トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第3章 夏のかけら

  13 わたしたちの終末戦争〜終幕編〜

   * * * * *

 結界が発動するのとほぼ同時、ティナは納刀したばかりの小太刀を抜き放つと女に向かって切り掛かっていた。

 超高速の抜刀から放たれた六連撃が女の右腕と左足を切断し、左肩と右の脇腹に突き刺さる。少年が気づいて助けようとしたときには、突きへと変じた両の小太刀が女の眉間と心臓を同時に貫いた後だった。

 破邪真空流奥義之六・芙蓉閃……。

 本気の殺意を纏ったティナのその攻撃の前に、女は反応らしい反応を示すことも出来ずに絶命させられた。

 少年は動くことが出来なかった。目の前の少女を相手に、それがどれほど致命的であるか理解してはいても、あんな技を見せられた後ではうかつに動くことなど出来るはずがない。

 実際には決定的な隙を見せでもしない限り、そうそう打ってくるものでもないのだが、彼女と今日初めて戦う少年には知る由もなかった。

「人形にあまりつまらないことを言わせるものじゃないわ。思わず壊してしまったじゃない」

「気づいていたのか」

「わたしだけじゃないわ。ついでに、そこでこそこそしてる本物の存在にも皆大体気づいているんじゃないかしら」

 そう言って地上の一点を指差すティナに、全員の視線がそこへと集まる。なるほど姿こそ見えないが、気配に敏感な薫や恭也はすぐにそれを見つけることが出来た。

「いつまでも隠れていないで、出てきたらどうだ」

 普段よりも幾分低い恭也のその声に答えるかのようにティナが指差したあたりを中心に景色が揺らぎ、先程殺されたはずの女が姿を現す。その身体に傷は無く、血の痕さえも見られない。

 正確な位置を割り出されたことに驚く暇も無く、飛来した飛針に女は舌打ちしながらその場を飛び退く。それと入れ替わるようにティナが地上へと降り立ち、女と咲耶たちとの間に割って入った。

「聞いていたかもしれないけれど、一応もう一度だけ言っておくわ」

 忌々しげな視線を向けてくる女に、構うこと無くそう言うと、ティナは左の小太刀を肩の高さまで持ち上げながら言葉を続けた。

「わたしはわたしの大切な人たちを脅かす存在を許さない。もし、これ以上人質を取ろうとするのなら、生まれてきたことを後悔するほどの地獄を味わいながら消滅してもらうことになるわ」

「はっ、人形一体破壊したくらいでもう勝ったつもりでいるなんて。おめでたいにも程があるわ」

 ティナのその宣言に対して女は嘲笑を以って答えたが、内心ではかなり焦っていた。

 物理的な衝撃に対して高い耐性を持っているはずの自分の人形がただの小太刀の斬撃によって一瞬でバラバラにされてしまったのだ。しかも、その太刀筋は、人などよりよほど優れた動体視力を有しているはずの自分の目を以ってしても追いきれないときている。

 正直、もう一度同じ技を使われれば対処しきれるかどうか分からなかった。

 思考を巡らせる女の背後に硬直から抜け出した少年が降りてくる。

 アルティシアとその配下の二人が敵にまわり、共に神器の在り処を目指していたはずのもう一人はいつまで経っても現れない。その上、人質を取って脅迫すればあっさり降伏すると思っていた相手は、こちらに従うどころか逆にそれまで以上に鋭い牙を剥いて襲い掛かってきた。

 何もかもが予定通りにいかないことに苛立ち、叩きつけるかのように、女はティナへと魔力衝撃波を放つ。だが、ティナはそれをあっさりと一太刀の下に切って捨てた。

「ちっ、こうなったら本当に人質を始末させてやるわ」

 あくまで抵抗を止めないティナに、女はとうとう部下に命じて人質を攻撃させようとするが、それは背後に立っていた少年によって止められた。

「止めておいたほうが良い。そんなことをすれば、おまえは命令を下す前に、人形と同じ運命を辿ることになるぞ」

 既に刺突の構えを取っているティナを見て、少年が顔色も悪く女にそう警告する。まるで弓を引き絞るかのように上半身を限界まで捻ったその構えからして、その刺突が先の抜刀術以上の速さで繰り出されるのだということは想像に難くない。

