トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第3章 夏のかけら

  4 虚像と実像の狭間で手にしたもの〜走れ、相川真一郎!〜(前編)

   *

 ――兎角、悪い予感というものはよく当たるものである。

 野々村小鳥が車に轢かれそうになったときも、氷村遊の事件のときもそうだった。

 余程、自分が災厄を引き寄せているのではないかと思い、そういった類の専門家である神咲薫に頼んで調べてもらった程である。

 結果は全くの杞憂ではあったのだが。

 だが、武術を納めるものが優れた危機察知能力を備えるというのもまた現実としてある話だった。

 そして、今。自分が感じているこの悪寒のようなもの。

 ざわざわと背筋を這い上がるそれは、前述の二つにおいて彼、相川真一郎が感じていたのと全く同質のものだった。

 嫌な予感がする……。

 なまじ自分の周囲にオカルトに属する友人・知人が少なくないだけに、真一郎はそれを笑い飛ばすことが出来なかった。

 そして、その予感は幾らの間も置かないうちに現実のものとなる。

 乱暴に鼓膜を叩く轟音。日常においてまず聞くことのないそれは、正真正銘の生の爆発音だった。

 通りに面していたガラスというガラスが振動という名の暴力によって悉く破砕され、転倒防止策を施された棚から有象無象の物体が飛び出して床へと落ちる。

 まるで大きな地震にでも見舞われたかのような有様に、真一郎はしばし呆然と立ち尽くしてしまった。

   *

 異変が起きたとき、ティナはまだまどろみの中を漂っていた。

 よほど疲れていたのだろう。

 身体を休眠させながらも、普段は決して熟睡することのなかった彼女が今日に限ってその意識を深いところにまで沈ませてしまっていた。

 だが、それも独特のセンサーが働くまでだった。

 ――妹に、……アリスに危機が迫っている……。

 異能を従える者としての直感か、はたまた双子特有の共有感覚とでもいうのか、そういうものが知らせてくるのかは分からないが、とにかくティナにはそれを察知することが出来た。

 意識が急速に浮上し、覚醒へと向かう。

 ぱちりと開いたその目には、既に戦うもの特有の光が宿っていて。ティナはゆっくりとベッドから身を起こすと、ハンガーに掛けてあったジャケットへと手を伸ばす。

 内側にポケットの多いそれは防弾繊維で織られた本物の戦闘服だ。

 素早く袖を通し、内ポケットの中身を確かめる。

 機動力を殺さない程度の重さと量の鋼糸と小刀、それに飛針。数は鋼糸の7番と3番が2つずつ、小刀は柄だけのものが6本に刃が着いているものが4本、飛針は合計で20本だ。

 これらに加えて愛用の小太刀、黒羽(くろはね)を背負い差しにして服の下に隠すと、ティナは全く普段通りを装って階下へと降りていった。

「ちょっとそこまでアリスを迎えにいってきます」

 キッチンで夕食の支度をしている耕介にそう声を掛けてから、靴を履くために玄関へと向かう。途中、こういう時のためにベランダに一足置いてあったのを思い出したが今更だ。

「待ってください」

 屈んで靴紐を結ぶティナへと、少し慌てた様子で恭也が声を掛ける。

「何かしら?」

「あの、非常に言い難いのですが……」

 そう言って、恭也はちらりとティナの腰から少し下あたりへと目を向ける。肩越しに振り返ったティナは彼の顔が赤いのを見て首を傾げた。

「その、出掛けられるのでしたら、ちゃんと外出着に着替えてからにしたほうが……」

 そう言われて立ち上がったティナは改めて自分の格好を見た。

「あ」

 思わず小さく声を漏らす。何と、下を向いた彼女の目に飛び込んできたのは、いつも就寝時に身に付けている真っ白なネグリジェだったのだ。

「恭也君のエッチ」

 慌てて自室へと取って返すと、適当な服に着替えて再度部屋を飛び出すティナ。それを見送ってからリビングへと入った恭也を咲耶の冷たい声が出迎えた。

「俺は注意しただけですよ。あのまま出掛けられると後々本人が大変でしょうから」

「その後二階に上がってくティナの後ろ姿をずっと目で追ってたじゃない」

「うっ、それは……」

 指摘されて思わず唸る恭也。見ていたのは彼女が普段以上に武器を携帯していたのが気になったからであって、決して疚しいところはないのだが。

「まあ、ティナは美人だし、スタイルも良いから見惚れちゃう気持ちも分からなくはないんだけどね」

 そう言ってくすくす笑うと咲耶は恭也の隣へと腰を下ろす。

「ねぇ、恭也君。今夜も泊まっていくんでしょ?」

「え、ええ、そうさせてもらうつもりですけど」

「じゃあ、夜の鍛錬が終わったら、また一緒にお風呂入ろうか」

 しなだれかかりながらそう誘ってくる咲耶に、恭也は思わず頷いてしまいそうになる。からかわれているのだと分かっていても、それを受け流すだけの精神的な余裕が今の彼にはなかったのだ。

