていないはずがないのだが、何故か咲耶は首を傾げている。

「恭也君は今帰り?」

「はい。咲耶さんもですよね」

 何とか平静を装ってそう答える恭也。

「うん。これからお店のほうに行くところだけど、恭也君はどうする?一緒に行く」

「ええ、そうですね……」

「ん?」

 珍しく歯切れの悪い答えを返す恭也を不審に思い、咲耶はじっと彼の顔を覗き込む。

「なるほど」

「な、何です」

 さっきとは別の意味で気まずそうに視線を逸らす恭也に、咲耶は何かを察したように頷いた。

「恭也君、成績悪かったんでしょ。それで、桃子さんに通知表を見せられないんだ」

「なっ!?

 ずばり言い当てられ、恭也の顔に動揺が走る。

「やっぱり。ダメだよ、そういうのはちゃんと見せないと」

「分かってはいるのですが……」

 お姉さんぶって窘める咲耶に、恭也はそう言って先程まで悩んでいたことを打ち明けた。

「なるほどね」

「今は少しでも実力を伸ばしておきたいんです。何か良い手はないものでしょうか」

「分かった。それじゃあ、夏休みの間わたしが恭也君の勉強を見てあげる」

「はい?」

 突然の彼女の提案に、恭也は思わず間抜けな声を上げてしまった。

 いや、先手を打つという考えは分からなくもない。

 咲耶なら場所はさざなみだろうし、息抜きと称して鍛錬を行なうことも難しくはないだろう。

 しかし、彼女は何故こんなにも楽しそうなのだろう。

「あ、あの、咲耶さん。ひょっとして楽しんでませんか?」

 にこにこと笑顔を浮かべている彼女に戸惑いつつ、恭也は恐る恐る聞いてみる。

「楽しいよ。恭也君に勉強を教えることを想像するとこう、いろいろとね」

 満面の笑顔できっぱりとそう答える咲耶に、恭也はがっくりと肩を落とした。

「何?もしかして、わたしが先生じゃ不満なの」

「い、いえ、そんなことは……」

「本当に?もし嘘だったら、さっきのこと桃子さんに言っちゃうからね」

 軽く睨むような視線を向けられ、慌てて弁解する恭也に咲耶は脅迫めいたことを言う。

「何のことです?」

「ほら、さっきぶつかったときに恭也君がその、わたしの胸に……」

 言っていて恥ずかしくなってきたのか頬を赤くする咲耶に、恭也も思わず赤面した。

「あ、あれは事故です。態とじゃありません」

「でも、気持ち良かったのよね?」

「うっ、……分かりました。謹んでご教授願います」

 赤い顔のままニヤリと口元を歪める彼女に、恭也はあえなく屈服した。

「分かればよろしい。それじゃ、翠屋に行きましょうか」

 そう言って恭也の手を取って歩き出す咲耶は実にご機嫌だった。

 高町恭也、どうにも年上の女性には弱いようである。

   *

 ――7月19日 1134

 桜台 さざなみ寮

 裏の雑木林を使って鍛錬をしていたティナは、着信を告げる携帯電話の音で動きを止めた。

 練習用の木刀を置き、近くの木の枝に掛けておいたポーチからケータイを取り出す。

 ディスプレイを確認すると、表示されているのは彼女の妹の番号だった。

 すぐに通話ボタンを押してケータイを耳へと当てる。

「もしもし」

『あ、お姉ちゃん。耕介さんがそろそろお昼ご飯出来るから戻ってきてって』

「分かったわ。わざわざ連絡してくれてありがとうね」

『いいって。それより早く戻らないとシャワー浴びてる時間なくなっちゃうよ』

 妹の忠告にティナは思わず眉を顰めた。

 ほんの2時間とはいえ、この暑さだ。全く汗をかいていないということはない。

 妹に礼を言って電話を切ると、ティナはポーチに仕舞って片づけを始める。

 木刀等の鍛錬に使った道具を手早くスポーツバッグに詰め、彼女は雑木林を後にした。

 しばらくして、彼女の闘気に当てられて逃げ出していた夏の風物詩たちが戻ってくる。

