トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第3章 夏のかけら

  11 わたしたちの終末戦争〜シ者転生編〜

   * * * * *

 開戦は一発の銃声によって告げられた。

 茶髪の少女が腰のホルスターから銃を抜き、ろくに照準も付けずに発砲する。

 放たれた弾丸は対峙する両者の中間に着弾すると、轟音を立てて地面に握り拳ほどの大きさの穴を穿った。

 それは威嚇か、牽制か。

 通常の弾丸ではあり得ないその威力に、リスティは小さく舌打ちするととっさに薫の手を引いて林の中へと飛び込んだ。

 銃使い相手にいつまでも動きを止めているのは、自殺行為以外の何物でもない。こんな湖の辺では尚更だ。

 ここは遮蔽を取って射線から身を隠しつつ、接近して一気に仕留めるのが良作だろう。

 問題は敵がこちらを追ってくるかどうか。危険だという判断からとっさに林の中へと入ったものの、敵の狙いが咲耶の持つ神器である以上、こちらが無視される可能性は高かった。

 とはいえ、あの威力の銃を相手に、遮蔽物のまったくない湖の辺で戦うのはやはり危険だ。

 サイコバリアを使いながらであれば戦えないこともないのだが、結界を発動させるまでは敵になるべくこちらの手の内を見せないようにとの咲耶の指示もある。

 追ってこなかったらこなかったで、逃げたと見せかけて油断したところを背後にテレポートして奇襲すれば良いか。

 思考を巡らせながら走っていたリスティの脇を弾丸が掠める。

 追ってきた。

 そのことに意外そうな顔をしながらも、二人は素早く近くの木の陰へと身を隠した。

「(参ったな。相手が銃使いじゃ、うちには相性が悪かね)」

「(薫は強いと言っても霊力技以外は普通の剣士だもんね。オーケイ、あいつの相手は僕が引き受けよう)」

「((悪かね)」

「(適材適所って奴だよ。その代わり、薫は僕があいつを引きつけている間に戻って残りの二人に対応して。時間的にそろそろティナが奇襲を掛ける頃だから、タイミングを合わせればどっちか一人は仕留められるんじゃないかな)」

