*

 ――夢を見ていた。

 さざなみに来るずっと前、わたしがまだほんの小さな子供だった頃の夢……。

 HGSとして生まれたわたしは家族にも疎まれ、狭くて暗い部屋に閉じ込められていた。

 その頃は訳が分からなかったけど、

 今にして思えばそれは家族の皆も同じだったんじゃないかって思う。

 HGS自体よく分かってなかったし、わたしはこの力をまったく制御出来なかったんだから。

 激情のままに力を暴走させて、それがどれだけ危険なことかも全然分からなくて。

 それでさざなみの二階部分を全壊させたときには我ながらびっくりしたもんだ。

 今正に目の前で繰り広げられている破壊劇に、わたしは思わず苦笑してしまう。

 あのときはまゆお姉ちゃんと愛お姉ちゃんの二人に本気で怒られたんだよね。

 今までそんなふうに誰かが叱ってくれることなんてなくて、それが優しさだって分かって。

 嬉しかった。だって、このときの二人って、わたしのために本気になってくれてたんだもん。

 ――本気で怒って、本気で泣いてくれた……。

 それからのわたしは少しずつだけど、他の寮生の人たちとも打ち解けるようになっていった。

 今のわたしがあるのはそんな寮生たちと二人のお姉ちゃん。

 そして、耕介お兄ちゃんがいてくれたおかげ。

 何だか気恥ずかしく思いながらも、わたしは少しずつ成長していく夢の中の自分を見ていた。

   *

  トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第2章 summer night memories

 7 遺伝子の記憶

   *

 窓から差し込む朝日の眩しさに、知佳が目を覚ますとそこは自分の部屋のベッドの上だった。

 起き上がって一つ大きく伸びをする。

 懐かしい夢を見たせいか、知佳は朝から気分が良かった。

 こんな日はきっと、何か良いことが起こりそうな気がする。

 姉や友人たちは子供っぽいと笑うかもしれないけれど、今はそんなことも気にならなかった。

 半袖のシャツに袖を通し、いつもより少しだけ短めのスカートを履いて部屋を出る。

 先に洗面所に寄って簡単に身支度を整えていると、早速一つ良いことがあった。

「おはよう、知佳」

 洗面台で顔を洗っていた知佳にそう言って近づいてきたのは耕介だった。

 耕介は知佳の後ろに立つと、暖めたタオルを彼女の髪に当てて軽く寝癖を直してくれた。

「えへへ、ありがと」

「どういたしまして。髪型、いつもので良いかな?」

「あ、今日は首の後ろで軽く縛るだけで良いよ」

 そのままブラシを入れながら聞いてくる耕介に、知佳はそう言って髪留めのゴムを渡す。

「気分的には下ろしてても良いんだけど、それだと暑いから」

「確かに。でも、どっちにしても珍しいよな。何か心境の変化でもあったのか?」

 気持ち良さげに目を細めてそう言う知佳に、耕介はおや?という顔をする。

「やだな。せっかく長いんだからいろんな髪形試してみたらって言ったの耕介お兄ちゃんだよ」

「そうだっけか?」

「うん。そうだよ〜」

 首を傾げる耕介に、知佳は鏡に映ったいつもと違う自分の姿を見ながら頷いた。

「それで、どうかな?」

 髪型のセットを終えて離れた耕介へと振り返り、そのままくるりと一回転してみせる知佳。

「ああ、よく似合ってるよ」

「本当、良かった」

 問われて当然のようにそう答える耕介に、知佳は満面の笑顔で頷いた。

「ところで、お兄ちゃん。朝ご飯の用意ってまだだよね?」

「ああ、鍛錬組の子たちが使うだろうと思って先に風呂を沸かしてたからな」

「手伝うよ」

「サンキュ」

 二人は並んでキッチンへと向かった。

   *

 早朝の林に剣戟の音が響き渡る。

 打ち合っているのは薫とティナである。

 時折爆ぜる光は霊力のそれであり、二人が異能の技を用いて戦っていることが分かる。

 薫は神咲一灯流退魔道の正当伝承者だ。

 その霊力は長い神咲の歴史の中でも随一と言われ、将来を期待されている。

 だが、その彼女をして驚愕させるほどにティナクリスフィードという少女は桁外れていた。

 数多の悪霊を葬ってきた神咲の技を何と、彼女は正面から受け止めてしまったのだ。

「神威、楓陣波!」

 振り下ろされた霊剣十六夜から金色の霊気が迸る。

「複合障壁、アクエリウス」

 だが、必殺の威力を誇る楓陣波も彼女の複合障壁の前には無力だった。

「なっ!?