 それに、あちらが人質の存在を知ってもなお攻撃を続けるということは、おそらくそちらを襲うこと自体に意味がない。それどころか、目の前の少女を無意味に刺激してこちらの被害を拡大してしまう可能性すらあった。

「……潮時だな。引き上げるぞ」

 現状、相手は仲間を庇いながら戦わなければならなくなっているが、そこに漬け込む隙があるとも思えない。例えあったとしても、未だ翼を畳んだままのセラフィムソウルが参戦してくれば、僅かな優位など瞬く間に覆されてしまうだろう。

「バカを言わないで。こんな小娘にコケにされて、おめおめと引き下がれるものですか!」

 撤退するという少年の言葉に、女は罵声を以ってそう答える。

「下らんプライドに固執して、無駄に命を散らすこともあるまい。それとも貴様にはこの状況を覆す策があるとでも言うのか?」

 呆れたようにそう尋ねる少年に、女は口元にニヤリと笑みを浮かべて頷いた。

「ええ、こうすれば良いのよ!」

 そう叫ぶと女は自らの心臓へとその右手を突き入れた。

「なっ!?

 ずぶりと肉を貫く音があたりに響き渡り、それを見た少女たちが驚愕の声を上げる。女は右手で自らの内に封じていた混沌の結晶を握ると、その力を解放した。

 瞬間、女を中心に噴き出した瘴気が渦を巻き、荒れ狂う暴風のようにあたりの空気を浸食し出す。それを見てティナはとっさに上空へと逃れ、咲耶は神器の結界によって自分とその周囲にいたものたちを護った。

 ただ一人、間近にいた少年だけは退避が間に合わず、渦巻く瘴気に捕まってその場から動けなくなっていた。

「……おろかものめ。おのれの領分も弁えず、禁忌を犯すとは……」

「何を言っているの?こんな素晴らしい力、使わない手はないじゃない。これならそこの小娘の神器を奪わなくたって世界に逆襲することだって出来る!」

 苦痛に顔を歪めながらの少年のその言葉にも、女は狂気に憑かれたように笑うばかりで、まったく耳を貸そうとはしない。

「忘れたのか。我等のマスターはその力の狂気に呑まれてその身を滅ぼしたのだぞ!」

「それはこれが完全体だったときの話でしょ。今の五分の一の混沌程度なら、わたしにも制御出来るわ」

女が解放したのは混沌のかけら。一年前、咲耶たちが死力を尽くして破壊したカオスィックロードの残骸より復元された、膨大な負のエネルギーの結晶だった。

 あらゆる世界を始まりの姿へと戻すための破壊の力。例えかけらであってもそんなものを解放すれば世界にどのような影響が現れるか分からない。だが、おのれが得た力の強大さに酔っている彼女には、自分がしでかしたことの重大さを理解することが出来なかった。

「最早言葉も届かぬか。ならば、せめて我の手で引導を渡してくれる!」

 そう言って瘴気の渦から強引に抜け出すと、少年は女に向けて漆黒の雷撃を放った。だが、集束し、密度を増した瘴気の前にその攻撃は女には届かない。

 それはまるで、あのときの焼き直しのようで、咲耶は半ば呆然とその光景を見詰めていた。

 解放された混沌に引き寄せられるように暗雲が空を覆い、膨大な瘴気が暴風の如く荒れ狂う様は、正しく世の終末を連想させるものだ。だが、いつまでも呆けているわけにもいかなかった。