「(分かった。やってみる)」

 気配でこちらの位置を特定したのか、二人の隠れていた木が着弾の衝撃で大きく揺れる。

「(じゃあ、また後で!)」

 そう言うと、慌てて逃げ出すような素振りを見せながら木の陰から飛び出すリスティ。敵はその影を追うように発砲しながら林の奥へと進んでいった。

 その気配が完全に感じ取れなくなったのを確かめると、薫も自分の戦いをするために急いで湖の辺へと戻ろうとする。

 彼女が林を出たとき、まるでそれを待っていたかのように二人の少女は先程と変わらない場所に立っていた。

「ほら、やっぱり戻ってきた。わたくしの言った通りでしょ」

 霊剣十六夜の柄に手を添えながらゆっくりと距離を詰めてくる薫に、アルティシアが嬉しそうに笑いながらそう言った。

「笑っている場合ではありません。彼女は強い。わたしでも勝てるかどうか……」

「あら、強者との打ち合いは望むところなのでしょ?それともあなたは自分が叶わないからといって、か弱いこのわたくしに彼女と戦えとおっしゃるつもりなのかしら」

「…………」

 可笑しそうに笑いながらそう言うアルティシアに、少女は無言で腰の鞘から剣を抜いた。

 詳しくないものにも一目で名刀であることが分かる。青み掛かった刀身に薄紫の淡い輝きを纏ったそれは、霊剣とはまた異なる神秘的な美しさを湛える一品だ。

 少女はその剣を正眼に構えると、徐に薫に向けて振り下ろした。

 剣の届く間合いではない。

 しかし、薫はとっさに霊剣十六夜を鞘から抜き放つと、自身の正面へと掲げた。

 刹那、金属同士がぶつかり合う甲高い音とともに、薫の腕に重い衝撃が伝わる。

「ほう、これを受けるとは。やはり、並の使い手ではない。よろしければ、お名前をお聞かせ願えますか?」

 そのまま鍔迫り合いの体勢へと持ち込みながら、少女が薫へと嬉しそうにそう尋ねる。

「……人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのが礼儀だと思うが」

「おっしゃる通りです。ですが、この身は代替物。故に、人様に名乗る程の名など、持ち合わせてはおりません。どうしても呼びたければ、シドーとお呼びください」

「…………」

 申し訳なさそうにそう言う少女に、薫は刀越しに彼女の目を見た。

 真摯な眼差しに礼を知らぬものの驕りは無く、寧ろこちらを対等の相手と認めて誠意を尽くそうとすらしているように見受けられる。

 ならば、こちらもそれに応えるべきだろう。そう思った薫は、形式に則って名乗りを上げることにした。

「神咲一灯流正当、神咲薫。いざ、尋常に勝負!」

   *

「……始まったみたいだね」

 フィールド越しに外の様子を伺っていたアリスは、外界との接触面からあたりの空気が変質したことを感じ取ると、そう言って背後を振り返った。

 丁度、武装の最終点検を終えて立ち上がったティナと目が合う。

「(本当にあれを使うつもりなの?)」

 声には出さず、目だけでそう聞いてくるアリスに、ティナは無言で頷いた。

「(大丈夫。状況を見て、本当に危なくなったときにしか使わないから)」

「(なら、良いけど……。あんまり無茶しないでよ。お姉ちゃんに何かあったら、わたし……)」

 不安そうに見上げてくる妹の身体を抱き寄せるとティナは安心させるようにそっとその頭を撫でた。

「(ありがとう。なるべく早く戻るから、アリスもそれまで頑張って)」

 優しい笑みとともにそう伝えると、ティナは戦場へと向かって転移していった。

「あーあ、姉妹であんなに熱く見詰め合っちゃって。何か、本当の恋人同士みたいだったよ」

 未だ不安そうにしているアリスの脇腹を、知佳がそう言って肘で小突く。その顔には何処か真雪然とした意地悪な笑みが浮かんでいる。

「な、ななな、なに言ってるのよ。わ、わたしとお姉ちゃんはべ、別にそんな関係じゃないんだからね!」

「わわっ、アリス。フィールド、フィールドが揺れてるよ!」

「えっ、あ、わわっ、え、えっと、どどど、どうしよう」

「落ち着いて。深呼吸。ほら、吸って、吐いて!」

「な、何事だ!?