 思わず呆然として動きを止めた薫へと、バリアを消したティナの木立が伸びる。

「破邪真空流退魔之一、雷光閃――ひらめき――」

 彼女がハッとして動こうとしたときには既にその切っ先は眼前にまで迫っていた。

「うちの負けね」

 そう言って力なく十六夜の切っ先を下げる薫に、ティナは少し申し訳なさそうな顔をする。

「ごめんなさい。でも、薫にはもっと強くなってほしいから。今の状況を考えると、ね」

「謝らんでよか。本気でやってって頼んだのはうちのほうなんやから」

 謝るティナに、薫は慌ててそう言って顔を上げさせた。

「でも、正直驚いたよ。まさか、楓陣波が防がれるなんて思わんかった」

 そう言って十六夜を鞘へと納めながら、薫は手近な木の根元へと腰を下ろす。

「あれは念動フィールドに対魔結界を重ねた複合障壁だから。そう簡単には敗れないわ」

「強度は知佳ちゃんのサイコバリア並ってこと?それって、反則なんじゃ」

 涼しげな笑みを浮かべてそう説明するティナに、薫は思わず冷や汗を浮かべた。

「薫はもっと霊力の放出を抑えたほうが良いわ」

「でも、それじゃ技の威力が落ちるんと違う?」

「集束率を上げれば半分の力でも同じことは出来るわ。こんなふうにね」

 そう言うと、ティナは無造作に剣を振るった。

 その切っ先から細い霊気の筋が走り、近くの木に焦げ跡を残して消える。

「凄い……」

「慣れないうちは集中力がいるけど、使いこなせれば霊力の消耗をかなり抑えられるはずよ」

 思わず感嘆の声を漏らす薫に、ティナはそう言って小太刀を鞘に納めた。

「少し休憩したら薫もやってみて。やり方、教えるから」

「それはぜひお願いしたいけど、それにしてもティナはどうしてそんなに強いん?」

 自分の隣に腰を下ろした少女へと、薫は兼ねてより気になっていたことを聞いてみた。

 機械や薬の助けを必要としないHGS能力だけでも十分に強力なのだ。

 その上、御神流に匹敵する速さと技、神咲の当代をも凌ぐ霊力まで併せ持つというのは……。

「まぁ、普通は反則だと思うわよね」

 薫の言いたいことを察して、ティナは苦笑しつつそう言った。

「でも、わたしはこれが限界だから」

「十分強かよ。まぁ、ティナ自身は足りないと思うてるんかもしれんけど」

 自分自身の思うところでもあるのか、薫はそう言って苦笑する。

「違うの。わたしの強さは言ってみれば総合的なものだから」

「それのどこが悪いとね」

 眉を顰める薫に、ティナは簡単にそれを説明した。

「例えば、恭也君が最近使えるようになってきている神速っていう動き方があるわよね」

「ああ、あの非常識な速さの」

「そう。あれの真価は極度の集中による知覚領域の拡大にあるって、薫は知ってた?」

「どういうこと?」

「簡単に言うと、こう動くって意識が先行して、体がそれに後からついていこうとするのよ」

「そんなことが……いや、理屈は分かったけど」

 それとティナの力の問題点とがどう結びつくのか、薫にはイマイチよく分からない。

「同じ事をわたしも出来るって言ったら、薫は信じる?」

「嘘。……いや、理論上は可能かもしれんけど、ティナのその身体じゃ負担が大きすぎるとよ」

「そうね。わたしに限らず、そんなことをすれば人間の身体は著しく消耗してしまう」

 でもね、と彼女は続ける。

「仮に神速状態で身体に掛かる負荷をゼロに出来たなら」

「なっ!?まさか、そんなことが……」

「出来るのよ。わたしにはこれがあるから」

 そう言って小さく羽根を広げてみせる彼女に、薫は思わず息を呑んだ。

「HGS……」

「そう。念動力はそういうふうに使うことも出来る」

 知佳はともかく、過去に戦闘訓練を受けたことがあるリスティは思いつきそうだけどね。

「こんなふうに一つの能力の欠点を他の能力で補うことでわたしは今の強さを手に入れた」

 でも、だからこそ一つ一つの能力は中途半端なままなのだと彼女は言う。

「それの達人にはどうやっても叶わない。薫もすぐにわたしなんかより強くなるよ」

 そう言って微笑むティナに、薫は曖昧な笑みを返すことしか出来なかった。

 彼女は簡単なことのように言ったが、それは決して一朝一夕で出来ることではない。

 異能とは、他と明らかに異なる点があるからこそ異能と呼ばれるのだ。