 ティナからのテレパスを受けて我に返った咲耶は即座に判断を下すと、体勢を立て直すべく全員を連れて一度寮へと戻ることにした。

   *

「それで、これからどうするの?」

 留守番をしていたものたちに対する大まかな現状説明を終えたところで、ティナが咲耶へとそう尋ねる。ちなみに、今の彼女は暗器を収納したジャケットを脱いだ姿でソファに腰掛け、手製の高カロリードリンクを飲んでいるところだ。

 これは高度な空間戦闘で酷使した脳にエネルギーを補給するために彼女が元いた世界の軍などで支給されているものを真似て作ったもので、味は濃厚なスポーツドリンクとでもいったところだろうか。

 手っ取り早くエネルギーを回復出来るということで、ティナは戦闘に参加したメンバー全員にこれを配ったのだが、あまりの濃厚さにほとんどのものはまともに飲むことが出来なかった。

 そんなものを美味しそうに飲んでいる彼女は、実は見た目以上に疲れているのかもしれない。

 それはさておき、問われた咲耶は少し考えるような素振りを見せてからそれに答えた。

「まずは確認。えっと、アルティシアさんだっけ。あれは本当にカオスィックロードなの?」

「正確にはその変異体ですわね。あれが二度と復活しないように分割封印したところ、ああなってしまいました」

「……詳しく説明してもらえるかな」

 確認のために尋ねた咲耶に対して、アルティシアから返された答えは彼女の予想していたものとは全く異なるものだった。説明を求められたアルティシアはそれに一つ頷くと、当時を思い出すように目を閉じる。

 彼女たちがそこへと駆けつけたとき、フェンリルは瀕死の重傷を負いながらもまだ生きていた。混沌の力が弱まったことでその支配から抜け出すことが出来た彼は最後の力を振り絞ってそれを五つに分けると、彼女たちに後を託して死んでいったのだという。

 残された彼女たちに架せられたのは、自らの消滅する刻までそれを死守し、道連れとすること。だが、誰も大人しくその刻を待つことなど出来はしなかった。

 作られた存在であるとはいえ、彼女たちもまた心を持った“人”なのだ。だからこそ、最後に自らを取り戻し、せめて責任を果たそうとした彼の無念を晴らしたいと思って行動したとしても何ら不思議ではなかった。

「事情は分かったわ。それで、あれの能力は実際どれくらいなの?」

 故人への想いに浸りそうになるおのれを戒め、咲耶は今聞かなければならないことのみを尋ねる。自身の解放のために、彼を利用した自分にそんな資格など無いと分かっていても、彼が最後に自分を取り戻したと聞いて安堵せずにはいられなかったのだ。

 そんな彼女の気持ちを察してか、アルティシアもそれ以上は何も言わず、ただ聞かれたことにのみ答える。それを聞いた咲耶は、今度こそ自分一人で行こうと覚悟を決めて立ち上がった。

「勝算はあるの?」

「正直、難しいと思う。けど、やるしかないよ」

「そう、なら、わたしのすることは決まったわね」

 咲耶の答えを聞いたティナは、そう言って立ち上がると、ソファの背凭れに掛けていたジャケットを取って袖を通す。そのとき聞こえた金属同士が軽く触れ合う音からして、そこにはまだ少なくない数の暗器が納められているのだろう。

「ティナ!?