 このところの異常気象のせいか、その時雨れは何処かおかしかった。

   *

 ティナがシャワーを浴びてリビングへ行くと、ちょうど昼食が出来上がったところだった。

「ああ、ティナちゃん。ちょうど良かった。お昼出来たから……って、わわっ」

 キッチンから顔を出した耕介はあられもない姿を曝している少女を見て、慌てて顔を背けた。

「ちょ、何て格好してるんだ」

「あ、済みません。湯上りだったもので、つい」

 指摘されて自分の格好を確かめたティナはそう言って謝ると、部屋へと服を取りに行った。

「もう、お姉ちゃん。ここは家じゃないんだから、気をつけてよね」

 ちゃんと服を着て降りてきた姉へと、アリスがそう注意する。

「気をつけるわ。……耕介さんも、済みませんでした」

「いや、まあ、それだけ馴染んでくれてるって思うとそれはそれで嬉しいんだけどね」

 席へと着きながらそう言うティナに、耕介はポリポリと人差し指で頬を掻いた。

「もうすぐ2ヶ月ですものね。わたしも新参者ですけど、大分慣れましたし」

 冷たい絹漉しにおかかと醤油を掛けながら雪が言った。

 雪女の彼女には今は辛い季節のはずなのだが、別段苦しんでいる様子はない。

 実際には額に薄っすらと汗を浮かべているくらいで全然平気そうである。

 妖気を使って自分の体温を調節したり、周囲の気温を下げたりしているのだろう。

 おかげでダイニングはエアコンを入れていないにも関わらず、他の人たちにとっても快適な温度に保たれている。

「ところで、他の皆は?今日、学校は終業式で早く終わるんですよね」

 自分たち以外の人の姿がないのを見て、ティナが耕介にそう尋ねた。

「ああ、でも部活がある子は午後からも学校だし、外で食べてくる人もいるからね」

「もったいないですよね。部活組はともかく、他の人は帰ってくれば良いのに」

「あはは。友達との付き合いもあるだろうし、うちじゃ作れないものとかもあるから」

 空席を見渡してそう言うアリスに、耕介は一応フォローを入れておく。

「でも、本当に耕介さんのご飯って美味しいですよね」

 焼き鮭を箸でつつきながらそう言うティナは何かを考えているようだ。

「お姉ちゃん、洋風っていうか、簡単なものしか作れないものね」

「手の込んだものは母さんがほとんど作ってたし、覚える機会がなかったのよ」

「わたしも料理は出来ませんね。生まれた時代を考えるとかなり致命的なんですけど」

 三人の視線が耕介へと集まる。

「い、いや、別に……」

 料理なんて出来なくても、と続けようとして耕介は思わず口を噤んだ。

 三人、というか雪の真剣な目を見てしまった耕介はそれ以上言えなくなってしまったのだ。

「あの、耕介さん。よろしければわたしにお料理、教えていただけませんか?」

「ま、まあ、時間のあるときで良ければ」

 好きな人のために手料理を振舞いたいという女の子の気持ちが分からないでもない。

「ありがとうございます。そうだ、ティナたちも一緒にどう?」

「わたし、お料理ってしたことないんだけど。お姉ちゃんはどうする?」

「そうね。せっかくだから、この機会に少し覚えておこうかしら。耕介さん、お願い出来ます?」

 再び三人から視線を向けられ、耕介の頬を一筋の汗が伝う。

 ま、まあ、明日から夏休みだし、いざというときは知佳にも手伝ってもらえば良いか……。

 冷や汗を垂らしつつ、なるべく気楽な方向で考えようとする耕介。

 だが、それが甘い考えであったことを彼は後に嫌というほど思い知らされることになる。

   *

「あら、知佳ちゃん。風邪ですの?」

 突然小さくくしゃみをした知佳に、隣で談笑していた理恵が心配そうにそう聞いた。