 一つの能力を使いこなすにも相当な修練が必要であることを薫は自身の経験から知っている。

 それを複数同時に、尚且つ互いの欠点を補完し合えるほどになるまでとは……。

 考えただけで眩暈がした。

 そして、ふと思う。

 そんな途方もない鍛錬をしてまで手に入れた力で彼女は何をしたいのか。

 何をしようとしているのか。

「誤解してるみたいだから訂正しておくけど、これは決してわたし一人の力じゃないから」

「え?」

「薫が最初に思ってたように、これは反則技なの。まぁ、少しは鍛錬もしたけどね」

 ぽかんとした表情の薫を残して立ち上がると、ティナは軽く鞘の上から小太刀を撫でた。

「さ、休憩はもう良いわよね。美由希たちが起きてくる前に、もう一本やっちゃいましょ」

「あ、ああ、そうね」

 言われて何処か釈然としないままに、薫も十六夜を手に立ち上がる。

 再開された二人の打ち合いは、耕介に言われて知佳が二人を呼びに来るまで続いた。

   *

 時間は少し遡る。

 薫たちが鍛錬を始めた頃、恭也は咲耶の部屋の彼女のベッドで目を覚ました。

 一瞬混乱しかけて、すぐに思い出す。

 昨夜は彼女に請われて一緒に眠ったのだった。

 別に男女のそれがあったわけではない。大人びているとはいえ、恭也はまだ13歳だ。

 咲耶もそのあたりはきちんと心得ているようで、無闇に誘惑するようなことはしなかった。

 だが、しかし、今のこの状況は……。

 咲耶は例によって恭也の頭を胸に抱え込んで眠っている。

 しかも、彼女の今の格好は男としてかなり目のやり場に困るものだった。

 きちんと止められていたはずのパジャマのボタンはすべて外され、前が全開になっている。

 そのため、恭也の顔は彼女の下着を着けていない胸にダイレクトに押し付けられているのだ。

 下に至っては足元のほうに脱ぎ捨てられ、健康そうな美脚と白い下着を曝してしまっていた。

 如何に精神面の鍛錬も積んでいるとはいえ、恭也も健全な男子である。

 年頃の少女にこんな姿を曝されて、理性が無事であるはずがなかった。

 飛びそうになる理性を必死に抑え付けつつ、恭也はとにかく彼女から離れようと身をよじる。

 それをどう感じたのか、咲耶は一層深く恭也の頭を胸に抱え込んだ。

「咲耶さん、放してもらえませんか。俺はどこにも行きませんから」

 何とか胸元から抜け出してそう言う恭也に、咲耶は嫌というように身体をすり寄せてくる。

「咲耶さん……」

「……う、ん……」

「お願いですから起きてください。でないと、俺の理性が持たないです」

「……うーん、良いよ。恭也君なら、わたしのこと好きにしても……」

 乱暴にならないよう、そっと肩に触れて身体を揺するが、咲耶は一向に離れようとしない。

 寧ろ放すまいと身体をすり寄せ、両腕を恭也の背中に回して抱きしめてくる。

 寝ぼけているのだろうか。

 その上、まるで誘うように艶のある声音でとんでもないことを言ってくる始末。

 ――こうなったら仕方がない……。

 恥ずかしいが、こんなところを誰かに見つかるよりはずっと良いはずだ。

 意を決すると、恭也は自分の顔を咲耶へと近づけていった。

 二人の唇が重なり、恭也は慌てて彼女から離れた。

 驚きに目を見開いた咲耶と目が合う。

「お、おはようございます。その、目は覚めましたか?」

 照れたように視線を逸らす恭也に、咲耶の顔に笑みが広がる。

「うん。おはよう。最高の気分だよ」

 そう言って微笑む彼女に、恭也もつられて笑みを零す。

 だが、そのせいで彼女のあられもない姿が視界に入ってしまい、恭也は慌てて目を逸らした。

「ん?」

「えっと、それじゃあ、俺は先に下に降りてますから」

 なるべく彼女のほうを見ないようにしてそう言うと、恭也はベッドから降りようとする。

「いいじゃない。休みなんだし、もう少しゆっくりしてようよ」

「いえ、俺は鍛錬しないといけませんし」

「それこそダメだよ。昨日の今日なんだから、休んでなきゃ」

「し、しかし……」

 言い淀みつつさっきから自分と目を合わせようとしない恭也に、咲耶は悲しそうな顔になる。

「そんなにわたしと一緒にいるのが嫌なの?」

「い、いえ、そんなことは……」

「嘘。だったらどうしてわたしから目を逸らすの?」

「そ、それは……」