 まるでそうするのが当たり前とでも言うようなほど自然に戦闘態勢を整えた彼女に、咲耶は思わず声を上げた。そのせいで、休息を取っていたものたちの視線が二人へと集まる。

「……図ったわね」

「あら、何のことかしら」

 恨めしげな視線を向けてくる咲耶に、ティナは涼しい顔でとぼけてみせる。

「あの瘴気を見たでしょ。あんな場所に普通の人を連れては行けないよ」

「なら、わたしとアルティシアだけでも連れて行きなさい。わたしはバリアがあるし、アルティシアも耐性はあるはずだから」

 危険だからと同行を拒む咲耶に、ティナは大丈夫だと言って一歩も譲らない。二人ともこういうところでは頑固というか、似たもの同志なので真っ向からぶつかってしまうのだ。

「あの、わたくしも一緒にというのは……」

「あなたなら、あれがどういうものか分かるでしょ。不測の事態に備えてアドバイスを出来る人を連れて行きたいのよ」

「なるほど。ですが、わたくしなどを信用して良いのですか?」

 案に裏切るかもしれないと言うアルティシアに、ティナは小さく口元に笑みを浮かべると首を横に振った。

「あなたは自分の妹たちを大切にしているでしょ。だから、その妹たちの未来を閉ざしてしまうようなことはしないと断言出来るわ」

「甘いことを。いえ、あなたはその甘さを通せるだけの強さをお持ちなのでしたわね。良いでしょう。このアルティシア=ウィズ=エルスヴィクトリア、微力ながら協力させていただきますわ」

 優雅に一礼してそう宣言する赤髪の少女に、ティナは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。

「というわけで、さっさと戻ってあれを始末してしまいましょう」

「だから、ダメだって言ってるでしょ!ほら、アリス、あなたからも何か言ってあげてよ」

「えっと、わたしはどっちかっていうと、お姉ちゃんの味方なんだけど……」

「……そうだったね」

 姉を止めてもらおうと、アリスに助け舟を求めた咲耶だったが、困ったような顔で拒否されてしまい、がっくりと肩を落とす。ティナほど露骨ではないものの、アリスもまた重度のシスコンであることは周知の事実だった。

   *

 咲耶たちが戦略的撤退をしたのと入れ替わるように、湖の上空に二つの人影が姿を現す。

「やっぱりこうなったか」

 瘴気を噴き出す女の亡骸を抱いて立ち尽くす銀髪の少年を見下ろしながら、人影の一つ、フェンリルが抑揚の無い声でそう漏らす。

「ごめんなさい。わたしが03を取り逃がしたばかりに……」

 申し訳なさそうにそう言って俯く一夏に、フェンリルは軽く頭を振ると、彼にしては珍しく気遣わしげな声で気にする必要はないと言った。

 しかし、これ、どうするかな。

 内心で困ったようにそう呟きつつ、彼は改めて眼下の光景へと目を向ける。

 女が解放したカオスクリスタルを巡る戦いの中で少年の持つそれもまた活性化し、今は二つが一つに融合した状態で彼の手の中にある。融合による相乗効果なのか、その結晶から発揮される力は、破壊のそれに限っては完全起動状態のカオスィックロードにも匹敵する程だ。

 フェンリルの手元にも同じ数のカオスクリスタルがあるにはあるが、彼が委員会から受けた依頼がすべてのカオスクリスタルの回収である以上、これを使うわけにはいかなかった。

 彼女たちは戻ってくるだろう。自分と一夏の二人掛かりであれに挑んだとして、それまでに片付けられるかといえば、難しいところだ。

 いっそのこと、戦闘は彼女たちに任せて漁夫の利を狙ってみようか。結局はまた利用してしまうことになるが、どうせ自分たちの関係などそんなものだと割り切ってしまえば、案外そう悪い手でもない気がしてくるから不思議だった。

 ああ、これだから僕は嫌われるのか。

 唐突に気づき、思わず苦笑してしまう。今更好かれているなどという妄想を抱くほどおろかではないが、その場面を想像すると何故か微妙に憂鬱になるフェンリルだった。

   *

 地上ではいよいよ銀髪の少年が解放された混沌の力を手中に納めようとしていた。それに伴って荒れ狂っていた瘴気は終息へと向かったが、逆に少年自身が放つ強力な闇の波動によって、周囲の空間に歪みが生じ始めている。

 異変を察知した咲耶は、敵の狙いに気づいて愕然とした。

「まさか、空間ゲートを開くつもりなの!?

