トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜
第3章 夏のかけら
12 わたしたちの終末戦争〜黒羽乱舞編〜
* * * * *
気を失ったシドーの身体に自分の部屋からアポートしたタオルケットを掛けてやると、ティナはアルティシアのほうへと向き直った。
ティナが彼女たちと契約を結ぶためには先にこの世界との繋がりを絶たなければならない。薫とシドーを戦わせ、彼女に致命傷を負わせたのもそのためだ。
再生途中の不安定な状態だったからこそ、ティナは人の身でありながら世界の意思力に対して割り込みを掛けることが出来たのだった。
「……ありがとう、と言うべきなのかしらね」
驚き覚めやらぬといった様子でそう言葉を漏らすアルティシアに、ティナは小さく首を横に振った。
「わたしがしたくてやったことだから。こちらこそ、ごめんなさい。事前に承諾してもらっていたとはいえ、あなたの大切な妹さんに酷いことをしてしまって」
そう言って謝るティナに、今度はアルティシアが軽く頭を振った。
失われたものの代替物として世界を安定させる役目を与えられた彼女たちに、それを自らの意志で放棄することは許されない。そのため、このような乱暴な手段を取るしかなかったのだ。
「でも、あなたが接触してきたときは驚きましたわ。いきなり夢の中に割り込んでこられたんですもの」
少し怒ったような表情を作ってそう言うアルティシアに、ティナは苦笑しつつ軽く誤る。
「堂々と会いに行くわけにもいかなかったのよ。こちらも独断で動いていたから。でも、そのおかげで計画はほぼ成功したみたいよ」
そう言ってティナは、ちらりと咲耶たちのほうに視線を向けた。
薫はあからさまに不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる。恭也も何処か憮然としたような態度だ。
ただ一人、咲耶だけは本当に嬉しそうに笑っていた。
激情によって生まれたが故に、多くの悲劇を引き起こしてきたフラグメント。その歴史は今、世界の変革によって終わりを迎えようとしている。
だが、そこに救いはない。
ただ不用となったから捨てられ、黙殺されるだけだ。だからこそ、今回の敵のようにそれを由とせず、生き延びようと足掻いたものは決して少なくはなかっただろう。
一年前に世界を滅ぼしかけた魔族の少年も、最初はたった一人の少女を救うためだけに行動していたのだという。
世界はいつだって誰にも優しくなくて、少年はそのことにすっかり絶望してしまっていたのだろう。
だから、気づくことが出来なかった。
世界は不平等で、本当に誰に対しても優しくはないけれど、そんな世界にも優しい人はいるのだということに。
その男の子は世界を恨んだまま死んでしまったのかもしれないけれど、その思いは今もこの世界に残っている。なら、その具現である彼女たちにはせめて、そのことを知って欲しいとは思わない?
本当は戦うことに迷っていた咲耶に、ティナは微笑みながらそう言った。
その時既に彼女はこの方法を考えていたのだろう。任せてと自信満々の様子で言ったその顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
そして、見事悪戯を成功させたティナは、ニヤリと笑みを浮かべてアルティシアに振り返る。
「あなたも良い性格をしてらっしゃるのね。わたくし、そういう方は嫌いでなくてよ」
こちらもニヤリと笑みを浮かべてそう言うアルティシア。
「わたしたち、良い関係を築けそうね」
「ええ、これからよろしくお願いいたしますね」
「こちらこそ」
そう言って固く握手を交わす二人。それに何故か意識を失っているはずのシドーが反応を示したが、彼女たちはどちらもそれに気づくことはなかった。
「どうやらそっちも終わったみたいだね」
