トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜
第2章 summer night memories
*
銀色の放つ電撃の光に照らされ、闇の中に浮かび上がる影。
僅かに浮かんだ汗に銀髪を濡らしながらも、咲耶は眉一つ動かさずにその攻撃を受け止めた。
それに動揺したように銀色の影が揺れ、緩んだ攻撃を彼女が一瞬で握り潰す。
痺れた体に鞭打って、恭也が立ち上がる頃には既に決着が着こうとしていた。
咲耶の手から放たれる一条の光。
光は逃げ出そうとしていた銀色の一点を貫くと、あっけなくそれを霧散させた。
咲耶はかざしていた手を下ろすと、背後で呆然と立ち尽くしている恭也へと振り返る。
そして、恭也が無事であると分かると彼女は駆け寄って彼の体を抱きしめた。
「ちょっ、咲耶さん……!?」
突然のことに慌てる恭也をしかし、咲耶は放さない。
「……言ったでしょ。許さないって」
抱きしめる腕に一層力を込めながら、囁くようにそう言った彼女の声は震えていた。
「わたし、まだ恭也君に答えてもらってない。それなのにいなくなっちゃうなんて、酷いよ」
「咲耶さん。俺は……」
いなくなったりしないとは、言えなかった。
護衛の仕事を目指す以上、いつ父のように帰らぬ人となってしまうか分からないからだ。
無論、そうならないための努力は怠らないつもりだ。
だが、それでもどうにもならないことはきっとある。
今だって、彼女が助けに入ってくれなければ自分は死んでいたはずだった。
こんなとき、どうすれば良いのか恭也には分からなかった。何分経験がないのだ。
気の利いた言葉なんて知らない。
抱きしめ返すにしても、彼女を安心させるには自分ではまだ小さい気がした。
だから、恭也は彼女の気が済むまでそのままでいることにした。
本当は立っているのも辛いが、これ以上彼女に心配させまいと精神力を総動員して堪える。
しかし、無意識のうちに体重を預けてしまっていたようで、すぐに気づかれてしまった。
抱きしめていた恭也の体を少し離し、その顔を覗き込もうとする咲耶。
恭也は悟られまいと必死で平静を装うが、体のほうはもう限界だった。
意思に反して前へと倒れる体にまずいと思ったが、最早恭也にはどうすることも出来ない。
せめて彼女には痛い思いをさせまいと、伸ばした腕でその身体を抱きしめる。
咲耶も気づいて咄嗟に抱きとめようとするが、13歳の少年の身体は思った以上に重かった。
二人は抱き合ったまま地面へと倒れ、そのまましばらく動けなくなってしまった。
身体を起こそうにも、全身へと行き渡った痺れのせいで恭也はぴくりとも動けない。
咲耶もここまでの行動で力を使い果たしてしまい、どうすることも出来なかった。
「済みません。俺がもっとしっかりしてれば……」
「そんなこと。だって、恭也君は抱きしめてくれたから」
そう言って咲耶は恭也を抱きしめる腕に力を込めた。
「あ、あの、苦しいんですけど……」
「ダメ。こうしてないとどこかいっちゃいそうなんだもん」
「行きませんよ。この通り動けないわけですし……って、聞いてます?」
「好きだよ。……恭也君……」
「はぁ、それはどうも……」
「恭也君は?わたしにばかり言わせてないで、君の気持ちを聞かせてよ」
おどけた口調とは裏腹に、そう言って見つめてくる彼女の目は真剣なものだった。
「俺は……」
咄嗟に開きかけた口を閉ざし、考える。否、答えは既に決まっていた。
「俺もあなたのことが好きです」
友人としてでも、姉のような存在としてでもない。
ただ、女性としての彼女を恭也は心から愛しいと感じていた。
今まで並べてきたどんな言い訳も通用しないほどに、心が彼女を求めている。
この気持ちをもっと彼女に伝えたい。そんな思いから恭也は咲耶の目を見た。
それに答えるように小さく頷くと、咲耶はそっと目を閉じる。
――二人の顔が近づき、唇が触れそうになったそのとき……。
不意にどこからか恭也の名を呼ぶ声がして、二人は大いに慌てた。