 空間ゲートとは、この世界内の階層移動、例えば上層の天上界から中層の地上界へというような具合に移動を行う際に用いられる転移魔法のことだ。

 世界の管理を行う時空管理委員会の常任委員会において、相互不干渉が決定されてからは使用が厳しく制限され、昨年の混沌事件以降は階層を隔てる時空間の乱れによって実質使用不可能となった遺失魔法の一つである。

 本質的には自分を対象とした逆召還魔法であるため、その手の知識を有するものであれば、発動させることは出来るのだが、階層間の時空間が著しく乱れている現在ではまず成功することはないだろう。

 ちなみに、失敗すると開かれたゲートから亜空間が逆流して、あたり一帯の空間を混沌とした異次元に変えてしまう。そのあたりの事情も委員会が公表したことで広く知られており、進んでそのような危険を冒すものはまずいないはずだった。

「あの、その魔法とは失敗するとどうなるのですか?」

 血相を変えて出て行こうとする咲耶を恭也が慌てて呼び止める。魔法や世界の事情など知る由も無い彼だが、長年繰り返した鍛錬と実戦によって磨かれた勘がこれはただごとではないと告げているのだ。

「分からない。でも、とんでもないことになるのだけは確かだよ。わたしはこれ以上、わたしがしたことが原因で誰かが危険に曝されるのを認めるわけにはいかないから」

「それは、あなたが天使だからですか?」

 戦いへと赴く彼女に、恭也はいつになく真剣な表情でそう尋ねる。あなたは天使で、世界を守る義務があるから、だから戦うのかと。

 それは確認だった。たった一度でも共に戦えば分かる。その力の本質は何かを護るためのものだ。だからこそ、恭也は彼女がどんな思いでそれを行使するのか聞いておきたかったのだ。

 そして、咲耶は彼の望む答えを返してくれた。

「今のわたしは神代咲耶だよ。ただの、ううん、恭也君やさざなみのみんなのことが大好きな一人の女の子。そんなわたしが戦うのは昔に対するけじめもあるけど、何よりみんなを護りたいからなんだ」

 迷い無くそう言った彼女の笑顔はとても眩しくて、恭也は思わず魅入ってしまう。

「ずっと、悩んでたんだ。世界のために力を使うのが天使なら、天使を止めたわたしはこの力を何のために使えば良いんだろうって。だけど、この町で恭也君に出会って、君の有様を見ているうちに思ったの。わたしも恭也君のように在りたいって。だから、わたしは行くよ」

 不特定多数の誰かのためではなく、本当に大切な人の笑顔を護るために戦う。そんな戦いを、彼女も目指したいと言うのだ。

 しかし、そんな咲耶を我に返った恭也は思い止まらせようとする。自分の目指すその道は辛く厳しいものだ。決して日に当たらず、時には人殺しと蔑まれることもあるだろう。

 天使という存在がどういうものか恭也には分からないが、それを止めることで一つの戦いから解放されたというのなら、彼女にはどうかそのまま日の当たる場所にいてほしい。そんな矛盾した願いを込めて、恭也は咲耶を見るが、その願いが彼の口をついて出ることはなかった。

 目の前には瞳を閉じた彼女の顔。

 唇に触れた柔らかな感触に、恭也は思わず目を見開いた。

「ったく、見せつけやがって」

 いきなり大胆な行動に出た咲耶に、真雪が呆れたようにそう漏らす。

「ロマンチックで良いんじゃない。男女の立場が逆な気がしないでもないけど、ネタになるし」

 リスティは面白そうだ。その手にはばっちりビデオカメラが握られている。言葉通り、戦いが終わった後でからかう気満々のようである。

「恭也君の言いたいこと、分かるよ。わたしだって、伊達に天使なんてやってたわけじゃないもの。でも、ううん、だからこそ、ここから先はわたしが決めて、わたしの意志で戦わなきゃいけないの」

 覚悟は出来ている。そう言って背を向ける咲耶に、恭也は淡々と声を掛けた。

「父さんが帰ってこなかったとき、かあさんは悲しくても泣くことが出来ませんでした」

「…………」

「美由希も悲しかっただろうし、フィアッセに至っては自分の殻に閉じ篭ってしまった。……俺も、辛かったです」

 当時を振り返る恭也の声はあくまで淡々としていて、そこから感情を読み取ることは出来ない。だが、彼が何を思って今、その話をするのかはこの場にいる全員が理解することが出来た。