 いきなり大きく動揺したフィールドに、たちまち寮の中が騒然となる。

「……すぅ……、はぁ……。えっと、大丈夫みたいです」

「ったく、威かしやがって」

「知佳が変なこと言うからだよ。危うくフィールド消しちゃうところだったじゃない」

「何、おまえの仕業だったのか」

「あ、あはは……。その、不安そうだったから、気を紛らわせてあげようと思って」

 真雪とアリスの二人からジト目で見られ、渇いた笑いを浮かべてそう弁解する知佳。

「でも、本当に大丈夫かな……」

「心配いらないって。薫さんに恭也君にリスティでしょ。咲耶がどれくらい強いのかは知らないけど、ほぼうちの最強メンバーが揃ってるんだよ」

「それに、向こうに出てる奴らの中じゃ、おまえの姉さんが一番強いだろうが。寧ろこっちのほうが戦力的には不安なくらいだ」

 心配そうに外を見るアリスを仁村姉妹が二人掛かりで励ます。

 だが、アリスの表情は晴れない。

 彼女の言う“あれ”とは、それほど危険なものなのだろうか。

   *

 銃声が轟くたびに幹が削られ、枝が折れ飛ぶ。

 隠れていたリスティは軽く首を竦めると、次の木の陰へと音もなく転移する。

 唐突に移動した気配を追って少女がすぐさま発砲するが、放たれた弾丸は木の幹に当たって弾けるだけだった。

 そんなことが既に三度。

 最初に湖の辺で対峙したときに一発。

 薫と二人でこの林に逃げ込んだときに一発。

 そして、今の作戦を決めて実行に移したときに一発。

 つまり、少女は合計で六発の弾丸を無駄に消費したことになる。

 彼女の銃が複列弾倉のブローニングだと仮定して、残り九発。

 このまま同じことを繰り返して弾切れを起こさせれば、敵はマガジンを交換するなり新しい銃を取り出すなりするだろう。

 その隙を衝いて背後へと転移し、一撃を浴びせることが出来ればこちらの勝ちだ。

 それにしても……。

 直前まで自分が隠れていた木を見て、リスティは思わず冷や汗を浮かべた。

 銃声が轟くたびに、少女の狙いが段々とその正確さを増してきている。

 相手が着弾時の衝撃を重視した弾を使ってくれているおかげで何とか遮蔽を取ることが出来ているが、これがもし、貫通力に優れた弾であったなら、例えHGS能力をフルに使っていたとしても、リスティはここまで無傷ではいられなかっただろう。

 後九発。バリアを使えば凌げないことはないだろうが、それではこちらの能力が露呈する恐れがある。

 能力を知られ、それが他の敵に伝わればこの後の戦いでこちらが不利になるかもしれないだけに、迂闊に使うわけにはいかなかった。

 それに、何となくではあるが、リスティはこの敵に対してバリアによる防御を主体とした戦法は拙い気がしていた。

 咲耶からの忠告もある。

 敵の姿を確認した折、彼女はこの少女とリスティが戦うことを見越して、幾つかのアドバイスをくれていたのだ。

 曰く、決して真っ向から戦ってはいけない。拳銃の弾くらいバリアで防げると思うかもしれないが、彼女の攻撃手段はそれだけではないのだ。

 この少女の本当に恐ろしいところは戦場を支配する能力に優れているというところだ。

 自分の立ち位置と相手との相対距離には常に気を配り、僅かでも違和感を察知したならば、即座に移動すること。

 下手をすれば、瞬く間に彼女にとってのベストポイントに誘い込まれてジ・エンドである。

 決着を焦らず、確実に仕留められる一撃を放つために立ち回れ。

 そして、行けると思ったときには躊躇わず、必ず一撃で決めること。

 それが強者である少女に勝利するための法則だ。

 リスティは確認するように一つ頷くと、最初に決めた作戦を続行した。

 八、七、六、五……。

 少女がトリガーを引くたびに、銃声が轟き、木が削られ、リスティが転移する。

 四、三、二、一……。

 今だ!