ティナとアルティシアが話していると、気絶した茶髪の少女を背負ったリスティが、そう言いながら林の中から出てきた。
所々煤けてはいるものの、二人に目立った外傷は見られない。先程の轟音から察するに、かなり派手にやり合っていたものとばかり思っていたのだが。
近づいてきたリスティに礼を言って少女を受け取ると、ティナは先と同じ魔法陣を展開して簡単に仮契約を済ませてしまう。
彼女を任せる関係で、先に説明を受けていたリスティはその光景を興味深そうに眺めていたものの、そのこと自体に対しては特に何も言わなかった。
ともあれ、これでティナの作戦の第一段階は終了した。この場に一人残ったアルティシアとも後日正式に契約を結ぶということで、話が着いている。
後は彼女を仲介人として他のフラグメントフェンリルたちと交渉し、戦闘を避けられるようにするだけなのだが……。
「随分と和んでいるじゃないか」
唐突に聞こえたその声に、緩みかけていた場の空気が一気に引き締まる。
「どういうつもりだアルティシア。敵と馴れ合うなど。それとも、油断させておいて、神器を奪う作戦だったのか?」
糾弾するような口調でそう言いながら姿を現したのは、フェンリルによく似た銀髪の少年だった。
声を掛けられたアルティシアは露骨に嫌そうな顔をして振り返ると、とっさにその場から飛び退いた。
直後、少年の手から放たれた漆黒の雷撃がそれまで彼女が立っていた場所を貫き、爆砕する。
「ちょっと、いきなり何をするのよ!?」
堪らず抗議の声を上げるアルティシアに、少年の肩が微かに震えた。
「何をするのか、だと。それはこちらの台詞だ。おまえのそれは明らかな裏切りではないのか」
「違うわ」
「ならば、何故戦わない。そこの女が内に抱えているものを奪わなければ、我等の悲願は叶わぬというのに」
言って咲耶を指差す少年に、アルティシアは順を追って説明しようとする。だが、少年がそれに納得することはなく、再び彼女へとその手を向けると、雷撃を放った。
「新たな契約者を得れば、もういつ消されるかも分からない恐怖に怯えることも無くなるというのに。その機会をあなたは自分から手放すつもりなの」
放たれた雷撃を魔力波で相殺しながら、攻撃を止めるよう促すアルティシア。
「例えそうだとしても、今度はその女の機嫌を伺いながら下僕として生きることになるだけではないか。それでは何も変わらないよ」
「わたしは別に、そんな扱いをするつもりはないんだけど」
「信用出来るものか」
少年のあまりの言い草にティナが微かに眉を顰めて反論するも、一言の下に切って捨てられた。
「まあ、そちらがわたしの提案を呑まないのは良いわ。でも、そうするとあなたとその配下にいるものたちに明日は無いわよ」
「何?」
「わたしはわたしの大切な存在を脅かすものを許さない。世界が黙殺するまでもなく、ここでわたしの手で無二還してあげる」
そう言ってティナは両手に抱いていた二人の少女をそれぞれリスティとアルティシアに預けると、揃って咲耶たちのいるところまで下がらせた。
「見逃すと思ったか!」
裏切り者を始末すべく、三度雷撃を放つ少年。その攻撃をティナは右の一太刀の下に切って捨てた。
「なっ!?」
驚きに目を見開いたのも束の間、少年は自らの腕に魔力を纏わり付かせるとティナに向かって駆け出した。
この敵を相手に止まってはいけない。人間よりも遥かに優れる魔族の視覚を以ってしても捉えきれないその太刀筋に、少年は半ば本能的にそのことを理解したのだ。
抜き放った右の小太刀を水平に構える少女へと、空気抵抗を突き破る勢いで迫る。だが、宇宙空間での戦闘経験が豊富なティナにはそれさえも止まって見えた。神速の世界に踏み入るまでもない。
殴りつけるような風圧を伴った少年の右腕の一振りをあっさりと掻い潜り、その胸へと小太刀を突き立てる。
少年は左腕の魔力を凝縮して盾とすることでこれを防ごうとしたが、少女の刃はその腕さえも容易に貫いて見せた。