「あなたの戦いを止める権利が俺にあるとは思わないし、ついていったところで、空を飛べない自分では足手まといになるだけでしょう」

 残念です。そう言った恭也の表情は本当に悔しそうで、その雰囲気だけで背中を向けている咲耶にも彼の思いの強さが伝わってくる。

「ごめんね」

「いえ。ただ、これだけは覚えておいてください。本当に護るために戦うのなら、あなたは生きて帰らなければならない。多少の怪我くらいには目を瞑ります。だから、必ず生きて帰ってきてください。みんな、……俺も、待ってますから」

 真剣にそう訴える恭也に咲耶は一度振り返るとそれにしっかりと頷いてみせた。

「引き止めなくても良いのか?」

 縁側から外へと出ていく咲耶の背中を何か言いたげな表情で見送る知佳へと、真雪がそう声を掛ける。

「帰ってくるんでしょ。なら、今は良いよ」

 何処か不貞腐れたような知佳のその声を背中に聞きながら、庭へと降りた咲耶を待っていたのはティナとアリス、そして、アルティシアの三人だった。

 それを防ぐ術を持たないものにとって、瘴気の充満する戦場へ赴くことは自殺行為でしかない。瘴気はそこに存在するだけであらゆる存在から生命力を奪い、衰弱死させてしまうからだ。

 HGSのサイコバリアは任意の物質を百パーセント遮断する性質を持つ故、これにも対処することが出来る。

 自身も同じカオスクリスタルを内包しているアルティシアは言うに及ばず、天使として非常に高い聖性を持つ咲耶もその体質によって瘴気を一切寄せ付けない。

 知佳やリスティもそこにいるだけなら可能だろうが、それぞれの理由で弱体化している今の彼女たちでは、活性化したカオスクリスタルを有するS級フラグメントとの戦闘には耐えられないだろう。

「それは分かったけど、どうしてアリスまで一緒なの?」

「みんなの生還率を上げるためだよ。わたしがいれば最悪、バリア越しの一方的な攻撃で相手を殲滅することも出来るから、危なくなったらそうしようね」

「あ、あははは……」

 何気に笑顔でさらりと物騒なことを言うアリスに、咲耶は乾いた笑いを浮かべるしかない。アルティシアに至っては、あまりのことに言葉もないようだ。

「ほら、二人ともボサっとしてないで、さっさとやることやっちゃうわよ。そして、帰ったら皆で思いきり騒ぐの。今日のことなんて、悪い夢だったと思えるくらいに飲んで騒いで、いつものわたしたちに戻らないとね」

 動きを止めてしまった二人へとそう声を掛け、ティナは一足先に戦場へと転移する。彼女にとっては、妹のそんな姿さえも既に驚きの対象ではないのだろう。

 取り残された三人は慌ててその後を追う。しかし、シリアスが続かないというのもこの寮の特色なのだろうか。

 咲耶たちが湖の近くまで戻ってきたとき、そこは正に混沌の海と化していた。開かれた空間ゲートから流れ込んだ亜空間が、通常の空間と混ざり合って鳴動し、ゆっくりと範囲を広げているのだ。

 その中心で、無謀にも銀髪の少年は活性化した二つのカオスクリスタルを最封印しようとしていた。

 ティナには世界を滅ぼすなどと言って悪ぶってみせたが、彼の本当の目的は別にあった。そのためには、まだ世界に終わってもらっては困るのだ。

 だが、そんな事情など知る由もない少女たちは、この事態を引き起こしたのが少年であると断定するしかない。特に、活性化したカオスクリスタルの数が増えていることに気づいたアルティシアは、視線も鋭く彼がいるであろう虚空を睨み付けた。