誰かが帰りの遅い恭也のことを心配して探しているのだろうが、これはまずい。
咲耶は僅かに回復したばかりの力を振り絞ると自分の部屋へと転移しようとした。
しかし、さすがに二人分の質量は無理だったようで、ちゃんと飛べたのは咲耶だけだった。
やがて探しに来た耕介は、寮に程近い木の根元に恭也を見つけることになる。
倒れていた理由を聞かれ、恭也は咄嗟に森の中で足を滑らせてしまったのだと答えた。
状況はよく分からないが、おそらくそんなに不審がられるようなものではなかったのだろう。
耕介もそれで納得したようで、とりあえず寮に戻ろうと言って恭也に手を貸して立たせる。
そのときには体の痺れも大分引いており、ふらつきながらも恭也は何とか立つことが出来た。
寮に戻った恭也を咲耶はリビングで待っていた。
ただいまの声を聞くと彼女は急いで立ち上がり、玄関まで出迎えに来る。
「大丈夫?怪我とかしてない」
恭也の体を見回して心配そうにそう尋ねる咲耶に、恭也は大丈夫だと笑ってみせる。
「とりあえず、お風呂貸していただけませんか?」
耕介にそう頼み、頷くのを見ると恭也は礼を言って風呂へと向かった。
「ごめんね……」
「いえ、大丈夫ですから」
恭也にだけ聞こえるように小声で謝ってくる咲耶に、恭也はそう言って脱衣場の中に消えた。
装備を外し、所々破れてしまっている服に手を掛けて、そこでふと気づく。
自分は着替えを持ってきていただろうか。
服は耕介さんに頼んで貸してもらうとして、下着はさすがにどうにもならないか……。
とはいえ、このままでいるというのも気が引ける。
どうしたものかと恭也が思案していると、脱衣場の戸が開いて桃子がひょこっと顔を出した。
「あんた、着替えのこと忘れてたでしょ。はい、これ」
そう言って差し出された着替え一式に、恭也は微妙な顔で母親を見る。
「何よ?」
「いや、助かったから良いんだけど」
そう言って着替えを受け取ると、それを棚に置いて改めて今着ているものを脱ごうとする。
と、桃子がまだそこにいることに気づいて、恭也は眉を顰めた。
「他に何か用事でもあるのか?」
「別に。ただちょっと、あんたに聞きたいことがあってね」
言いながらにやにやと笑みを浮かべる桃子に、恭也の背筋を嫌なものが走る。
「後にしてくれないか。人様の家であまり遅くなるのも申し訳ないから」
「そうね。じゃあ、後で」
桃子は珍しくあっさりとそれに頷くと、さっさと脱衣場を出ていった。
「はぁ……、一体何を聞かれるんだか」
やけにあっさりと引き下がった桃子に、恭也は却って不吉なものを感じてしまう。
何せ、あの笑みである。また良からぬことを考えているに違いない。
こちらも対策を考えておかねばと思いつつ、服を脱いで風呂場へと入る。
ゆっくりと湯に漬かっていたいところだが、時間が時間だけにそうもいかないのが残念だ。
先に洗い場で身体を洗っていると、不意に戸が開いて誰かが入ってきた。
「恭也君、いる?」
「そ、その声は咲耶さんですか!?」
恭也は驚いて思わず声のしたほうを見てしまった。
そこには裸身にバスタオルを巻いただけの格好で咲耶が立っている。
いや、これから風呂に入るのだから、当然といえばそうなのだが……。
「お、俺、すぐ出ますから」
「あ、いいよ。そのままで」
慌ててまだ半分も洗っていない身体に湯を掛けると、タオルで前を隠して立ち上がる。
そんな恭也を笑いを含んだ声で制すると、咲耶は風呂場へと入ってきた。
「恭也君、電気浴びてまだ動くの辛いでしょ。だから、わたしが手伝ってあげる」
そう言いながら近くまでくると、彼の取り落としたスポンジを拾って泡立てる。
「い、いえ、自分で出来ますから」
「良いから良いから」
笑いながら座らせると、泡立てたスポンジを恭也の背中に当てる咲耶。
何というか、逆らえない笑顔だ。
――しかし、彼女は何とも思わないのだろうか……。
男と一緒に風呂に入るのもそうだが、恭也の背中には大小無数の傷跡があるのだ。
「はぁ……」
思わず感嘆の息が漏れる。