肉を貫く嫌な音があたりに響き渡り、その様を見た少女たちが短く悲鳴を上げる。
ティナの攻撃はこれで終わりではない。
動きの止まった少年の脇腹へと、素早く抜刀された左の小太刀が迫る。それを右腕に残っていた魔力を集束させた刃で受け流しつつ、少年は左腕に刺さった小太刀を強引に引き抜いた。
飛び散った血飛沫を目くらましに、一度距離を取ろうとする。だが、ティナは顔に掛かった血に眉を顰めながらも、そのまま前に出て少年へと鋭い突きを放ってきた。
少年は何とか身を捻ってそれをかわすも、今度は下から掬い上げるような斬撃に襲われ、僅かに体勢を崩してしまう。
その隙を逃すティナではない。
素早く両手の小太刀を腰の横に引き戻すと、御神流の虎乱に似た刺突の連続攻撃を少年へと浴びせ掛ける。
少年はとっさに上空へと転移して逃れたが、両腕を中心に無数の刺し傷を負っているところを見ると、完全には回避しきれなかったようだ。
圧倒的だった。
少なくとも傍目には、ティナが一方的に攻撃しているようにしか見えない。
アルティシアなどは、自分も同じ力を持っているだけに、信じられないといった様子で呆然と固まってしまっている。
攻撃を仕掛けた少年自身、僅かな間にこれ程のダメージを負わされるとは、夢にも思わなかっただろう。だが、彼女のことをよく知るものたちは皆一様に難しい顔をしていた。
ティナの常人の目には捉えられないほどの速さと、魔力さえも切り裂く鋭い斬撃は、どちらも異能を発言させて初めて得られるものだ。
彼女は便宜上、完全なるHGSと呼んでいたが、精神力を媒体に発言するその力は、使用者に多大な負担を強いる謂わば諸刃の剣である。
その翼が今までにないほど強い輝きを見せていることから、おそらくティナは最初から全力を出しているのだろう。でなければ人の身で、数万の魔物を率いるほどの実力を持つ魔族を圧倒するなどありえない。
片翼だけで自身の身長を超えるほどの大きさにまで出力を上げた光の翼をはためかせ、ティナは小太刀を手に上空へと舞い上がる。
長引けばそれだけ不利になる。そのことを理解しているからこそ、ティナは攻撃の手を休めない。
少年は始めたばかりの再生を放り出して魔力を凝縮させると、自分に向かってくる少女に向けてそれを解き放った。
限界まで圧縮された魔力塊が無数の弾丸に分裂して降り注ぐ中、ティナは一気に上昇してそれらすべてを振り切ると、少年に向けて四本の小刀を投擲する。
少年はそれらを軽く回避してみせたが、直後に感じた悪寒に従って慌ててその場から転移した。
それとほぼ同時に回避したはずの小刀がすべてその軌道を鋭角的に変化させ、それぞれが別々の方向から直前まで少年がいた虚空へと襲い掛かる。
この小刀にはすべて極細の鋼糸が巻きつけられており、ティナが念動力で形成した力場をぶつけることである程度軌道を変えることが出来るようになっていたのだ。
簡易なオールレンジ攻撃に肝を冷やす間もなく、少年は背後に出現した気配に向けて振り向き様に魔力を圧縮して作った剣を振るう。
遠心力を乗せて放った斬撃が半円を描いてティナの小太刀とぶつかり、砕ける。
少年は砕けた剣の破片を爆発させて距離を取るも、今度は下方から飛来した十を越える数の小刀に、その動きを制限されてしまった。
圧倒的な力によって敵を捻じ伏せてきたフェンリル。そのフラグメントである少年にとって、空間戦闘における技能と戦術を何処までも追求した戦い方をするティナは最悪に相性が悪かった。
あらゆる方向から飛来する無数の小刀や飛針に、まるで大海に浮かぶ小船のように翻弄される。
だが、彼も並の戦士ではない。直感に従って回避、あるいは受け流し、致命傷となる攻撃だけは絶対に入れさせない。そのため、手数で圧倒し、空間の支配権を握りながらもティナは攻めあぐねていた。
「まずいですね」
二人の戦いを目を凝らして見ていた恭也は、戦況が膠着状態に陥りかけているのを感じてそう呟いた。