 少女が十五発目の弾丸を発砲した直後、リスティは一瞬で彼女の背後へと転移すると体内に蓄えていた電気を右の人差し指の先に集束させた。

 ザカラ戦の折に使用した広域放電とは逆に一点に集約された超高圧の電流は蒼白い輝きを放つ球体となって、今まさにリスティの指先から放たれようとしている。

 だが、少女もA級を冠するフラグメント。背後に出現した気配を察知するや、とっさに振り向いてこちらに銃口を向けてきた。

 リスティの指先からプラズマを纏った雷球が放たれ、同時に少女の手にした銃からあるはずのない十六発目の魔弾が撃ち出される。

 放たれた二つの球はちょうど二人の中間で激突すると、大爆発を引き起こした。

   *

 大気を震わす轟音に、切り合いをしていたシドーの動きが一瞬止まる。

 その隙を衝いて、薫は力任せに相手の剣を跳ね上げると、至近から楓陣波を放った。

 威力よりも速度を優先し、確実に一撃入れるつもりで切り込む。

 普通に撃ったところでこの相手は掠らせもしないだろうが、体勢を崩した今の状態ならあるいは……。

 だが、シドーはとっさに左手を剣の柄から離すと、集束させた霊気を盾にしてそれを受け流して見せた。

 受け流された霊力の奔流は湖面に接触して爆発し、巨大な水柱を立ち昇らせる。

 その結果を見届けることもなく、シドーは僅かに身を捻ると、形状を保ったままの盾を円盤投げの容量で薫へと投げつけた。

 放たれた盾は大きく弧を描いて飛び、背後から薫へと襲い掛かる。

 薫はとっさに避けようとするが、同じタイミングで切り込んできたシドーの斬撃がそれを許さない。

「くっ……。逃げ場がないなら、作れば良かとね!」

 言うが速いか、薫は十六夜で相手の剣の側面を叩いてその軌道を逸らすと同時に、倒れ込むようにして前に出た。

「思い切りの良さも上等。ですが、まだ少し甘い!」

 そう言って、シドーは懐に飛び込んできた薫の腹へと空いた左手を押し当てる。

 だが、たたきつけた掌に伝わる硬い感触に、彼女は思わず眉を顰めた。

 下から切り上げるように振るわれた十六夜の切っ先を大きく仰け反ることで避けながら、脚力だけで後ろへと飛び退くシドー。その顔には僅かだが驚きの色が浮かんでいた。

「予め圧縮した霊力を纏うことでこちらの打撃による衝撃を緩和するとは……。やりますね」

 感嘆したようにそう漏らすシドーに、薫は何も答えない。否、答えられるだけの余裕がなかったのだ。

 神咲一灯流の当代として多くの霊を払い、鎮めてきた彼女だが、実戦でこれほどの実力者を相手にしたことはなかった。

 恭也やティナたちとの鍛錬がなければ、戦闘開始から数分と経たずに殺されていたかもしれない。それほどまでにこの敵は圧倒的なのだ。

 乱れた息を整えつつ、薫は油断無く相手の様子を伺う。

 外見こそ華奢な少女だが、その細腕から繰り出される一撃の重さは半端なものではない。

 どちらかといえば速度よりも一撃の威力に重きを置いている薫でも、まともに打ち合っていればおそらく数合と持たなかったことだろう。

 それほどまでに彼女の剣は重かった。

 だが、薫は気づいていた。

 剣術には大別して二種類のタイプが存在する。一つは、一撃の威力を以って相手を叩き伏せる力の剣。

 そして、もう一つは多くの技を放ち、繋げることで確実に相手を追い詰める技の剣だ。

 シドーと名乗った少女の剣は、一撃で薫の腕を痺れさせたことから前者のように思われるが、実際には後者に当たる。

 そう、あの凶悪な破壊力はただ単に彼女が剣を振るったことによるその結果でしかないのだ。

 強大な力を持った怪物が高い知能を得て、尚且つ人を殺すための技を磨けばどうなるか。シドーという少女は正にその見本のような存在だった。