「可笑しいな。そんな感じしなかったんだけど」

「風邪は引き始めが肝心よ。ただでさえ、知佳は体弱いんだから気をつけなきゃ」

 首を傾げる知佳に、反対側からもう一人の少女がそう言って注意する。

「ありがとう牡丹ちゃん。気をつけるよ」

 心配してくれる友人へと笑顔でそう言うと、知佳は窓の外へと視線を向けた。

 今は佐伯家お抱えの運転手が運転する車でさざなみへと向かっているところである。

 理恵が学校帰りに知佳のところに寄るのは別段珍しいことではなかった。

 親友と呼んで差し支えない二人はお互いの家でご飯を食べたりお泊りしたりすることも多い。

 それを聞いた牡丹は自分も知佳の家を見てみたいと言い出し、知佳もそれを承諾したのだった。

「そういえば、二人ともお昼ごはんまだだよね」

「まあ、学校から直で来てるからね」

「耕介さんにお願いして何か作っていただきましょうか」

 知佳の言葉に牡丹が頷き、理恵が名案とばかりに手を打った。

「うん。それじゃ、電話しておくね」

 そう言って携帯電話を取り出す知佳を横目に見ながら牡丹が理恵へと尋ねる。

「ねぇ、理恵。耕介さんって知佳の彼氏?あれ、お兄さんだったかしら」

「うふふ、その両方ですわ」

「それって、禁断の愛って奴じゃ……」

 どうでも良いのだが、本人の膝の上で顔をつき合わせてひそひそ話をするのはどうだろう。

「うん、ごめんね。後、10分くらいで着くと思うから、よろしく」

 言いながら知佳のケータイを握った手の肘が牡丹の頭の上に落ちる。

「あいたた……。もう、いきなり何するのよ」

 頭を押さえつつ涙目で知佳を見上げる牡丹。

「人の恋愛を勝手にいかがわしいものにするからだよ。理恵ちゃんも、誤解を招くような言い方しないの」

「ごめんなさいですわ」

 ぺろっと舌を出して謝る理恵に、知佳は疲れたように溜息を吐いた。

 それから牡丹へと簡単に経緯を説明し、誤解が解ける頃には車はさざなみ寮に着いていた。




   *

   あとがき

龍一「というわけで、第2章スタートです」

知佳「いきなり新キャラ登場させて、しかもわたしの友達って(汗)」

龍一「知佳の友達って理恵ちゃん以外で名前のあるキャラって2では出てないだろ」

知佳「そうだっけ?」

龍一「いや、まあ、改めて聞かれると自信ないけど」

知佳「はぁ。それで、牡丹の細かい設定とかはどうなってるの?」

龍一「そのあたりはおいおいということで」

知佳「もしかして考えてないとか」

龍一「……い、いやだな。そんなことあるわけないじゃないか」

知佳「今の微妙な間は何?」

龍一「さ、さて、次回は午後の一時。恭也にとっては運命の時かな」

知佳「いよいよ桃子さんに通信簿を見せるんだね」

龍一「そして、さざなみでも保護者3人が学生たちに通知表の開示を要求する」

知佳「わたしはそんなに成績悪くない、と思う」

龍一「果たして、学生たちは無事に夏休みを迎えることが出来るのか」

知佳「じ、次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第2章」

龍一「2 勉強は計画的に」

知佳「そんなサラ金のCMみたいなタイトルは嫌〜〜!」

   *

 




成績なんて飾りなんだ!
偉い人にはそれがわからないんだ!
美姫 「はいはい」
そんな簡単に流すなよ〜。
美姫 「にしても、第二章が始まったわね」
おう。この第二章はどんな話が展開されるのかな。
美姫 「早くも次回が待ち遠しいわね」
本当に。は〜やくこいこい〜次回〜♪
美姫 「この次も楽しみに待ってますね」
待っています。



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