「ああ、このまま続けたら、間違いなくティナのほうが先にスタミナ切れを起こして負けるとね」
薫もそれに頷き、助けに入るかどうかを考える。だが、先のシドーとの戦いで体力・霊力共にほぼ使い果たしてしまった彼女には無理そうだった。
相手が空を飛んでいる以上、恭也も加勢するのは難しいだろう。結界を待機状態で維持している咲耶は言うまでもない。
となると残りはリスティかアルティシアだが、彼女たちが果たしてあの中に入っていけるだろうか。
「まさか、全力を出したティナがここまで凄まじいとは思わんかったとよ。うちらとの打ち合いのときには手加減されとったんかな」
上空で繰り広げられる戦闘を目で追いながら、薫がそう言って溜息を漏らす。
そこにあるのは正に人外の世界だった。
あり得ない角度から何本もの飛針や小刀が飛来し、避けたと思ったら軌道を変えて再び襲い掛かってくる。華奢なはずの少女の細腕から繰り出される斬撃はそのすべてが神速にして必殺。
それらに曝されながらも未だその存在を保っている少年の底力も驚異的だった。
「いえ、ティナさんはいつも本気でしたよ。本気で俺たちの成長を促すための戦い方をしてくれていた」
同じように二人の戦いへと視線を向けながら、恭也が薫の言葉を否定する。そう、戦うときの彼女はいつだって真剣で、本気だった。
ただ、その目的がこれまでは相手を鍛えるためのものであり、必ずしも全力で臨むことが最善ではなかったというだけである。
薫とて、それが分からないわけではなかった。
ただ、このような戦いを見せられるとどうしても思ってしまうのだ。あれは本当に自分たちの知っているティナなのかと。
分かっている。そう言って頷いた薫の顔には自嘲の色が濃く現れていた。
大きすぎる力はそれだけで畏怖の対象となる。例え自分たちに対して振るわれることはないのだとしても、目の前で見せられればそれがどれほど異常なものなのかを嫌でも理解させられてしまうからだ。
薫自身、霊能力者として強大な力を持っているせいで、そのような視線に曝されたことは少なからずあった。だからこそ、彼女は仮にも家族である少女に対して自分がそんな気持ちを抱いてしまっていることが許せなかったのだ。
だが、まるでそんな薫をフォローするかのように、彼女の考えを肯定するものがいた。
「そんな、ありえないわ」
少女はその真紅の瞳を空へと向けたまま、呆然としたように言葉を漏らす。
「それは、彼女があの少年と対等に戦えていることがですか?」
少女のその呟きが聞こえたのか、二人の戦いへと視線を向けたまま恭也が尋ねる。その声には微かだが、尊敬する人をあり得ないもの呼ばわりされたことに対する怒りがにじみ出ていた。
「それもそうですけれど、何より彼女、ティナさんでしたかしら。あの方の存在自体がこの世界ではありえないのです」
「(まあ、異世界の人だもんね)」
「どういうことですか?」
ただ呆然とそう答える少女に咲耶が苦笑し、恭也は眉を顰めて問いを重ねる。
「あの方は今、世界と同調することでその意志力を引き出して自らのものとしているのです。そんなことが出来るのはこの世界では唯一、当代の神だけですわ」
「なっ!?」
返された答えに、それまで黙って聞いていた薫が声を上げる。さすがに目の前で自分の家族にも等しい少女が成しているのが神の業だと言われれば、彼女でなくても驚くだろう。
「つまり、彼女は神だと言いたいのですか?」
「まさか、わたくしの知る当代の神はあの方とはまったくの別人ですわ。だからこそ、あり得ないと申しているのです」
言葉を交わすためにこちらへと向けていた視線を上空の戦いへと戻しながら、少女、アルティシアは何ともいえない様子で溜息を漏らす。自分の常識を根底から覆されて、どうすれば良いのか分からなくなっているのだろう。
だが、人外魔境の異名で呼ばれるさざなみ寮の住人である薫やリスティ、その彼女たちと交友のある恭也は最早それくらいでは驚かない。
寧ろ同調という時点で、ティナなら出来るだろうとさえ思っていた。