 あれでA級(オリジナルの八十パーセント程度の能力)とは、彼女の元となった人間はどれほどの人外か薫には見当もつかない。

「(咲耶ちゃんがうちらを戦わせたくなかった理由が分かった気がするよ)」

 額に滲んだ汗を拭うのにも細心の注意を払わなければならない程、目の前の少女は強い。

 反則と言ってもよかった。

 底の見えない霊力に、人間ではあり得ない程の身体能力。技量的には打ち合えない程ではないが、長期戦になれば確実に負ける。

 しかし、だからと言ってここで退くわけにもいかなかった。自分の後ろには咲耶が、大事な家族の一人がいるのだ。

 神咲一灯流退魔道は、その名が示すように“人ならざるもの”を滅するための業ではあるが、その基本理念はやはり力無きものを護ることにある。

 彼女が力無きものかどうかは甚だ疑問ではあるが、それでも護るべき大切な存在であることには変わりなかった。

 こちらの作戦からすれば、このままずるずると打ち合ってさえいれば良いのだが、それだと薫自身の体力が持たない。

 確実に彼女に及ぶ危険を減らすためには、やはりシドーを倒さなければならないだろう。

 霊剣十六夜の柄を両手で握りながら、薫は決意を秘めた目で紫の気を従える少女を見据える。

「(あの目、……何か仕掛けてくるつもりですね。ならば、こちらもそれなりのものを以ってお答えするのが礼儀というもの)」

 薫の背後に霊気の高まりを見たシドーは、自身もそれに答えるべく内なる力を解放した。

 彼女の手にした剣へと帯電した紫色の霊気が集約し、更に周囲のすべてを覆い隠すかのように、闇を思わせる漆黒のオーラが少女の身体からあふれ出す。

 そして、霊剣十六夜に金色の霊気が集束し、薫が我流奥義の一つを放とうとしたそのときだった。

「我が影に呑まれ、暗黒の彼方へと消え去れ。……黒影斬!」

 闇を引きずるようにして放たれた横薙ぎの一撃に、薫はとっさに集束させた霊力を解放した。

 紫電を纏った闇の衝撃波と金色の霊気の奔流が二人の間で激突し、強大な爆発と閃光を巻き起こす。

 それらの向こうに薫の姿が消えるのを見て、シドーが勝利を確信したそのとき。

 それは一瞬のことだった。

 攻撃の正否を確かめるより先に、とっさに大きく後ろに飛び退くシドー。

 だが、まだ足りない。

 直感に従って掲げた剣の刀身へと立ち昇る黒煙を貫いて飛来した何かが巻き付き、その動きを封じた。

 ……読み違えた。ですが、まだ!

 同時に飛来した三本の飛針を、剣の柄から離した左手を横に振って発生させた霊力波で叩き落す。

 だが、そこへ本命と思われる複数の拳大の霊気の礫が来る。

 シドーはそれを拘束された剣を無理矢理引くことで防いで見せた。

「さすがは現代最強の一人に数えられる退魔剣士、紫藤かずみのフラグメントだけのことはあるわね」

 晴れ行く黒煙の向こうから聞こえたその声に、シドーの眉が僅かに顰められる。

「でも」

 声に含まれた響きは賞賛と落胆。だが、それが何を意味するのかを考えるだけの時間がシドーに与えられることはなかった。

「長く生きていたいのなら、その強さが絶対のものとは思わないほうが良いわ」

 言葉とともに鋼糸に拘束された剣が前へと引かれる。

 敵の意図に気づいたシドーは躊躇うことなく剣を手放すが、同時に放たれたもう一本の鋼糸が彼女の左手を捕らえていた。

 そのまま軽く前へと引かれ、僅かに体勢を崩したところへ再び霊気の礫が飛来する。

 それらを身を捻って避け、あるいは霊気の盾で防ぎながら、自らの腕を拘束している鋼糸へと紫電を流して切断するシドー。

 だが、敵は既に彼女を拘束するための新たな手を打っていた。

 飛針や霊気の礫に混じって飛んできた五本の小刀。それらは彼女の影に突き刺さると五紡星を描いてその身体を地面に縫い付けた。

「しまっ!?