「まさか、ここまで機能を取り戻していたなんて……」

 予想以上の事態に、思わず唇を噛み締めるアルティシア。

「他の人たちを連れてこなくて良かったね」

「安心してる場合じゃないわよ。早くあれを何とかしないと皆呑まれて消えてしまうわ」

 ホッと胸を撫で下ろすアリスを窘めるようにそう言うと、ティナは小太刀の柄に手を掛けて臨戦態勢へと入る。

「……来たな。世界の守護者たちよ」

 まるで空間そのものを振るわせるかのように、少年の声があたりに響き渡る。その言葉に咲耶は苦笑し、アリスとティナは思わず顔を見合わせた。

「この中にそう呼ばれるに相応しいものはいないわ。だって、世界を護るのはあくまでついでだもの」

「なんと!?

 世界を護る。それは神の使者である天使にとって、何よりも優先されるべき使命のはずだ。それを天使であるはずの咲耶についでだと言われ、少年の口から驚愕の声が上がる。

「では、おまえたちは何のために我と戦うというのだ?」

 驚きを隠しきれない様子でそう尋ねた少年に、アルティシア以外の三人の声が重なった。

「「「大切な人たちを護るために」」」

 即答だった。

 改めて考えるまでもなく、彼女たちはただそのためだけにここへと来ている。無論、どれほど取り繕ってみたところで、これがただの殺し合いでしかないことなど百も承知だ。

「そのような個人的な理由で、天界の使者が我の前に立つというのか。何とおろかな」

「別に君にどう思われようと構わないけど、一つ訂正させてね。わたしはもう天使じゃないから」

「何?」

「言ったでしょ。わたしがここにいるのはわたしの大切な人たちを護るためだって。まあ、あなたの持ってる混沌の残骸を消滅させたいっていうのもあるけど、それにしたって個人的な感情によるものだから」

「……ただの人間に我を止められるとでも思っているのか?」

 あっけらかんとそう言う咲耶に、少年が震えた声で尋ねる。

「勘違いしないで。今のわたしは立場を持たないだけで、力はほぼあのときのままなんだから」

 案にその気になれば、おまえなど簡単に滅ぼせると言う咲耶に、少年の目が細められる。

「身の程を弁えよ。例えどれほどの力を持っていたとしても、ただの人が混沌の力を得た今の我に敵うものか!」

「そんなリサイクル製品なんて、怖くも何ともないよ。わたしたちには護るべき人たちがいるんだから、絶対に負けない!」

「ならば、来るがよい。我が名はケイオス=グランゾート、魔将軍フェンリルの意志を継ぐものなり!」

 高らかに名乗り上げた少年のその声に応えるかのように空間が鳴動し、そこから無数のモンスターが姿を現す。ざっと三十を超えるそのすべてがガーゴイルであったことにはさすがのアルティシアも思わず驚愕の声を上げた。

「なっ、これほどの戦力を一体どこから」

「落ち着きなさい。全部人形よ」

 うろたえるアルティシアをティナが窘め、それにアリスが安堵する。

「でも、これだけの数をまともに相手にしていては、時間が掛かりすぎてしまいますわ。それでは、危険なのでは?」

 今の拡大を続けるカオス空間に、アルティシアがそう懸念を口にする。それに咲耶も頷くと、皆に自分が考えた作戦を説明した。

 まず、球状のバリアを展開したアリスが敵の群れに突撃して霍乱する。そうして動きが鈍ったところにティナが切り込み、ケイオスまでの道を切り開くのだ。

 アルティシアは状況に応じて皆の援護。

 とにかく自分がこの空間の中心まで辿り着くことが出来れば、こちらの勝ちだと断言する咲耶に、他の三人も頷くとそれぞれの役目を果たすために動き出した。

「アリス、いきまーす!」

 某連邦の白い悪魔を真似てそう叫びながら、球状バリアを天界したアリスが敵陣目掛けて猛然と突っ込んでいく。向こう側が歪んで見えるほど強力なフィールドにぶつかられ、何体ものガーゴイルたちが成す術も無く弾き飛ばされる。