HGS能力の一つであるテレパスは、おのれの精神を限りなく相手に近いものとすることでその思考を読み取り、理解しようとする行為である。
彼女は完全なるHGS。例え相手が世界であったとしても、そこに自分とは異なる意思の存在を認めることさえ出来れば、心を重ねるのはそう難しくはなかった。
自分と世界との境界を限りなく希薄なものとし、一瞬のうちにそこから力を汲み取る。そうして得た力は、彼女に人の域を超えたパワーとスピードを発揮させ、徐々に少年を追い詰めていっていた。
「もう一度聞くわ。わたしと契約して延命する気はないの?」
少年の放った不可視の斬撃を左の小太刀で受け流しながら、ティナは今一度問う。
「くどいぞ。そもそも、我等の目的は延命等ではないのだ」
「何ですって?」
少年から返された意外過ぎるその言葉に、ティナの動きが一瞬止まる。その隙を衝いて少年が再び切り掛かるが、ティナはそれを右の小太刀で受け止めた。
「意外か?だが、あり得ない存在の娘よ。おぬしも理解しているのだろう」
「…………」
「コスモリヴァイアを手に入れたところで、本来の主ではない我等の力では精々、数年の時を得るのが関の山であろうよ。だが、それだけがあれの使い道でもない!」
切り結んだ状態から無理やり押し込むことで距離を取りながら、少年はこの場の全員に聞かせるように声を張り上げた。
「この世は全く危うい均衡の上に成り立っている。例えばほんのちっぽけな夢や希望が絶望に変わっただけでもあっさりと崩壊してしまうほどにな。そんな世界を完膚なきまでに破壊し尽くすには、どうすれば良いか分かるか!」
「まさか!?」
少年の言わんとしていることに気づき、咲耶が驚愕に目を見開く。彼女はその担い手として、コスモリヴァイアという神器の特性を誰よりも理解している。そのため、彼がしようとしていることに気づいてしまったのだ。
「ティナ、そいつを止めて!五体満足なんて贅沢なことは言わないから、一分一秒でも早く行動不能にするの。お願いっ!」
思わず維持していた結界を放り出して叫ぶ咲耶に、ティナが微かに眉を顰める。
いつに無く切羽詰った様子で攻撃的なことを言う銀髪の友人に、目の前の少年がろくでもないことを企んでいるのだということが分かったからだ。
「この世界を滅ぼすつもりなの?」
「ああ、世界が我等を黙殺するというのなら、我等は世界を滅ぼす。そのくらいの権利はあっても良いとは思わぬか?」
「下らないわね」
「であろうな。一度は敵対したものにすら救いの手を差し伸べるおまえたちにとって、我等の行いはさぞかし滑稽でおろかしいものに見えているに違いない」
破滅を正当な権利と主張する少年に対し、ティナはそれを一言の下に切って捨てる。下らないと言われた少年は憤怒するでもなく、ただ、彼女の言葉を肯定するかのように頷いた。
「正直、我個人としてはおまえの提案に乗っても良いとさえ思っている。だが、我は今、志半ばで消えていった多くの同胞たちの代表としてここに立っているのだ。この意味が分からぬ存在ではあるまい」
「そう」
退くことは出来ないという少年のその言葉に、ティナはただ一言、そうとだけ答えた。最早、言葉を交わす必要もない。
「さあ、我等を許せないのだろう。ならば、余計な口を利く前に我を滅ぼしてみせよ!」
その言葉を合図に、止まっていた戦いが再び動き出す。互いに譲れないものを胸に抱えたもの同志のそれは先程以上に激しく、鋭く、相手の大切なもの、信念を打ち砕こうと鬩ぎ合う。
その激突は湖を離れたここ、さざなみからも見ることが出来た。
見張りのために屋根の上へと上がっていたアリスは、遠目にもはっきりと分かる程に強い輝きを放つ姉の翼に、思わず身を乗り出した。
姉の強さはその戦う姿を誰よりも間近で見てきた自分が一番よく知っている。その姉を本気にさせる相手とはなるほど、相当の使い手なのだろう。