 一瞬だが、完全に動きを封じられ、シドーが焦ったように声を上げる。

「薫、今!」

 その声に応えて、薫が渾身の一撃を叩き込む。

「我流奥義、光神剣・三日月!」

 横一文字に薙ぎ払われた霊剣十六夜から三日月型の霊力の刃が飛び、拘束から逃れようともがくシドーの身体を捉えて爆発する。

「……はぁ、はぁ、……や、やったか」

「いいえ、まだよ」

 肩で息をしながらそう言って、もうもうと立ち昇る粉塵を見据える薫に、ようやく姿を見せたティナが首を横に振った。

 そう、シドーは生きていた。

 ゆっくりと晴れていく粉塵の向こうから現れた姿はボロボロで、露出した肌の所々が漕げていたが、それでもその瞳に宿る光は少しも衰えてはいない。

 とっさに呼び寄せて盾としたのか、その手の中で彼女の剣の刀身が音を立てて砕ける。

 だが、それ自体が彼女の一部のようで、少しの魔力を込めるだけであっさりと再生してしまった。

 傷付いたその身体もまた数秒と経たないうちに癒え、ボロボロの衣服さえなければまったくダメージを受けなかったようにすら見える。

「そんな……」

 あまりのことに、薫は呆然として肩を落とす。万全とはいかないまでも、今放つことが出来る中で最強の一撃を決めたつもりだった。

 それをこうも簡単に回復されてしまうとは……。

 だが、落ち込む薫とは対照的に、ティナは何かに納得したように一つ頷くと、その口元に笑みを浮かべた。

「勝機は見えた。……薫、あなたは下がって。ここからはわたしたちが相手をするわ」

 脅威の再生を目の当たりにしてなお余裕すら感じさせる態度でそう言うティナに、薫だけではなく、シドーにアルティシアまでもが目を見張る。

「二人掛かりでようやく一撃。それもこの通り、既に癒えています。この状況の何処にあなたたちが勝てる可能性があると言うのです?」

 ティナの言葉をハッタリと思ったのか、シドーが目を細めてそう尋ねる。だが、ティナには彼女のその言葉こそがハッタリであるように思えた。

「…………」

 構えも何もなく、無造作にシドーへと近づいていくティナ。その姿は普段の彼女からは考えられない程に隙だらけだ。

 だが、シドーは動かない。攻撃するには絶好の機会であるはずなのに、何故か彼女は剣を構えた姿勢のまま微動だにしない。

 ティナはシドーの正面に立つと、徐に右手を彼女の額へと伸ばした。

「……あ」

 指先で軽く額を突く。それだけでシドーの身体は揺らぎ、後ろに倒れそうになる。

「チェックメイト」

 倒れる少女の背中に腕を回して抱き止めると、ティナは優しい笑みを浮かべてそう言った。

「かずみちゃんっ!」

 仲間が敵の手に落ちたのを見て、思わずその名を叫ぶアルティシア。だが、それ以上何が出来るわけでもなかった。

 激情に任せて敵意のない相手を攻撃し、状況を悪化させるというのは愚者のすることだ。

 シドーはシドーで、虚勢を見抜かれたことに驚き、予想外過ぎる敵の行動に戸惑っていた。

 何故、この少女は敵である自分にこんな表情を見せるのか。

 こんな、まるで、悪戯をした子供を叱る母親のような……。

「無理をしなくても良いわ。本当はもう立っているのも辛いんでしょ。大丈夫、わたしたちはあなたたちのことを壊したりしないから」

 優しく諭すように語り掛けるティナの姿に、その場の誰もが言葉を失う。

 語り掛ける彼女に相手を害する意思は無く、抱き止められたシドーにも何故か抵抗しようという気は起きなかった。

 最早それだけの力も残ってはいない。

「咲耶にあなたたちのことを聞いたときから、ずっと助けてあげたいと思っていたの。わたしやわたしの妹たちもどちらかと言えば、あなたたちに近い存在だったから」

「助ける……。あなたたちに剣を向けたわたしたちをですか?」

「本位ではなかったんでしょ。ただ、状況がそうさせただけ。その証拠に、あなたは薫を相手に本気を出してはいなかった」

「なっ!?

 ティナのその言葉に、薫が驚きの声を上げる。

「あなたがさっき放ったあの攻撃、ただの人間がまともに受ければ文字通り消滅してしまうだけの威力があったわ。もし、あなたがその気なら、最初から使っていたはずよ」

 あなたにはそれが出来るだけの実力があると言うティナに、シドーは自嘲めいた笑みを浮かべて首を横に振った。

「あれは契約によって得た力。わたしは一人の剣士として、おのれの力のみで彼女と戦ってみたかったのです。幸い、我が主はそれをお許しになられましたので」

 そう言ってシドーはちらりとアルティシアのほうを見た。

 視線を向けられた赤髪の少女は、申し訳なさそうにこちらを見ている。自分の命令がこの事態を招いたということは理解していても、どうすれば良いかまでは分からないといった様子だ。