「これで貫けない装甲は無いわ。全弾持っていきなさい!」

 宣言とともにティナの全身から意志力を乗せた小刀と飛針が放たれ、同時に彼女自身も敵の一角へと飛び込む。その背後へと回ろうとした一体のガーゴイルを、アルティシアの放った漆黒の槍が貫いた。

 放たれた無数の小刀や飛針は、ティナの言葉通り硬質の石で出来ているはずのガーゴイルの身体を容易く貫き、運良く外れたものも彼女の振るった小太刀によって、あっさりと切り捨てられていった。

 こうして開かれた道を抜けて、咲耶はケイオスのいるカオス空間の中心へと向かう。その背には、常では見ることの出来ない三対六枚の白く輝く翼があった。

「ケイオス、覚悟!」

 一気に少年へと肉迫し、咲耶は両手で握った光の剣を振り下ろす。対するケイオスは、闇を凝縮させて作り出した剣を頭上に掲げることで彼女の一撃を受け止めた。

「舐めてくれるなよ。こちらは大儀を背負っているのだ。己が使命の重さに耐え切れず、逃げ出したそなたになど、負けはせぬよ!」

 光と闇の剣がぶつかって火花を散らし、二人の距離が僅かに開く。その間を埋めるように再び切りかかりながら、咲耶も負けじと言葉を返す。

「その大儀とかに縛られて、本当に大切な人の一人も救えなかったくせに、偉そうなこと言わないで!」

「貴様ぁっ!」

 言葉とともに咲耶の背から光のオーラが立ち上り、それを受けたケイオスの身体からも邪悪な気が噴出する。光のオーラは光の剣へと集束してその輝きを増し、ケイオスは自身を取り巻く混沌のすべてを咲耶に向けて解放する。

 激突する光と闇。そして、世界そのものを震撼させるような衝撃が駆け抜けた後、そこには輝きの弱まった光の剣の切っ先を少年の眉間へと突きつけた咲耶の姿があった。

 少年は満身創痍で、今にも消えてしまいそうだ。

「どう、して……」

 擦れた声で紡がれたその問いは、何に対してのものだったのか。問われた咲耶は、まっすぐに彼の目を見つめてそれに答えた。

「あなたの同胞を思う気持ちを否定するつもりなんてないよ。だけど、そのために他の誰かを犠牲にしようとしたのは失敗だった。わたしにだって大切な人がいて、その人を傷つけられたら悲しいもの。だから、ごめんなさい」

 そう言った咲耶の手の中で、光の剣がゆっくりとその輝きを増していく。少年は気づくべきだった。彼等が求めてやまなかった創生神の遺産、コスモリヴァイア。その大いなる神秘の力は既に彼女の手の中で発動していたのだ。

「……さよなら」

 光が弾け、世界を白く染め上げる。光は暖かく、やさしく、闇を、混沌を、そして、少年を包み込み、ゆっくりと溶かすように消滅させていった。

 滅び行くものに束の間の夢を。

 やさしい幻に抱かれて眠れば、きっと穏やかな気持ちで逝くことが出来るから。

 悲しき定めに翻弄されしこのものに、せめて安らかな眠りを。そんな願いを込めて、かつて天使だった少女が選んだその世界の名は……。

   * * * * *




  あとがき

龍一「ついにここまで来ました」

知佳「プロローグから数えて全42話。な、長かったね」

龍一「残すところはエピローグだけだ」

知佳「あれ、でも、まだ解けてない謎があるような(汗)」

龍一「それについてはエピローグで触れたり触れなかったり」

知佳「はっきりしないね」

龍一「とりあえず、後1話で完結です。ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました」

知佳「納得いかない点などありましたら、どうぞ突っ込んでやってください」

龍一「お、お手柔らかにお願いします」

知佳「それでは、また次回で」

二人「ではでは」

   * * * * *





遂に決着が。
美姫 「残すところは後一話」
しみじみ。
美姫 「するのはまだ早いわよ」
ラスト一話、待ってます!
美姫 「待ってますね〜」



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