咲耶が自分たちを巻き込まないようにしていたのにも納得がいくというものだ。
フィールド越しに大気の震動を感じつつ、戦況を確かめるべく、アリスはそこにいるはずのリスティへとテレパスを使って呼び掛ける。
呼び掛けられたリスティは、距離的に厳しいはずのテレパスがクリアに届いてくることに若干驚きながらも簡単に現在の状況を説明してくれた。
姉の工作でS級一人を含む三人のフラグメントとの間で和解が成立しそうだと聞かされたときにはさすがに驚いたが、同時に彼女らしいとも思って苦笑してしまった。
ティナは強いが、決して殺し合いを望んでいるわけではないのだ。
「(それで、作戦のほうは後どれくらい続きそう?)」
今は二人目のS級フラグメントと交戦中だという姉の身を案じてか、そう尋ねるアリスの声にいつものほんわかさは感じられない。その戦いぶりを直接見ているリスティたちとは違い、細かな様子の分からない彼女はどうしても不安になってしまうのだ。
だが、残念ながら、リスティにもこの戦いが後どれくらい続くのか正確なところは分からなかった。
フェンリルの話を信じるなら、残るS級フラグメントの数は三体。しかし、咲耶が神器を起動させてからもう結構な時間が経過しているというのに、それらの敵が姿を現す気配はまるでない。
彼の情報が間違い、いや、ガセだったのか。それとも先鋒からの報告を待っているのだろうか。
いずれにしても待機状態とはいえ、あまり長時間の神器の使用は咲耶に掛かる負担が大きくなりすぎる。彼女もそのことは理解しているようで、後三十分、いや、十五分経っても状況が動かないようなら殲滅戦に移行すると言ってきた。
リスティとの交信を終えたアリスは、額に浮いた汗を手の甲で拭うとその場に座り込んだ。さすがにテレパスによる長距離通信と大規模なバリアの維持を同時に行うのは辛いようで、その表情には僅かだが疲労の色が見て取れる。
だが、実際に戦っている者たちのことを思うと、これくらいで弱音を吐いてなどいられなかった。
幸いというべきか、咲耶が明確な時間を告げたことでこの状況にも終わりが見えてきた。後十五分余り、自分も頑張らなければ……。
そうして気合を入れ直したアリスが立ち上がろうとしたときだった。唐突に、彼女のすぐ隣にグラスを持った知佳がテレポートしてきた。
「お疲れ様。はい、これ。差し入れだよ。はちみつレモンだけど、飲むよね?」
「あ、ありがとう」
そう言って差し出されたグラスを受け取ると、アリスは一気にその中身を飲み干した。
フィールドによって紫外線その他の有害なものはすべて遮られているとはいえ、真夏の太陽に焼かれた寮の屋根はそこに立っているだけで彼女の体力を奪っていた。ぶっちゃけ、日干しにされる魚と同じである。
そんな状況で差し出されたグラス一杯のはちみつレモンは、アリスにとって砂漠のオアシスにも等しい感激を受けるに十分だった。
「やっぱ、しんどいよね」
大きく息を吐くアリスの隣で寮全体を覆うフィールドを見上げながら、ぽつりと知佳がそう漏らす。自分もザカラが現れたときに同じことをしたから分かるのだが、その規模のフィールドを長時間維持し続けるのはとても大変なことなのだ。
今、目の前で展開されているそれは世界最高とまで言われた全盛期の自分のものなどより遥かに強力だった。
せめて、ほんの少し、アリスが休憩を取る間だけでも自分が代わってあげられたら良かったのに。
自分から力を放棄しておいて勝手だとは思うが、今回のようなことがあるとどうしてもそう考えてしまう知佳だった。
それが仁村知佳という少女の本質。
普通の女の子としての幸せを望んで力を捨てたことを後悔しているかと問われれば、そんなことはないとはっきり答えることが出来る。
だけど、こうして自分たちを護るために頑張ってくれている少女の姿を前にすると、自分も何かしたいと思ってしまう。その気持ちもまた、彼女にとっては本物だったのだ。