 敵であるはずのティナの思わぬ行動と言葉に、彼女も困惑を隠しきれないようである。そして、それは味方のはずの薫や恭也も同じだった。

「一体、どういうつもりなんでしょうか」

 疑問の声を上げた恭也に、答えたのは咲耶だった。

「護るということは、必ずしも相手を殺さなければならないということではないよね」

「はい。確かに相手を殺さずに済めば、それにこしたことはありませんが」

「ティナはきっと、そのための方法を持ってたんだよ。……そうだよね!」

 テレパスではなく、あえて大きな声でそう問う咲耶に、ティナは空いているほうの手を挙げることで答えてみせた。

「でも、だったら、どうして戦う前にうちらにも教えてくれんかったんかな」

「あのレベルの敵を相手に殺さないつもりで戦ったら、こっちが殺されちゃうかもしれなかったからじゃないですか?実際、薫さんは危なかったわけですし」

「確かに。でも、黙っとったのはやっぱり良くなかとね」

「まあ、そのあたりは事が終わってから皆で制裁を加えるということで」

「恭也君。何気に物騒なこと言わないでよ。ティナだって、悪気があったわけじゃないんだろうし」

 後方で三人がそんな会話をしている間にも、ティナとシドーの話は続く。何気にティナはシドーを抱きかかえたままだが、抱きかかえられているシドーのほうにそれを気にするだけの余裕はなかった。

「まあ、何にしてもあなたたちがこれ以上、危害を加えないっていうのなら、ここの人たちは話くらいならちゃんと聞いてくれるわ。その後のことも多分、大丈夫でしょう」

「そんな、自分たちの命を奪おうとしたものをそんな簡単に許せるものですか」

「普通は許せないでしょうね。でも、ここの人たちは皆普通とは縁遠いらしいの。それに、あなたたちの行動も方法はともかく、心情としては理解出来ないものじゃないから」

 そう言うとティナは、徐に空いていたほうの手でシドーの胸に触れた。

「な、いきなり何を……」

「言ったでしょ、助けてあげるって。あまり時間もないみたいだから、やりながら説明するわ」

 驚き戸惑うシドーにそう言うと、ティナはおのれの内面世界から一つのキーワードを選択して発動させた。

「天使が成す業の中に“眷族化”と言うのがあるわ」

 そう言ったティナの足元に六紡星を二重の円で囲んだ魔法陣が現れる。

「天使は他者にその力を分け与えることで、そのものを自らに連なるものとして扱うことが出来るというもので、その業を施されたものは様々な恩恵を受けることが出来るようになる」

 彼女の言葉が進むにつれて、外側と内側の円の間に小さな円が生まれ、更に蝋燭の火を灯すようにその中に文字が浮かび上がる。

「あの魔法陣、……まさか!?

 驚きの声を上げる咲耶の目の前で、一つ、また一つと文字を内包した円がその数を増して行き、そして、十二番目の円の出現と同時に外側の円と内側の円がそれぞれ反対方向へと回転を始めた。

「中でも最も特徴的なのが眷族となったものは天使から一定の力の供給を受けることが出来、その力を使えるようになるということ」

 輝きを増した魔法陣に呼応するかのように、身体をすり抜けて浮かび上がったシドーの核が光を放ち出す。

「そして、天使が存在し続ける限り、そのものもまた不滅となる。……ここまで言えばもう分かるわよね」

「まさか、わたしにあなたと契約を結べとおっしゃるのですか!?

「嫌なら後で解約すれば良いわ。でも、このままじゃその選択をするだけの時間すら失われてしまう。だから、今だけはわたしに従って。このまま消えてほしくないの」

 そう言って真摯な眼差しで見つめてくるティナに、シドーは小さく分かりましたと頷く。それが彼女の限界だった。

「……ありがとう」

 完成し、一際強く輝く魔法陣の中心で、ティナは意識を失った少女の身体を抱きしめた。その背には、光輝く一対の翼。

「(あれが彼女の本当の姿。まさか、マスターと同族だったとは……)」

 解放された光が視界を白く染める中、咲耶の中の彼女が誰にともなくそう漏らす。

「(でも、確かにこの方法なら、彼女たちを世界から切り離された後も存在させ続けることが出来るよ。ティナがどうしてわたしオリジナルの眷族化の術式を使えるのかは気になるところだけど)」