「か、勘弁してください」

 そう言って逃げ出すことくらいしか出来なかった。

「少年の純粋な心を弄んで楽しいか?」

 入れ替わるようにリビングへとやってきた真雪にそう問われ、咲耶はにっこり笑顔で即答する。

「だって、恭也君。わたしに全然恋人らしいことしてくれないんだもん」

 その声にはほんの少しの不満が混じっていて、真雪は思わず苦笑する。

「まあ、しょうがない部分もあるんだろうよ。聞いた話じゃ、ガキのくせに相当苦労してきたそうだからな」

 そう言って真雪はキッチンのほうへと目を向ける。そこには耕介を手伝ってテーブルに皿を並べている恭也の姿があった。

「ああしてると別に普通の少年なんだがな」

「そんなものですよ。きっと誰だっていつも張り詰めてばかりじゃ疲れてしまうから」

 苦笑する真雪に、咲耶は何処か透明な笑みを浮かべてそう言った。そう、誰しも譲れないものを抱えて生きている。

「だから、わたしは恭也君が背負ってるものを少しでも軽くしてあげられたらって、そう思うんですよ」

「まあ、なんだ。頑張れ」

 指先で頬を掻きながら、真雪は何ともいえない表情でそう言った。

 ガキのする表情じゃねえな。

 缶ビールのプルタブを起こしながら内心そっと溜息を漏らす。

 何かと訳有りの人間が集まるさざなみ寮だから、この娘も何か人には言えない苦労を抱えているのかもしれない。

   *

 我に返った真一郎の頭に最初に浮かんだのは、当然のように愛しい人の顔だった。

 それから我が家の様子を思い浮かべ、家具等が転倒した場合の被害を想像して青くなる。食器等は幾ら割れても構わないこともないが、彼女が傷つくことに比べれば毛ほども気にならない。

「雪さんっ!」

 何だか微妙に歪んでいるドアを勢いに任せて蹴破り、転がり込むように自宅へと飛び込む真一郎。だが、叫んで見回した室内に目当ての人物の姿はなかった。

 それどころか、想像していたような惨状ですらない。

 まるで何事もなかったかのように、父はソファに腰掛けて新聞を広げているし、母は自分が作っていたシチューに何やら勝手に手を加えている。

 だが、逆に真一郎はそれに危機感を覚えた。

「父さん、雪さんは?」

 鬼気迫る様子で尋ねる真一郎に、父は新聞から顔を上げて一言。

「雪さんて誰だ?」

   *

 日のすっかり暮れた頃、真一郎は一人国守山山中の森の中を走っていた。

 ザカラの件が終わった後、一度だけ雪が自分に関わったものたちから事件に関するすべての記憶を消して去ろうとしたことがあった。

 真一郎だけはザカラの主となったことで雪の力の影響を受けずに済み、寸手のところで彼女を止めることが出来たのだが。

 そして、自分と一緒に生きていくことを選んだ今、彼女が再び同じ事をするとは考えられなかった。

 可能性があるとすればやはりあの轟音だろう。

 そのとき何か普通ではないことが起きていたのは確実で、それによる混乱を避けるために彼女が一時的に両親の記憶を封じたのだとしたら。

 雪は今もその普通でないことに巻き込まれている可能性が高い。それもかなりよくない状況だ。

 ――助けないと……。

 まずその考えが頭に浮かんで、真一郎は即座にそのための行動を起こした。

 彼女は自分に対して何の手掛かりも残していかなかったが、裏を返せばそれで分かるということでもあるのだ。

 二人が知っている共通の場所等、そう多くはない。そして、こうした事態にすぐに思い浮かぶ場所といえば一つしかなかった。

 即ち、ザカラの封印されていた湖である。

 真一郎はまずさざなみに電話して雪がいなくなったことを伝えると、家の中から適当に使えそうなものをリュックに詰め込んで家を出た。

 気が動転していても無鉄砲に突っ走らないあたり、あれから彼も成長したということなのだろう。

 彼がさざなみ寮の最寄のバス停に降り立ったとき、あたりは既に暗くなり始めていた。

 そのまま一人で湖へと向かいたい衝動を必死に堪えて一度寮のほうへと行き、そこで皆に自分の知っている限りのことを話した。

 残念だが、真一郎一人ではどうすることも出来ない。人間としてはかなり強い部類に入る彼も、相手が人外ではどうしようもないのだ。

 ザカラのときも戦闘では大した役には立てなかった。

 あの事件以降、せめて雪を護れるようにともう一度鍛え始めたが、それでもまたあんな化け物と戦うことになったら、自分一人では大した抵抗も出来ずに殺されてしまうことだろう。