そんな知佳の内心を察してか、アリスは空になったグラスを差し出すと彼女におかわりを要求した。
それに少し戸惑ったような表情を見せる知佳に、自分はもうしばらくここを動けないからと言って再度お願いする。幼い頃は身体が弱く、姉に護られてばかりだったアリスには、知佳の気持ちが良く分かるのだ。
大切だから護ると言ってくれる相手に、自分も想いは同じなのだと知ってほしくて、随分悩んだのを今でも覚えている。そうして得た答えは何のことはない、本当に簡単なことで。
アリスはそれを知佳にも気づいてほしかった。
不思議そうな顔をしながらもグラスを受け取り、新しいジュースを作るために寮内へと戻る知佳の背中を見送って、アリスはそっと溜息を漏らす。
少しお節介だったかもしれない。
力を失っても出来ることを考え続ける彼女なら、自分が言わなくてもいつか気づけただろう。ただ、友人として、同じ寮に暮らす家族として、アリスはかつての自分と同じ悩みを抱いた彼女のために何かしたかったのだ。
悩んでた頃のわたしを見ていたお姉ちゃんもこんな気持ちだったのかな。
ふとそんな考えが脳裏を過ぎり、アリスの注意が僅かにそれたそのときだった。
唐突に、結界の有効範囲内に新たな敵と思われる気配が三つ出現し、行動を開始した。アリスは慌ててテレパスを通してそのことをリスティに伝えるとともに、こちらも迎撃体勢を整えるべく寮内へと転移する。
「どうしたの?」
ちょうどこちらに来ようとしていた知佳にそう問われ、アリスは彼女が持っていたグラスを奪って中身を飲み干すと端的に答えた。
即ち、敵が来た、と。
それを聞いて、リビングで待機していた楓と耕介が同時に立ち上がり、真雪が吸っていたタバコの先を灰皿に押し付けて揉み消す。
皆一様に厳しい表情をしている。
戦闘が始まった時点で既に咲耶の存在が敵に知られている以上、今更こちらに来る理由など一つしか思いつかなかったからだ。
「連中、あたしらを人質にするつもりか」
真雪が吐き捨てるようにそう言ったとき、何かがアリスの張ったフィールドに接触して轟音を立てた。
「まあ、そういうわけだから、さっさと神器を渡して降伏しなさい。さもないと、あなたたちの大切な家族がどうなっても知らないわよ」
戦場へと姿を現した三人目のフラグメントフェンリル、黒髪の女のその言葉に、ティナの顔から表情が消えた。
そのまま少年へと向けていた小太刀の切っ先を下げ、鞘へと戻す。それを見て女の口元に笑みが浮かぶが、対照的に少年の顔には苦いものが浮かんでいた。
「素直な子は好きよ。その調子でさっさとコスモリヴァイアを渡しなさい」
嘲りを多分に含んだ調子でそう言う女に一つ頷くと、ティナはテレパスを使って咲耶に合図を送った。
それを受けて、咲耶は今まで待機状態で維持していた対魔結界を発動させる。
「なっ!?」
女が異変に気づいて驚愕する。だが、それ以上の発言を彼女が許されることはなかった。
* * * * *
あとがき
龍一「戦いの第2ラウンド。本気を出したティナの強さは既に人間を捨てているとしか思えないほど凄まじい」
知佳「ちょっと強すぎるんじゃない?」
龍一「いや、この状態は長時間続かないからそうでもないと思うが」
知佳「あくまで身体は人間ってことだね」
龍一「さて、次回はいよいよ決着編。ある意味王道な展開になる予定なので、そういうのが好きな方もそうでない方も楽しんでいただければ幸いです」
知佳「ラストスパートってことで、すぐにでも続きを書いてね」
龍一「おう、頑張るぞ!」
知佳「というわけで、今回はここまでです」
龍一「拙作をお読みいただいた方、ありがとうございました」
知佳「もうすぐ完結なので、最後までお付き合いいただければ幸いです」
二人「ではでは」
* * * * *
いやはや、ティナの強さは凄いな。
美姫 「本当よね。そして、戦いもいよいよ終盤へ」
どうなる!?
美姫 「次回が楽しみね」
うんうん。次回も待ってます。
美姫 「待ってますね〜」