 手元で何事かしながら、相棒の独り言に合図地を打つ咲耶。

「何てこと。まさか、これほど上位の天使がもう一人いただなんて……」

 ティナの正体を知ったアルティシアは、半ば呆然とした様子で目の前の光景に見入っていた。

 天井界が地上界との関わりを絶って久しい現在、神器を有する最強のセラフィムという例外を除けば、地上で天使に遭遇する可能性は皆無だと思われていた。

 カオスィックロードの発現と消滅に伴う時空間の乱れによって、世界間の移動はこの世界の上位存在である天使や魔族の力を以ってしても極めて困難なものとなってしまっている。

 そんな状況で、秩序の混乱を嫌う彼等が新たな執行官を送り込むはずがなかった。

 だが、現実はどうだろう。

 目の前の少女の発する光の神聖さは、フェンリルから受け継いだ記憶の中のセラフィムソウルのそれと比べても遜色ない。

 彼女に戦うつもりがないから良いようなものの、その力が自分たちに向けられたらと思うとアルティシアは背筋が凍る思いだった。

 皆がそれぞれの思いを胸に見守る中、魔法陣からあふれた光がシドーのコアである赤いクリスタルへと集束する。

 そして、その光が完全に収まった刻、彼女はおのれが生まれ変わったのだと悟った。

   * * * * *




  あとがき

龍一「うーむ、イマイチ戦闘が盛り上がらない気が(汗)」

知佳「圧倒的な戦力差を埋めるために結界作戦を用意したのに、これじゃ使うまでもなくうちの人たちが勝利しちゃいそうだよ」

龍一「まだS級フラグメントが何人か残っているとはいえ、咲耶とティナが本格参戦すれば一瞬でパワーバランスが傾きそうだしなぁ」

知佳「そもそも味方が強すぎるんだよ。これを基準に敵の強さを設定したら、RPGじゃ間違いなく魔王クラスだよ」

龍一「いや、フラグメントっていうのはそもそもコピーみたいなものだからな。その強さはクラスにもよるが、基本的にオリジナルとそんなに変わらないんだよ」

知佳「つまり、オリジナルが弱いとそのフラグメントも弱いってこと?」

龍一「まあ、初期の段階ではそうだな。その後、経験を積んで強くなることもあるけど」

知佳「今回の場合は?」

龍一「シドーは人間最強の退魔剣士のフラグメント。オリジナルが魔界人とのハーフなので、その身体能力は人間を大きく凌駕している」

知佳「なるほど」

龍一「それで、茶髪の銃使いのほうだけど、こちらは実力は人間の範疇。ただし、扱う銃に込められている弾は魔力を圧縮して精製された魔弾で、威力は本文中に記した通り」

知佳「それで、最後の一人は?」

龍一「彼女が一番強い。咲耶と対等に戦えるぞ」

知佳「それじゃよく分からないよ」

龍一「まあ、それは次回で明らかにするから」

知佳「それで、次回は?」

龍一「襲撃を受けるさざなみ。現れた二人目のフェンリルは寮に残っていた人たちを人質に降伏を迫るが、そのやり口は天使たちの逆鱗に触れることになる。次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第3章・12 わたしたちの終末戦争〜黒羽乱舞編〜」

知佳「ちょっと、これって……」

龍一「さて、長々と話し込んでしまいましたが、今回はここまでです。拙作を読んでいただき、ありがとうございました。よろしければ、また次回もお付き合いください」

知佳「ねぇ、ちょっと!」

   * * * * *





とりあえず、戦闘も少しは落ち着いたかな。
美姫 「まだまだ終わってないけれどね」
まあな。しかし、気になるのは次回の内容なんだが。
美姫 「いやー、一体どうなってしまうのかしらね」
とっても気になります。
美姫 「次回も首を長くして待ってますね〜」
ではでは。



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