「すごい傷……。これ、痛くないの?」
擦るスポンジの手を止めて、咲耶はまじまじと恭也の背中を見た。
「ほとんど古いものばかりですから」
「そうなんだ」
「ええ。……あの、本当に良いですよ。見ていて気持ち良いものじゃないでしょうから」
そう言って、背中を隠そうとする恭也の肩を咲耶が掴んで止める。
「気持ち悪くなんかないよ。だって、これ全部恭也君が頑張ってきたことの証なんでしょ」
傷跡の一つを愛しげに指でなぞりながら、そっと目を細めて咲耶は言う。
「初めてです。そんなふうに言われたのは」
「そう。それにね。傷ならわたしにもあるから」
洗い終わった背中に湯を掛けて流しながらのその告白に、恭也の顔に驚きが浮かぶ。
「見て」
立ち上がって恭也に背を向けると、咲耶はそう言って自分の体を覆っていたバスタオルを取った。
躊躇いながらも言われるままに振り返ると、確かにそこには古い傷跡があるのが分かる。
驚いたことに、それは巨大な肉食獣のものと思われる引っ掻き傷だった。
「傷の理由は出来れば聞かないでほしいかな。恥ずかしいから」
「はい」
「幻滅した?傷のある女の子って嫌だよね」
「いえ、もうほとんど残ってませんし。その、きれいですよ」
何といえば良いのか分からず、思った通りのことを口にする恭也。
「ありがとう。今度はわたしの体も洗ってくれる?」
「あ、いえ、それはちょっと……」
「良いよ。無理させても悪いし。その代わり、今夜は一緒に寝て欲しいな」
そう言って自分の体を洗い出す咲耶。
恭也は慌てて目を逸らし、そのせいで断るタイミングを逸してしまった。
その夜、二人は咲耶の部屋で同じ布団に入って眠った。
彼女の言ったことは男女のそれではなく、本当にただ一緒に寝て欲しかっただけだった。
それでも女性に対して免疫のない恭也にとってはかなり厳しいものがあるのだが。
抱きついてくる彼女の体温を感じながら、恭也は思う。
自分を助けてくれたとき、いなくなりそうで不安だと言った彼女。
きっと、大切な人がいなくなる怖さを知っているのだろう。
だから、あんなにも強く自分を求め、今もこうして放さまいとしている。
恭也には痛いくらいに分かる感情だった。
失うことを恐れて、必死に護ろうとしてくれた彼女のことが堪らなく愛しい。
彼女の力が自分の剣と同じ、護るためのものであったことが堪らなく嬉しかった。
自分はそんな彼女の傍らにいて、護ることが出来るだろうか。
――尊敬した父のように。
否、護ろう。例えどんなことがあってもこの手で。
そのための剣、そのための御神だ。
「……護りますから。俺、あなたのこと」
穏やかな彼女の寝顔を見ながら、恭也は確かめるように決意を口にするのだった。
例え今は未熟な刃でも、その向かう先を見失わないように……。
*
6 護りたいもの
*
fin
*
あとがき
龍一「ここで解説を入れるなんて無粋なことはしません」
知佳「二人はおめでとうだね」
龍一「うん。これで第2章のメインイベントの一つは消化された」
知佳「次は?」
龍一「HGS関係だな。知佳の将来に関わる重大な事実が明らかにされるぞ」
知佳「っな、ちょっと、そんなの聞いてないよ」
龍一「言ってなかったからな」
知佳「わたし、大丈夫なんでしょうね?」
龍一「さぁ、それは知佳次第かな」
知佳「うう、受難の予感だよ……」
龍一「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第2章 7 遺伝子の記憶」
知佳「それってリスティの読んでた本のタイトルじゃなかったっけ?」
*
恭也と咲耶の関係は無事に終わったな。
美姫 「本当に良かったわね、二人とも」
しかし、何やらまたしもあるらしい!?
美姫 「今度は知佳に関する事らしいわよ」
まさに、一難去って…。
美姫 「別に二人の関係は災難じゃないんだけれどね」
そこで突っ込まない。
ともあれ、何が起こるのかな。
美姫 「期待に胸を膨らませつつ、次回〜」
楽しみに待ってます!