 うろたえる恭也を他所に、咲耶は両手で顔を覆ってしまった。

「昨夜はあんなに真剣にわたしのこと、好きだって言ってくれたのに。あれって嘘だったの」

「違う。俺はあなたのことが本当に……」

「じゃあ、どうしてわたしのこと見てくれないの?」

 今にも泣きそうな彼女の様子に、恭也は観念して訳を話した。

「その、咲耶さんの格好が直視し辛いというか、目の毒というか」

 恭也に歯切れ悪くそう言われ、咲耶は自分の格好を見下ろしてみる。

「………」

 赤面した。

「俺じゃないですよ」

「え、でも……」

「俺も朝起きたら、そうなってたんでびっくりしたんです。咲耶さんは放してくれませんし」

「あ、あははは……」

 ジト目で見られ、咲耶は赤い顔のまま苦笑した。

「ほら、昨夜は暑くて寝苦しかったから」

「良いですけど。俺もその、悪い気はしませんでしたから」

 気まずそうにそう言う咲耶に、恭也はそっぽを向いたまま答える。

「それにしても、びっくりしたな。まさか、恭也君があんな起こし方してくれるなんて」

「い、言わないでください。恥ずかしいですから」

「ダーメ、わたしだって恥ずかしいんだから。一緒に恥ずかしがりなさい」

 赤い顔を更に赤くして逃げ出そうとする恭也の腕を咲耶が捕まえる。悪戯っ子の笑みだ。

「うふふ。ねぇ、恭也君。キス、しよっか」

「な、何です、いきなり」

「だって、わたしたちって、ちゃんとしたのってまだじゃない。だから、ね」

「……分かりました」

 可愛らしく頬を染めながら上目遣いに見上げられては恭也に断ることなど出来るはずもない。

 それに咲耶は嬉しそうに微笑むと、そっと目を閉じた。

 恭也はそんな彼女へとゆっくりと顔を近づけ、そして……。

 重ねられる二人の唇。

 それは二人が恋人同士になってから初めての双方合意の上での口付けだった。

   *




  あとがき

龍一「今回はほのぼのとした朝の一時」

知佳「何か、タイトルにそぐわない内容のような気がするけど」

龍一「いや、実はそうでもなかったりするんだよ」

知佳「そうなの?でも、冒頭の夢はわたしの記憶だよ」

龍一「いやまあ、そうなんだけど」

知佳「?」

龍一「実は書いてる途中は脱線したかなって思ったんだけど」

知佳「あ、やっぱり」

龍一「そこでやっぱりとか言われると、結構へこむんだが」

知佳「あはは。それで、実際はどうなの?」

龍一「不思議なことに、書きあがってみたらちゃんと当初の構成に支障がないものになってた」

知佳「それって、結局は行き当たりばったりってことに変わりはないよね」

龍一「うっ、それはそうとも言えなくもないかな」

知佳「良いよ〜。今回はわたし、良い目見てるし」

龍一「現金な奴め」

知佳「何か言った?」

龍一「い、いや、別に何も」

知佳「それにしても咲耶と恭也君のあれは大丈夫なのかな?」

龍一「いや、大丈夫だろ。これくらいなら」

知佳「とか言いながら、シーンを妄想して悶えてたのは誰かな〜」

龍一「あ、あはは、だ、誰だろうな〜」

知佳「知らないよ。わたしは」

龍一「そ、そうか。まあ、どうでも良いじゃないか。とりあえず、今回はこのあたりで」

知佳「次回予告は?」

龍一「未定」

知佳「うわっ、即答したよこの人」

龍一「まぁ、冗談はさておき。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました」

知佳「次回もお楽しみに〜」

二人「ではでは」

   *





いやいや、最後の方は甘いね〜。
美姫 「本当、本当」
甘いけれど、恭也と咲耶のああいったやり取りは大好きです。
美姫 「うんうん。にしても、やっぱりティナは強いわね」
総合的な能力が全て平均以上だからな。
しかも、欠点部分を補う事の出来る力を持ってるし。
美姫 「でも、だからこそかしら。その分野に特化した者には及ばなくなるのね」
それでも、かなり特化しないと無理だろうけれどな。
美姫 「さてさて、次回はどんなお話が待っているのかしらね」
楽しみに待っています。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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