 だが、幸いにも彼は一人ではなかった。

 あのとき一緒に戦った、いろいろな意味で自分などよりもずっと強い仲間たち。彼等がいてくれたからこそ、自分は彼女を助けることが出来たのだ。

 そして、今回もまた彼等は協力してくれると言う。

 当然だった。何故なら彼等にとっても彼女は大切な家族の一人なのだから。

「まあ、現状じゃ他に考えられないだろうな」

 真一郎の推論とも呼べない考えを聞いて、真雪が一つ頷く。

「どうします?」

「どうするもこうするも行ってみるしかないだろ」

「ですね」

「んじゃ、前のときみたく非戦闘員は留守番。後、戦える奴の中から何人か護衛に残して残り全員で行くってことで良いか」

 真雪がそう話を纏める。こういうとき、リーダーシップを発揮するのはやはりこの人だ。

「問題は誰を残すかですね」

 顎に手を当てて耕介が難しい顔をする。何せ何が起きているのかまったく分からないのだ。

 留守の間にこちらに来た場合のことを考えると前回同様にHGSを一人は残しておきたいところだが、あいにく今さざなみにいるHGSの中で戦えるのはリスティ一人だけだった。

 ティナはアリスを迎えにいったまま戻ってきていないし、治療を始めたことで能力が低下してきている知佳では不安が残る。

 携帯に電話してティナに帰ってきてもらおうかとも思ったのだが、回線が混乱していて連絡を取ることが出来なかった。これも夕方に真一郎が遭遇した轟音のせいだろう。

 結局、リスティが残ることになり、湖へは真一郎、耕介、薫の三人で向かうことになった。

「気をつけてね」

 霊剣御架月を腰に差し、出発の準備を整える耕介に知佳が心配そうにそう声を掛ける。

「知佳こそ、何かあっても無茶するんじゃないぞ。ティナの話じゃ、前ほど無理が利かなくなってきてるらしいからな」

「分かってるよ」

 逆に軽く念を押してくる耕介に、知佳は苦笑しながらもしっかりと頷いた。

「ほら、いちゃついてないでさっさと逝ってこい」

「真雪さん。これから戦うかもしれない人にそれは洒落になりませんって」

 放っておいたらいつまでも見つめ合っていそうな恋人たちを一睨みで退散させ、真雪がひらひらと手を振った。

「では、仁村さん。留守をお願いします」

「ああ、任せとけ。神咲も気をつけてな」

 薫と真雪が短く言葉を交わし、三人は夜の森へと入っていった。

 目指すは国守山中腹、かつて大妖ザカラを封じるために目指したあの湖だ。

 ――雪さん、無事でいてくれよ。

   *




  あとがき

龍一「突然姿を消した恋人を探して、青年は彼女のいた湖へと向かう」

知佳「おお、やっと男性キャラにもそれらしい出番が!」

龍一「一体、雪の身に何が起きたのか。そして、真一郎は彼女を助けることが出来るのか」

知佳「気になる次回は?」

龍一「ずばり、戦闘だ!」

知佳「耕介お兄ちゃんが御架月で妖怪を薙ぎ払うお話だね」

龍一「主役はあくまで真一郎だけどな。そして、三人の留守を狙ったかのようにさざなみにも危険が」

知佳「戦うのはリスティと楓ちゃん、それに恭也君かな」

龍一「そして、銀色の天使が初めてその姿を現す」

知佳「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第3章・5」

龍一「虚像と実像の狭間で手にしたもの〜走れ、相川真一郎!〜(中編)」

知佳「ところで、わたし今回台詞二つだけだったんだけど」

   *

 

 





今回は真一郎がメインのお話かな。
美姫 「勿論、他の面々も活躍するんでしょうけれど」
果たして、何が起ころうとしているのか。
美姫 「うーん、次回が楽しみよね〜」
ワクワクしながら、次回を待て!
美姫 「それじゃあ、また次回でね〜」
ではでは。



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